第5話 出発したけど前途多難

 ピルネまでの行き方が分からなければ旅を始められない。

 古着屋の近くにお婆さんの姿を見つけたレオンシュタインは、急いで走っていく。

 お婆さんは驚きつつも、優しい顔で何か用かと尋ねてくれた。

 

「ピルネの町へ行きたいのです。南でいいのでしょうか?」


 お婆さんは確かに南だと指差し、5時間ほど歩けば着くと教えてくれるのだった。


「ありがとう、お婆さん」


 二人は礼を言い、街道に沿って南に向かって歩き始めた。

 お婆さんは、二人をずっと眺めながら手を振っていた。

 そのお婆さんの側に、知り合いの男が近寄っていき、何をしているのか尋ねる。


「いや、服は替えてたけど、貴族らしい男とメイドがものを尋ねてきたんでね。ま、ちょっとだけ意地悪をしてやったってだけさ」


「へえ。貴族がねえ。じゃあ、無理もねえやな」


 お婆さんの顔から優しげな表情が消え、険しい顔つきになる。


「わしの二人の息子は、先年の兵役でどっちも生きて帰らなかった。重税を課すシュトラントに何でそこまでしなくちゃいけないのか。いくら領主でも、あんまりだよ」


 憎々しげに言葉を吐き出すと、お婆さんは男に背中を撫でられながら町に戻っていった。


 そんなことが起こっていたとは知らない二人は町の外れまで歩き、景色がかわってきたことに驚いていた。

 牧場や畑が増え、家や店が少なくなっていった。

 美味しそうな焼き鳥の匂いや、熟した林檎や梨の匂いは消え、土の匂いが強くなってくる。


 灰黒色の城門が見え始めると、二人は自然に門まで走り寄っていった。

 門番に通行料を支払ったレオンシュタインは、通り抜けようとして城門にふれる。

 さすがに寂しさを感じたのだろう。

 「この町ともお別れか」としんみりとつぶやき、城門を見上げる。

 

 黙ったままレオンシュタインに近づいたティアナは、次の瞬間、ドンと彼の背中を押していた。

 門の外へ足を踏み出した瞬間、太陽の光が眩しく、期せずして二人は歓声を上げる。


 まっすぐな黄白色の道が、南の地平線の向こうまで続いていた。


 道の両側に広がっている草原や牧場の緑は鮮やかで、町中よりも空気が澄んでいるのを感じる。

 セイヨウシナノキが並んで立っており、小さな日陰を作っては旅人に涼を提供しているのだった。


 その美しさに感銘を受けているレオンシュタインは、視線を左右に動かしながら、ゆっくりと歩みを進める。

 初めて見る景色なのはティアナも同じで、胸の高鳴りを感じていた。


 遙か遠くの山並も薄い深緑で稜線がくっきりと見え、空の上から聞こえるヒバリの声がとても美しい。

 近くの山頂には白い雲が立ち上り、その白さが青空に映えている。

 青空も白い雲も、本当に綺麗だと二人は話を続けながら、南の方を目指してひたすら歩いていた。

 

「行き先を決めない1年間の修行って、何をしたらいいんだろうね?」


 当然すぎるレオンシュタインの疑問に、ティアナは答えに窮する。


「アバウト過ぎますね。伯爵家の皆様は」


 9月の日差しは容赦なく二人に降り注ぎ、気持ちがよかったのは最初だけで、2人の額には大量の汗がにじみ出ていた。

 30分ほど歩いたところで、レオンシュタインが弱々しい声をあげる。


「ティア、足が痛い」


「まだ、歩いて30分ですよ。もう少し歩きましょうか」


 城にいる頃もレオンシュタインはあまり運動をしていなかったと、ティアナは記憶している。

 この程度の運動でも、巨漢のレオンシュタインには堪えるのだ。

 しばらく歩くと、レオンシュタインが弱音を吐きながら、その場に止まろうとしていた。


「ティア。やっぱり不安にならない?」


「……レオン様。それよりも、向こうの畑をご覧になってください。とても美しいですよ」


 この分では1年はおろか1週間でリタイアしそうな雰囲気で、弱音を誤魔化す作業にティアナは全力を傾ける。

 太陽は西の方へ移動しているけれども、行けども行けどもピルネの町は見えてこなかった。


 時間が経つにつれ、二人は景色の美しさよりも次の町の場所が気になり始めていた。 

 レオンシュタインは何度も汗をぬぐい、水を口にする。


 短い小休止が終わる頃、レオンシュタインがバイオリンの練習をすると言い出した。

 あっけにとられているティアナを横目に、レオンシュタインは背負っているケースをそそくさと開き、バイオリンの調弦を始める。


 聞けば、毎日の練習が大事なんだとレオンシュタインはティアナに説明する。 


「今日は休んでもいいんじゃない?」


 レオンシュタインの体調を気遣うティアナは控えめに提案してみたが、その提案は瞬時に否定される。

 

「これから4時間、練習するよ」


「はあ? 4時間?」


 こんな大変な時になぜそんなに長時間の練習が必要なのか、ティアナにはさっぱり理解できない。

 レオンシュタインはそれには答えず、すぐに音を鳴らし始めた。

 美しいバイオリンの調べが、草原の上に響き渡る。 

 

 説得を諦めたティアナは見つけた切り株に座り、固くなった足を伸ばしながらレオンシュタインの方を見つめていた。

 心の中で何度もティアナに謝罪しながら、レオンシュタインはバイオリンを弾き続ける。

 レオンシュタインの額から汗が流れ落ちるけれど、全く手を止めずに練習する姿にティアナは心配がつのっていく。


(どうして、こんなに練習を?)


 その視線をレオンシュタインは痛いほど感じていたけれども、手を止めるわけにはいかない。

 いつかティアナに真実を伝えようと思いながら、バイオリンを弾き続ける。

 太陽がだいぶ西に傾いた頃、ようやく練習が終了する。

 片付けを済ませ、二人はまた南へ向かって歩き出していた。


 もはやセイヨウシナノキの木立は消え、うっそうとした木々が道の両側に広がっていた。

 整備された道はずっと続いているけれども、住宅や牧場は見当たらなくなっているのだった。

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