第54話 暁蕾、贈り物をする

うやまっていただく必要はありません。私の望みは纏黄国の民と、我が溏帝国の民がともに力を合わせ国を豊かにしていくこと。そのために貴国をお助けできればと食料、家畜の餌を持参した次第です」


「そのために貴国の施しを受けよと?」


 秀英は、やはりそう来たかと思った。纏黄てんおう国が困っているのは確かだ、だが他国から援助を受けるということは弱みを見せ借りを作ることにもなる。ましてやカリスマ性の高さで民の人気を集める王が、溏帝国に屈服すると受け取られかねない提案を素直に受けるとは思えなかった。


 王が待っているのは「望む品を差し出すので略奪をやめて欲しい」という秀英の言葉だ。その言葉を引き出すことが出来れば溏帝国が王の前に平伏ひれふしたことになる。そもそも朱皇帝、本人が来なかったのはあくまで溏帝国が上の立場であるということを他国に表すためだ。これは言わばギリギリの外交交渉なのだ。


「施しなどではありません。これらの品は我が国の貴妃、翠蘭妃が私財を売って購入したもの。翠蘭妃の生家は黒河こくが州の大商人、劉家なのです」


 淡々と事実を述べる秀英から王は目を逸らさない。まるで品定めをしているようだった。


「黒河州は我が国と国境を接しているのだったな。そして我々の侵入によって被害を受けている。つまりは翠蘭妃、いや劉家とやらの略奪をやめて欲しいという望みを叶えよと言うのか?」


「お察しの通りです」


 しばらく黙っていた王は、手元の呼び鈴を鳴らした。すぐにゲルの入り口から兵士が顔を覗かせ、「お呼びですか?」と言った。


馬乳酒ばにゅうしゅを用意しろ」


 王が命じると間もなく酒甕さかがめを持った兵士がやって来て、王と秀英の腕に白濁した液体を注いだ。先に王がグイッと椀をあおり一気に酒を飲みほした。毒が入っていないことを示したのだ。秀英は馬乳酒を飲んだことがないが王と同じく一気に飲み干す。強い酸味と苦みを感じてせき込みそうになる。


「上品な味ではないが、俺はこの酒が好きだ」


 王は秀英の反応に口もとを緩めて言った。


「癖になる味ですね」


 秀英も笑みを返す。


「お主は交渉役としては正直すぎるようだな。さきほどからの言葉はすべて皇帝からの言葉であろう。お主の目は狼というよりは羊だ、感情が手に取るようにわかる。勘違いするな、わしは気に入った男としか馬乳酒は飲まん。いっしょにこの酒を飲んだ相手のことは信用することにしている。だが……」


 王の顔から笑みが消えた。


「わしが見極めなければならないのは、お主ではなくお主に望まぬ言葉を語らせる皇帝だろう。ジュ 楚成ジングルに自ら出向けと伝えろ。話は終わりだ」


 立ち上がりゲルを出ていく王を秀英は呆然と見送ることしか出来なかった。


 秀英がいるゲルを出た王は、自分の執務室となっている少し離れたゲルへと向かう。自分の直感は秀英を信用しても良いと告げている。この和平交渉が決裂して困るのは溏帝国よりもむしろ自分の国だと言うことはよく理解していた。だが溏帝国の皇帝を信用できない理由があるのだ。


 重い足取りで歩いていると、向こうにあるゲルの方から聞き覚えのある笑い声が聞こえてきた。その声はだんだんと大きくなり近づいてくる。王は立ち止まって様子を伺った。近づくにつれて声の主が自分の妻、エルデニであることがわかった。エルデニのそばには侍女や護衛の他に溏帝国の衣装を身につけた男と女が付き従っている。


 エルデニは王の姿を見つけると、満面の笑みを浮かべ早足で近づいてきた。王はエルデニの姿を見て嫌な予感がした。エルデニは凝った刺繍の入った光沢のある長衣を身につけている。靴も帽子も異国から取り寄せた特注品だ。そしてエルデニの胸元には今、光り輝く真珠のネックレスが新たに加わっていたのだ。


「あなた、この素晴らしい真珠を見て!」


 装飾品にあまり興味のない王から見ても大粒で形の揃った真珠が大変貴重な品であることはわかった。


「よく似合っているな、エルデニ」


 妻の機嫌を損なわないよう、王は妻の求めている言葉を返す。


「私のために溏帝国の皇帝が、西の異国から取り寄せてくださったそうよ。ああなんて美しいんでしょう!」


 エルデニに付き従っていた見知らぬ男が、背負っていた袋から大きな鏡を取り出すともう一人の女とふたりで持ち、エルデニに自分の姿が見えるよう掲げて見せた。


「どうですか、おきさき様。我が国の後宮にも、これほど真珠がお似合いになる女性はおりません。この真珠ははるか何千里も旅して参りました。お后様につけてもらうことをこの真珠が求めておったのです」


 よく見ると男はかなりの美形であり、男が放つ言葉には妙な説得力があった。


「お后様の輝くような美しさだけではありません。遥か西の異国では、真珠は貞操、純真、惜しみない愛の象徴とされています。そのような内面を持つ女性が身につけることによって、はじめて真珠は光り輝くのです」


 背が高い黒髪の女がよどみなく付け加えた。


 エルデニは決して単純な女ではない。対立していた部族長のじゃじゃ馬娘を王が口説いて妻にしたのだ。薄っぺらいお世辞に騙されることはないだろう。そして纏黄てんおう国の全てを動かすことのできる王にとって唯一、気を使う必要があるのがエルデニだった。

 


 

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