第10話 穏やかな朝

 王国歴162年9月2日 午前4時、沼の近くの野営地にて――


 朝、まだ薄暗い中、ティアナは目を覚ます。

 寝ぼけ眼でレオンシュタインを探すが、どこにもいない。


「レオン?」


 名前を呼び、心配で跳び起きる。

 レオンシュタインが寝ていたところをさわってみるが、暖かさがない。


(ずいぶん前からいない。ひょっとして)


 昨日の黒ずくめたちの正体は謎のままで、自分たちを狙ったのか、それとも盗賊なのかはっきりとは分からない。

 追い払っただけのため戻ってきてもおかしくない。

 不安になったティアナは、すぐに服装を整えるとビコーのところに向かう。


「ビコーさん、レオンを見ませんでしたか?」


 寝ずの番をしていたビコーは、朝の挨拶をしながら沼の方に言ったことを教えてくれた。

 少しだけほっとし、すぐに沼の方へ歩いて行く。

 また、太陽が出ていないけれども、濃紺色の空が少しずつ白くなり始めている。


 ティアナは小走りのため、尖った草が足を刺してくるけれども気にならない。

 200mほど小道を進み、遠くからバイオリンの曲が聞こえてきた。

 ティアナはようやく安心し、口元に笑顔が浮かぶ。


 音のする方に近づくと、沼を見ながら一心不乱に弦を鳴らしているレオンが立っていた。

 名前を呼んでも全く反応しない。

 演奏は佳境に入っているらしく熱を帯びている。


「レオン!!!」


 今度は近くまで寄っていき大声を出したため、ようやくレオンは気がつき、バイオリンの演奏を止める。


「やあ、おはよう。ティア」


「やあ、おはよう……じゃないわよ。起きたときにいなかったら心配するじゃない!」


 心とは裏腹にレオンシュタインを怒るティアナだった。

 レオンシュタインは、そうかという表情でぺこりと頭を下げる。


「ごめん。よく眠ってたからさ。起こしたくなかったんだ」


「でも、昨日の今日でしょ。あいつらが襲ってきたんじゃないかと心配したんだから」


「本当にごめん」


「今度からは私も一緒に来るから、起こしてよ」


「分かった」


 レオンシュタインはニコニコしながら答え、またバイオリンを構える。


「退屈すると思うけどなあ」


「退屈しないよ。レオンのバイオリン、その、好きだし……」


 口ごもりながら、思いを伝える。


「そっか。じゃあ、そうしよう」


 そして、すぐに顔つきを引き締めると練習に戻る。

 近くにあった切り株に腰を下ろしながら、ティアナは不思議に思う。


(どうして、こんなに練習するのかしら? 十分上手いのに)


 きっとレオンシュタインなりの理由があるのだろう。


(いつか訳を聞かせてもらいたいな)


 そう思いながら、沼を眺める。

 もうすぐ朝日が昇るらしく、東の空は濃紺色から藍色に変わっていくグラデーションが美しい。


 時折、水鳥の飛び立つ音以外、沼は静寂に包まれている。

 その中で聞くバイオリンというのは、なかなか神秘的だとティアナは思う。

 朝の静寂を邪魔しない、バイオリンの曲は遠くまで静かに静かに響いていくのだった。


「終わったあ」


 レオンシュタインが疲れたように、バイオリンを下ろす。


「お疲れ様。レオン」


 ティアナが水で濡らしたタオルを両手でレオンシュタインに差し出す。


「これは、ありがたいね。生き返るよ」


 それを聞きながらティアナはどれくらい練習したのか確認すると、だいたい3時間くらいかなという答えが返ってくる。

 びっくりするティアナを横目に、のんびりとレオンシュタインは答える。


「朝に練習すれば、昨日みたいなことにならないなって思って」


 顔と手を念入りに拭きながら、レオンシュタインが笑顔を見せる。

 空にはすっかり太陽が昇っている。

 遠くからは、人々の声がかすかに響き、新たな一日が始まるのが分かる。


「さ、レオン。すぐに戻らないと」


「そうか、出発か」


 二人はキャラバンのところに走って戻った。

 ルイーズとビコーは、のんびりと2人を待っていた。


「いい練習ができたかい?」


「ええ、ばっちりですよ」


 2人はレオンとティアナを優しく見つめる。

 ルイーズはチーズとサラミを載せたパンが朝ご飯だと、手渡しながら教えてくれた。

 二人はお礼を言って、パンを受け取る。

 レオンシュタインは出発の時刻をビコーに尋ね、1時間後だと教えてもらった。


「そうですか。じゃあ、それまで自分は少し眠ります」


 大きなあくびをすると、ゆったりと自分の寝床の方へ歩いて行ってしまった。

 ティアナも口を隠しながらも、あくびをしながら後をついて行く。


「彼もまた、大人物だな」


 あきれたようにビコーは言った。

 昨日、修羅場を経験したのに泰然としている様子は、確かに大人物に違いない。

 小一時間ほどたって出発の時刻になると、レオンシュタインたちはあくびをしながら立ち上がる。


「さあ、出発だ!」


 晴れた空の下、レオンシュタインは顔を上に向ける。

 こんな青や白は、昔はじっと眺めなかったと思いながら、その色を忘れないようにしようとレオンシュタインのは思う。

 ちょっとだけ、世界が新しくなるのを感じるレオンシュタインだった。

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