第52話 暁蕾、書状を渡す

 秀英がまず最初に行ったのは、花鳥史として帝国内を見てまわり、現状を把握することだった。安慶の都は一見華やかに見える。だが富を得ているのは貴族や大商人といった一部の人間で、それ以外の庶民の暮らしは秀英がいた頃より厳しくなっているように思えた。


 朱皇帝の評判もかんばしくない。本人の人柄は真面目で誠実であるが、宦官や一部の大商人と繋がった貴妃の言いなりになっているとの悪評が立っていた。そんなある日のこと、安慶の外れを歩いていた秀英は一軒の民家から子供達の元気な声が聞こえてくるのに気がついた。


 ふと気になって窓から中の様子を見てみる。部屋の中では長机に座った大勢の子供達の前で、黒髪の少女が何やら話をしていた。聞き耳を立ててみるとどうやら溏帝国の歴史を教えているらしい。少女の顔がこちらを向いた。秀英は悟られぬよう慌てて身を隠したが、少女の顔がはっきりと見えた。


 ――冥水!


 少女の顔は妹の冥水にとてもよく似ていた。いや顔だけでない細身のすらっとした体躯、聡明な眼差しと澄んだ声もそっくりだった。少女の歳のころは15か16歳だろう。年齢からいって明らかに別人なのだが秀英は胸の鼓動を抑えることができなかった。


 少女のことが気になって仕方ない秀英は、少女について調べてみることにした。少女は尚書省の下級役人、曹 傑倫ツァオ ジェルンの娘で名は暁蕾というらしい。近所では評判の才女であり、子供たちに文字や歴史を教えているのだという。


 悩んだ結果、秀英は暁蕾を後宮へ呼ぶことにした。妹に似ている少女を自分の近くにおきたいという気持ちにあらがうことができなかった。だが花鳥史として少女の才能を認めたのも確かであった。


 話し終わった秀英は、今まで見たことのない優しい表情で暁蕾を見ていた。真実を話すことができて心の重荷がなくなったのだろう。


「秀英様――」


 暁蕾はゆっくりと口を開いた。


「私は冥水様の代わりにはなれません」


 ひとこと、ひとことにはっきりとした意思が感じられる言葉だった。


「すまなかった」


 うな垂れる秀英に、暁蕾は懐から取り出した2通の書状を差し出す。


「1通は董艶様から、そしてもう1通は前の諫議大夫かんぎたいふシュー泰然タイラン様からです」


 董艶妃という言葉に秀英の瞳が揺らぐ。ふたりの過去を知ってしまった暁蕾の心にもさざなみがたった。


「董艶様からの書状はこの場でお読みください。本当は甘淑様が危なくなったらお渡しするようにとのことだったのですが間に合いませんでしたね。泰然タイラン様の書状はどうか秀英様から皇帝陛下へお渡しくださいますでしょうか」


「わかった」


 短く答えると秀英は董艶妃からの書状を読み始める。


御史大夫ぎょしたいふフー 秀英シュイン殿。初めて文を差し上げる。本当はお会いして直接お話ししたいところですが、何分、後宮に囚われの身ゆえ無礼をお許しください。御史大夫ぎょしたいふ殿……いやもうこんな空々そらぞらしい話はよかろう。朱翼シュヨクよ。わらわはずっと待っておった。どんなにお前が変わっても、お前のことを見間違うことはないぞ。お前と話す時、わらわはハウラ姫のままじゃ。この国は今死にかけておる。砂漠の国で出会った我らじゃが、今はここが我らの国じゃ。ここにわらわとお前の居場所を作ろうではないか。お前の前におる、女官、暁蕾と宦官、甘淑。このふたりをお前の部下とせよ。お前の好き嫌いは知らん。わらわが有能と見定めたふたりじゃ。文句は言わせん。協力してこの国の危機を救え。また会ってゆっくり話ができるとよいな。お前の盟友、ハウラより」


 ――盟友か


 秀英は思わず口元を緩ませた。彼女らしい言い回しだと思った。思えば自分はいつも妹の幻影を追いかけてきた。ハウラ姫、そして暁蕾の姿に妹の姿を重ねていた。自分はどこかで間違っていたのかもしれない。ハウラ姫も暁蕾も自立した立派な女性だ。自分が守れなかったものへの後悔を忘れるために彼女たちを利用してはならない。自分のこの弱い心を今こそ断ち切らねば。


「暁蕾、お前の夢を教えてくれ」


 琥珀色の瞳に再び鋭い光が宿っている。暁蕾の胸がドキリと高鳴った。

 

「だれでも平等に学問ができる場所をつくること。だれもが己の才能を生かせる公平な世の中をつくること、それが私の望みです」


「この国は今、危機を迎えている。俺のためではない。お前の夢を実現するために俺と一緒に働いてもらえないだろうか?」


 暁蕾の答えを待たずに、秀英は甘淑のほうへ向き直った。


「甘淑、お前が俺の秘密をばらしたことは正直、腹がたった。だがそんなことはどうでもよい。お前を董艶様、そして暁蕾が有能と認めたのだ。俺の部下として働けば俺がお前を守ってやる。どうだ悪い話ではなかろう?」


「小娘が俺を有能と認めただと? そうなのか?」


「私にはできない芸当をやってのける。その点は認めます。それから私は小娘ではありません。暁蕾です」


「いいぜ。よくわからないが面白そうだ。まだ死にたくはないしな」


 暁蕾は初めて秀英という人間が少しだけ理解できたような気がした。この人といっしょなら自分の夢を実現できるかもしれない。そう思うと心が温かくなる。


「めでたく3人の利害が一致したということですね。これからよろしくお願いします」


「はは、利害の一致か。さすが屁理屈姫だ」


「屁理屈姫? 嘘つき姫だろう?」


「ふたりともいい加減にしないと、董艶様にお願いしてこの話はなしにしてもらいますよ!」


 武道場の広間に3人の楽し気な笑い声が響いた。


 


 

 

 

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