第53話 暁蕾、異国へ向かう

 落ち着いた後、秀英から暁蕾に空き家事件のことで説明があった。甘淑が暁蕾に説明したように秀英たち御史台の職員と甘淑が空き家に踏み込んだとき、骸骨男はまだ生きていた。おそらく空き家で、買った品物と槃麻を交換するはずだったのだ。


 取引を悟られたと察知した麻薬の売人は、骸骨男を切り捨てて現れなかったのだろう。無明道の狂信者である骸骨男は槃麻を大量に飲み込み、自分の口を封じたのだ。だが骸骨男は自分たち無明道がとう帝国に深く入り込んでいることを、教祖である冥水のためなら命を惜しまないことを知らしめたかったのだろう「冥水様、万歳!」と叫んでこときれた。


 秀英はどうするべきか悩んだ。ここで起こったことをありのままに報告するべきか? 朱皇帝は、麻薬を徹底的に取り締まり、もし異国が裏で糸をひいているのであれば戦争も辞さないかまえだ。


 もし無明道の信者が我が国内で、「冥水様、万歳!」と叫んで死んだとなれば、皇帝は火舎国に宣戦布告するかもしれない。そうなれば自分は実の妹と戦うことになるのだ。冥水とはいずれ向き合うときが来るだろう。その覚悟はできている。だが戦争は避けねばならない。


 骸骨男は麻薬の過剰摂取という事故で死んだ。そう報告するしかない。それに慈善販売会で購入した商品がここに残っているのはよくない。まもなくここに掖庭えきていの宦官たちがやってくる。やつらがこれらの品を見つければ当然、品を売った暁蕾に疑惑がかかるだろう。つまりは暁蕾を守るためだったのだが、この部分について、秀英は暁蕾に言わなかった。


 秀英は空き家で起こった事件について、事故と報告することにした。さらに骸骨男が残したふたつの品を処分するように甘淑へ依頼したのだった。


「せっかく処分してやったのに、董艶様が見つけ出してきてな。おまけに暁蕾が余計なことをしくれたせいで俺は一生、董艶様に頭が上がらなくなったぞ」


 甘淑は恨めしそうに秀英へ言った。


「余計なこととは何です? 甘淑様が素直に本当のことを言わないから面倒なことになったのではありませんか?」


 暁蕾は不満げに口をとがらせた。


「はははっ! 甘淑が言い負かされるところはさぞ愉快だったろうな。見ることが出来なかったのは残念だ」


「おい、暁蕾。こんな性格の悪い男はやめたほうがいいぞ」


「何の話ですか? 意味がわかりません」


 (こいつ、余計なこというのはあんたのほうでしょ)


 ひと通りみなで言いたいことを言い合って少し落ち着いてから、秀英が真面目な口調で切り出した。


「我が国にはすでに多くの無明道信者が入り込んでいる。やつらは槃麻を使って信者を増やし薬漬けにすることで支配していく。だが、いかにやつらでも単独ではここまでのことは出来ないはずだ。必ず協力者がいる。それを見つけなければならない。協力してくれるな」


 暁蕾と甘淑がうなずくのを確認してから、秀英は話を続ける。


「だがその前に、今目の前にある危機をなんとかせねばならん。国境で略奪を行っている纏黄国との交渉についてだ。俺はこれにも何か裏があるのではと考えている。纏黄国が求めているであろう食料と家畜の餌を届けて必ず和平を成立させる。お前たちには交渉に同行してもらう。事前に交渉に役立つだろう情報を集めてくれ」


 こうして3人は同士として初めて同じ目的に向かって走り始めた。帝国を救うという目的に向かって。


 ※※※※※※


 纏黄てんおう国は、遊牧民の国だ。いくつも部族が血のつながりを元に集まり豊かな牧草地を巡って争ってきた。部族同士が同盟を結ぶことがあっても目先の利益によって一時的に手を組むのであって、くっついたり離れたりを繰り返す。まとまりがないという意味で溏帝国の脅威ではなかった。だがある時、部族のひとつに10代の部族長が彗星のように誕生した。彼は神の生まれ変わりと言われ、その武力とカリスマ性により瞬く間にまわりの部族を従えていった。


 やがて全ての部族を統一した彼は、王となり自らを迦楼羅汗カルラハンと名乗った。元々の部族にあった黄色い頭巾を頭にまとう習慣から国の名前も纏黄てんおう国とした。


 強力な騎馬軍団を持つ纏黄てんおう国が本気で攻めてくれば、いかに巨大な溏帝国といえどもタダでは済まない。秀英が言ったように目の前にある脅威となったのだ。


 迦楼羅汗カルラハンとの交渉は、溏帝国の北、纏黄てんおう国との国境付近で行われることになった。秀英と交渉団は馬車に支援物資である食料と家畜の餌を積み、護衛の兵士とともに交渉場所へ到着した。暁蕾と甘淑は目立たないように交渉団の雑用係として同行していた。


 纏黄てんおう国の住居は移動式のテントでゲルと呼ばれる。来客用に組み建てられたゲルで迦楼羅汗カルラハンと秀英は向かい合って座っていた。椅子はなく丸い座布団の上に胡座あぐらをかいている。


 王は、立ち襟の長衣を身に着けていた。鮮やかな青色で裾と袖が長く腰には金色の帯を巻いている。ゆったりとした服を着ていても胸板が厚く筋肉質なのが分かった。顎のとがった精悍な顔に切れ長の目、吊り上がった眉が意思の強さを表している。


 王は、秀英の目をじっとみつめると口を開いた。


「秀英殿、お主は狼の目を持っておる。狼は我々、遊牧の民にとってうやまう存在であると同時に恐れる存在でもある。わしはお主がそのどちらであるか見極めなければならん」


 秀英は琥珀色の瞳を持っており、狼のような目と言われることがよくあった。溏帝国では珍しがられる目であったが、王にとっては特別な意味があるようだった。


 


 

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