(完結)ノイエラント ~バイオリン無双。音色が領土をつくるまで~

ちくわ天。

第1部 旅の中での出会い

第1章 旅立ち(という名の追放)

第1話 伯爵家三男→無職へジョブチェンジ!

「伯爵、お待ちください」


 三男レオンシュタインの家庭教師ランドルフが、石畳の廊下を追いかけてきた。

 同じ事を言いたいのだろうが、しつこいこと限りなく、シュトラント伯爵はうんざりとした表情を見せる。

 シュトラント伯爵は50歳の壮年で銀色の髪をまとい、顔立ちは眉毛が逆立って険しく、親しみやすい容貌とは言えなかった。


「また、その話か……ランドルフ君」


 ランドルフは真剣なまなざしで私を見ると、大きく頷いた。

 薄暗い灰色の廊下ののなかで、彼の目だけがぎらぎらと光っている。


「はい、伯爵。ご子息のレオンシュタイン様は100年に1人の天才でございます。あのバイオリンはまさに至宝。なにとぞ、王都シュベリーンへ留学に出すべきでございます」


 それを聞く伯爵の顔は苦いままだ。


「伯爵家に音楽家はいらん。それより10月には19歳になるのだから、剣や領地経営を学んでほしいというのに、あやつは遊んでばかりだ」


 家庭教師のランドルフは、この日は殊の外、しつこかった。


「いえ、あの才能。外交でも大いに役立つことでございましょう」


 その瞬間、伯爵の中で、何かがはじける音がした。


「ランドルフくん。我が伯爵家への気遣いはもう結構だ。下がりたまえ」


 ランドルフは、その瞬間、床にひざまずく。

 殊の外、疲れを感じていたシュトラント伯爵はランドルフを下がらせると寝室へと急ぎ、仰向けにベッドに倒れ込んだ。


「ったく、何が留学だ! 我が領地はそれどころではない」


 シュトラント領は現在、未曾有の危機に陥っている。

 農民の反乱が相次ぎ、そのたびに騎士団を出さなければならないというのに、3人の息子達は頼りないことこの上ない。


 本当に頭が痛い。

 痛い……ん? 

 頭が……。

 ベッドの上で頭を抱えながら、シュトラント伯爵はもだえ苦しむ。


「誰か……誰か……いないのか……」


 灰色の石の壁に伯爵の声が響く。

 けれども、誰もその言葉には応えない。

 ろうそくの火が揺らめき、陰鬱な老人の影を作り出している。


「ぐっ」


 やがて、伯爵は豪華なベッドの上で少しずつ動かなくなっていく。

 そして、夜のとばりが全てを隠し、何も無かったかのように1日が過ぎていくのだった。


 §


「父上が亡くなっただと? それは確かか!?」


 長男マヌエルの大声が大理石の居室に響き渡る。

 兄の声を聞き、次男マインラートは驚きと警戒が入り交じった顔になる。

 空は黒灰色の雲に覆われ、今にも雨が降りそうな匂いがした。

 王国歴162年8月末のことである。


 マインラートは父親であるシュトラント伯爵の死に悲しみを感じなかったが、自分への影響は気になっていた。

 全ては新しい領主の思うままになる。

 兄のご機嫌取りが大切だと、マインラートは心の中で方針を決める。


「兄上、これから忙しくなりますね」


「うむ。お前も力を貸してくれ。よろしく頼む」


 長男マヌエルは手元の鈴を鳴らして執事を呼び、葬儀に関する手配を指示する。

 次男マインラートも葬儀の手続きや教会との折衝を積極的に引き受けるのだった。

 三男のレオンシュタインも何か手伝おうとしたのだが、長男マヌエルから特に何もないと伝えられ、手持ちぶさたのまま時を過ごしていた。


 翌朝、聖職者の掲げる十字架を先頭にした黒い行列は、城を出てゆっくりと教会へ向かっていった。

 真っ白な衣装の司祭の後を伯爵の3人の息子が揃って歩く。

 死者のためのミサが執り行われ、墓地への移送・埋葬で全てが終了となった。


 §


「それでは、遺言を発表します」


 その日の夜、城の大広間に侍従長の低い声が響き渡った。

 大広間の正面には、赤褐色の壁に縦横3mほどの歴代領主の絵が掛かっており、横も有名作家の風景画が並んでいる。


「長男のマヌエル様は伯爵家の跡継ぎとして、シュトラント領の4分の3を」


 周囲に立っていた使用人から、祝福と羨望の入り交じった声が上がる。

 兄上が家督を継ぐのは順当だと、レオンシュタインは心の中で呟く。

 マヌエルは柔らかい茶色の目で周りの賞賛に応え、背筋を伸ばし、精悍な顔をいっそう引き締めていた。


「次男のマインラート様には伯爵家の補佐として、南部アッシェベルク領を」


(ほう、次兄殿はアッシェベルク領か。シュトラント領の約4分の1だから……えっ?)


 混乱するレオンシュタインの上に、侍従長の声が容赦なく降ってくる。


「三男のレオンシュタイン様には、兄上2人から素晴らしい贈り物が贈られる。そして、見聞を広げるべく1年間の修行に出かけるように。以上、ご遺言は確かにお伝えしましたぞ」


「はあ?」


 まさかの領地なし宣言に、レオンシュタインは思わず声をあげる。

 贈り物は兄からのプレゼントのみ、1年間の修行とはていのいい追放ではないか。

 ただ、この場で疑問を口にするわけにはいかないとレオンシュタインは口を結ぶ。


「謹んでお受けいたします。神の祝福があらんことを」


 3人の唱和が終わり、相続の儀式は終了した。

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