第48話 暁蕾、宦官と組まされる

「つまり甘淑様と秀英シュイン様は取引をされたのですね」


 なんとか気持ちを落ち着かせると、暁蕾は尋ねた。


「その通りだ。我々宦官は身内に無明道の信者がおり槃麻を広げていたなどとはとてもおおやけには出来ない、一方、御史大夫にもこのことが公になっては困る事情があったのだろうな」


「それで、お前がわらわにお願いしたい事とは何なのじゃ? いっこうに話が見えんぞ」


「よろしいですか、董艶トウエン様。私は今非常に危険な立場に置かれておるのです。皇后派、皇太后派それぞれから、備品を使って宦官を援助する仕組みに董艶妃にも加わってもらうよう説得せよと命じられています。さらに加わってもらったら自分たちの派閥へ援助をしてもらうようにせよとも命じられました」


「両方とも引き受けてしまわれたのですか?」


 暁蕾は思わず口を挟んだ。


「仕方ないだろう。どちらを断っても裏切り者として命がないのだ」


「口は災いのもとと言う言葉を知らんのか?」


 董艶妃が呆れたように言った。


「申し訳ございません。まだあるのでございます。董艶様ーっ」


 菅淑は懇願するような口調になっていた。整った顔をくしゃくしゃにしているのをみていると何だか可哀想に思えてくる。これがこの宦官の得意技なのだろう。


「今、この場で空き家事件の顛末てんまつをお伝えしてしまいました。掖庭えきてい、そして御史大夫ぎょしたいふその両方を裏切ってしまったのですー。もう命がいくつあっても足りませぬー」


「まさかとは思うが、わらわに助けてくれと申すのではあるまいな?」


「もう董艶トウエン様におすがりするしかないのです。その寛大なお心で、なにとぞお救い下さいませーっ!」


 甘淑かんしゅくは、ひざまずくとまたもや額を床に擦り付けた。


 (もう、こいつには自尊心というものがないのかしら?)


 董艶妃は長いため息をついた。怒りを通り越してあきれ果てたという感じだ。


「仕方がないのー、暁蕾、なんとかしてやれ」


 (えっ! 今なんと?)


 暁蕾は耳を疑った。董艶妃が自分に丸投げ? そんなばかな。


「わらわの見たところ、お前たちは案外良い組み合わせではなかろうかと思うてな、どうじゃ? ふたりで協力してこの難局を乗り切るというのは」


 暁蕾は董艶トウエン妃が何を言っているのかよく理解てきなかった。たまらず抗議の声を上げようとした時、正面の甘淑かんしゅくが先に声を発した。


「ご、ご冗談をぉぉーっっ! この嘘つき娘と協力するですとぉーっ! いくら董艶トウエン様でも、お戯れがすぎますぞー」


「先ほどはその嘘つき娘に救われたのであろう。もう忘れたのか?」


「そ、それは……」


 痛いところを董艶妃に指摘されて甘淑かんしゅくは絶句した。


「よく聞け甘淑かんしゅく。お前が自分の口から生じた災いを、わらわを利用して切り抜けようなどと思わぬことだ。生き残りたいのであれば、すべてを捨ててわらわに忠誠を誓え。それができぬとあらば今すぐここを立ち去るがよい」


 董艶妃の声音こわねには何の感情も乗っていなかった。だがその淡々とした口調がかえって恐ろしさを倍増させている。甘淑の顔から笑みが消えた。自分の得意技である弁舌が通用しないことを悟ったのかもしれない、と暁蕾は思った。


 じりじりとする時間がすぎていく。緊張から暁蕾の喉がゴクリと鳴った。


「……お誓い……申し上げる」


 ゆっくりとした口調で甘淑が言葉をひねりだした。


「董艶様に忠誠をお誓い申し上げる」


 董艶妃は軽くうなずいた。


「では暁蕾、そちは御史大夫のところへ行け。あやつが何を考えておるのか探るのじゃ」


 董艶妃に言われなくても暁蕾は秀英のところへ行くつもりだった。いったいどんなつもりで秀英が自分に嘘を言ったのかどうしても確かめたかった。


「よかったな、小娘」


 そう言って甘淑はヒヒヒと笑う。


「何を言っておる、お前もいっしょに行くのだ。甘淑」


「へっ?」


 甘淑は間の抜けた声を出した。


「董艶様、もし今、私があの男のところへ行きましたならば、あやつは私を殺すでしょう。なにしろあいつの秘密をバラしたのですからな」


「だろうな。だが、わらわはそこまで鬼ではないぞ。御史大夫あての書状をしたためようぞ。もし殺されそうになったら渡すがよい」


「そ、そうですか。それは心強い」


 言葉とは裏腹に甘淑の顔は青ざめている。さきほど忠誠を誓ったことをすでに後悔しているのかもしれない。暁蕾は暁蕾で、甘淑といっしょに秀英のところへ行くのは気が進まない。だが秀英に真実を語らせるならこれぐらいの荒療治は必要だとも思えた。


 董艶妃が侍女を呼び、紙と筆を持って来させた。さらさらと文章を書きつけると封をして暁蕾に渡す。


「こいつが殺されそうになったら、御史大夫ぎょしたいふへ渡すがよい。まあ、お前がその気なら渡さずともよいがな」


 董艶妃はカラカラと笑った。甘淑の顔は青ざめている。苦手だった甘淑の弱みを握ることができて愉快極まりないといった感じだ。


 御史台へは翌日出向くことに決まり、暁蕾は作業部屋へ戻ることを許された。部屋に戻ると玲玲リンリンがいきなり抱きついて来た。


「暁蕾ーっ! 心配したーっ!」


 小柄な玲玲リンリンの顔が暁蕾の胸にぐいぐいと押し当てられる。玲玲リンリンの話によると炎陽宮えんようきゅうの女官がいきなりやってきて暁蕾からの手紙を読むように言ったとのことだった。玲玲リンリンが指の紋様を調べるための道具一式を手渡すとすぐに出て行ったという。何の説明もなかったとのことで心配でたまらなかったようだ。


「ごめんね。玲玲リンリン。心配かけて。この通り大丈夫だから」


 暁蕾は玲玲リンリンの頭を優しく撫でながら言った。

 

 

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