第58話 暁蕾、歴史書を借りる

 順番に並んでいる歴史書のうち1冊だけ無くなっていた。それは溏帝国の前の王朝時代、異国から密輸された麻薬によって国が滅びかけた時のことが記された部分だった。


「説明してもらえるか?」


「昔、今の溏帝国に起きていることと同じことがこの大陸で起こったのです。ここにあった歴史書にはそのことが書かれていたはずです。冥水様は歴史書を読んでその事実を知っていた。そして自らに酷い仕打ちをした溏帝国への復讐のため過去の歴史と同じことを起こそうと考えた。この書庫にあった歴史書はそのために冥水様が持ち去ったのでしょう」


 暁蕾は、異国が昔の王朝に麻薬を密輸し、国民を麻薬中毒にすることで滅ぼそうとしたこと、国民が高価な麻薬を買うために特産品のお茶を輸出したお金を使ったこと。侵略者である異国が麻薬を売って儲けたお金で武器や兵士の食料を買っていたことを説明した。


「今の状況に置き換えると、侵略者の国というのは冥水がいる火舎かしゃ国だな。お茶ではなく密輸で値段が下がった毛皮と家畜の餌を売買して利益をあげている相手が迦楼羅汗カルラハン纏黄てんおう国というわけか」


 秀英はなるほどという感じで言った。


「そしてもっと重要なことがあります。侵略者の国に武器を売っていたのも、異国にお茶を売っていたのも、どちらもその国一の大商人だったのです」


 この国で一番の大商人。溏帝国においてその地位にあるのは翠蘭妃の生家、劉家だ。


「もし歴史通りにことが進んでいるとすれば、纏黄てんおう国の毛皮を密輸して儲けた資金で火舎かしゃ国から麻薬を買い、国民に安く売りさばく。火舎かしゃ国へは麻薬の代金と交換で武器や兵士の食料を売りつける。ということになる」


 あまりにおぞましい取引を想像して秀英は眉根を寄せた。


「だが、劉家が関わっているという確証はどこにもない。歴史書を持ち出したのが冥水だというのもお前の想像でしかない」


「おっしゃる通りです。事情を知っている骸骨男が死んだ今、その骸骨男に麻薬を売っていた売人を探すしかありません。そうです、あの空き家に来るはずだった人物です。その人物を捕まえて劉家との関係を白状させることができれば彼らの陰謀をあばくことができるかもしれません」


「そのことなんだが、実は毛皮の密輸に関わっていた男をひとり捕えることに成功したのだ。その男を尋問したところ顔を隠した女から密輸の仕事を依頼されたと自白した」


「そうなんですか! なぜそのことをすぐに教えて下さらないのですか!」


「言う暇なんかなかっただろ」


 秀英は肩をすくめた。暁蕾は自分がはるかに身分の高い男を無理矢理連れ出したことにあらためて気付き、きもが冷えるような気持ちになった。


「申し訳ありません、秀英様、自分の考えで頭がいっぱいで周りのことが見えておりませんでした」


「皇城を御史大夫と女官がふたりで歩いていたのだ。噂になるやもしれんな」


 暁蕾の頭は真っ白となった。そんなことは全く気に留めていなかった。いくら后妃候補から外れている南宮の女官とは言え、自分も後宮の女官なのだ。若い男と、それも御史大夫とふたりで歩けば何を言われるかわからない。


「うわーっ! とんでもないことを。どういたしましょう」


 暁蕾は天を仰いだ。暁蕾の顔を上からのぞき込む琥珀色の瞳と目が合う。


「噂になるのはそんなにいやか?」


(えっ?)


 静寂が書庫を包んでいる。自分の呼吸の音が早くなるのを暁蕾は感じた。秀英の顔がゆっくりと近づいてくる。その瞳にはあやしい光がともっている。金縛りにあったように身動きができなくなる。秀英の瞳に何か特別な力があるのだろうか?


「いや……に……きまって……」


 はっきりと拒絶の言葉が出てこない。いや、秀英の力のせいではない。自分自身の心がそうさせているのだ。


(だめ!、このままだと……)


 秀英の吐息が顔にかかる距離まで近づいたとき、ふいに建物の外で風が吹き、竹林がざわざわと鳴った。とたんに暁蕾の体は金縛りから解けた。


「そうだ!」


 暁蕾はくるりと身をひるがえし、秀英に背を向けた。必死で呼吸を整える。


「私もここにある歴史書を一冊借りていきます」


 秀英に背を向けたまま、歴史書を一冊抜きだし手に取った。


「俺は捕えた男をおとりにして指示役の女に接触するつもりだ。今、お前が言ったことが正しいかどうか女を捕えて確かめるとしよう」


「わかりました。私も紅玉宮で確かめたいことがあるのです」


 暁蕾は、紅玉宮こうぎょくきゅうの倉庫に入れたはずの香枦と銀盒がなくなっていたことを説明した。


「くれぐれも無茶をするんじゃないぞ。後宮に俺は入れないのだ」


 秀英は、暁蕾が安慶のまちで骸骨男を尾行したことを言っているのだろう。


「承知しました」


 暁蕾は思い出したように拱手の礼をとった。


 天三閣を後にして、暁蕾と秀英は人目を避けて別々に帰ることにした。暁蕾が後宮へ帰るのにいつも使っている通用門を抜けると甘淑が待っていた。


 周りを見渡して誰もいないことを確認すると甘淑は言った。


「皇后派の宦官が夜暗くなってから紅玉宮を訪れているのを見たという情報が入った。それも一度ではない。最近になって回数が増えているそうだ」


 甘淑はそれだけ言うと通用門を抜けて立ち去った。

 

 

 


 

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