第49話 暁蕾、再び御史台へ行く

 翌日、暁蕾と甘淑かんしゅくは、御史台ぎょしだいへと向かった。御史台は皇城の一番東側にある。後宮からは一番遠い場所なので甘淑かんしゅくと歩く距離も自ずと長くなる。


「行きたくない。行きたくないぞ。小娘……じゃない暁蕾。やはり今日はやめんか。明日にすればよかろう」


 先ほどからぐちぐちと弱音をはく甘淑を、暁蕾は鬱陶しそうな目で見た。


「甘淑様、見苦しいですよ。もとはといえばあなたの口が招いた災いなんですから少しはいさぎよくしてください」


「へっ! 『いさぎよい』は、俺が一番嫌いな言葉なのだ。そもそもなぜ秀英に会わねばならぬ。奴に用事があるのはお前だろう? 俺は関係ないのだ」


「あのですね。甘淑様は今、三方を敵に囲まれているんですよ。助かるにはその一つを味方に変えてしまうしかないでしょう?」


「お前は、あの御史大夫ぎょしたいふを味方にできると思っているのか?」


 信じられないという感じで甘淑は聞いた。


「私の知っている御史大夫ぎょしたいふ様なら物の道理がお分かりになる方です。きっと私達の話に耳を傾けてくださるでしょう。ただその前にハッキリさせないといけないことがあるのです」


 暁蕾は懐に忍ばせた魚符に手を当てた。秀英シュインは自分を仮の妹と言ったのだ、その気持ちが偽りでないことを祈りたい。皇帝陛下がいる宮城への入り口、青龍門。鮮やかな朱色の柱や凝った装飾は今日も変わらぬ美しさだ。だが暁蕾は視界の端で捉えるだけで眺める気分にはなれなかった。


 ふたりはやがて、白壁に囲われた御史台の門へ着いた。顔見知りの門番はふたりを見てギョっとした。


「えっと、甘淑様と暁蕾さん。ふたりはご一緒ですか? たまたま一緒になられたとかではなくて?」


「はい、そうです。御史大夫様へお取次いただけますか?」


 暁蕾はキッパリと答えると魚符を差し出した。甘淑は気まずそうに顔を逸らしている。


「すっかり顔馴染みのようだな。大したもんだ」


 門番が取次のため奥へ引っ込むと甘淑は皮肉っぽく言った。


「御史大夫様がお会いになるそうです。どうぞお入りください」


 戻ってきた門番がそう告げて、ふたりは御史台へと入った。回廊の入り口に案内役とおぼしき若い役人が待っていた。ご案内しますと告げて役人は歩き出す。暁蕾と甘淑は役人の後をついていくが何かがおかしい。いつも通る通路とは違うのだ。


(おかしいわ。秀英様の執務室とは違う方向へ向かっている)


 甘淑も異変に気がついたようで、暁蕾の腰のあたりを指でついて訴えている。


 (これはマズイぞ。何とかしろ)


 甘淑は声を発さず口をパクパクさせてそう言っているようだ。


(変な動きしないで! 役人に気づかれるでしょ!)


 暁蕾は甘淑を睨みつけてパクパクと言い返す。先導する役人は後ろを気にする様子もなく回廊を進み、母屋から少し離れた場所にある建物へ続く渡り廊下を渡った。

 

「こちらです。どうぞお入りください」


「ここはどこですか?」


 案内されたのは、緑の木々に囲まれた灰色一色の地味な建屋だった。


「御史台の武道場ですよ」


 役人はにこやかに答える。武道場という響きに暁蕾は不穏な空気を感じた。


「中で御史大夫様がお待ちです。では私はここで」


 ここから先は自分たちで行けということだろう。


 質素な木の門をくぐると、四角形の建屋に囲まれた芝生の空間が広がっている。ここで御史台の役人たちが剣や武道の鍛錬を行うのだろうか? そう思って暁蕾はあたりを見回したが人の気配はない。


「おい、あいつはなんでこんなところに俺たちを呼び出したのだ? 嫌な予感がするぞ」


 甘淑も周りを見回して不安げな声を出した。暁蕾が答えようとしたとき扉が開く鈍い音が聞こえた。背の高い人影がこちらに向かって歩いてくるのが見える。


 深緑の袍服ほうふくに銀の帯。――秀英しゅいんだ。


 秀英は無表情でこちらへ近づいてくる。


「また、別の男と一緒にいるのか? いや男ではなかったか」


 立ち止まった秀英は皮肉っぽく言った。


「秀英様、あなたに聞きたいことがあります!」


 単刀直入な暁蕾の問いに、秀英は口元をゆがめてわずかに笑った。


「口の軽さは命取りだぞ。甘淑」


 秀英は、暁蕾の問いかけには答えず甘淑に向かって言った。


「御史大夫よ。俺をどうするつもりだ? 俺はお前の望みをかなえてやっただけだ。この娘と話がしたかったのだろう?」


 秀英の目が細くなった。


「俺の望みだと。わかったようなことをいうな。お前は何もわかっていない。だが甘淑、お前の望みなら手に取るようにわかるぞ。お前は暁蕾を利用して命乞いに来たのだ」


「秀英様! 私は――!」


「暁蕾、少し黙っていろ。まずかたずけることがある」


 秀英の口調には有無をいわせぬものがあった。


「命乞いだと。やはり俺を殺すつもりだな。俺を殺しても一文の得にもならんぞ」


「甘淑、お前に助かる機会をやる。自分の始末は自分でつけろ」


 そう言うと秀英は広場の端にある武器置き場へ歩み寄った。


「あいにく宮城内での殺生はゆるされていない。だが武道の鍛錬であれば問題なかろう。お前の得意な獲物を選べ。俺はこれを使う」

 

 秀英は並べている武器の中から木刀を手にした。

 

 


 

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