第47話 暁蕾、嘘をつかれる

甘淑かんしゅく様、この仕組みは宦官の方たちを救うためのにあるのでしょう? これほどまでに手間のかかる方法を取る必要がありますか?」


「物事にはふたつの側面がある。確かに生活に困っている宦官を援助するという目的もあるだろう。だがもうひとつの目的は宦官を支配し言いなりにさせることだ。翠蘭すいらん妃の賢いところはこの仕組みを自分だけのものとせず後宮全体に広げたことろなのだ」


(後宮全体にですって!)


 暁蕾は言葉を失った。それが本当なら自分たちが処理している大量の発注書は、そのほとんどが宦官へ賄賂を渡すための指示書だということになる。


(はっ! まさか董艶様も?)


 暁蕾は、反射的に董艶妃へ視線を向けそうになるのをなんとか思いとどまった。


「くだらん仕組みじゃ。こざかしいのおー」


 まるで暁蕾の心を見透かしたように董艶妃が言った。


「董艶さまーっ。もうおたわむれはよいでしょう。この甘淑かんしゅく、董艶様へお願いしたいことがありまする。申し上げてよろしいでしょうか?」


 甘淑かんしゅくは突然、董艶妃へ向かって頭をさげた。


「申してみよ」


 董艶妃は短く答えた。


「董艶様からの発注書、確かに受け取りました。今まで董艶様は我々宦官と距離を置いてこられた。さきほどご説明した仕組みも決して利用されることがなかった。ですが頂いた発注書の内容はまことに挑発的でございました。さすがは董艶様、だれも真似できぬ大胆さっ!」


甘淑かんしゅく様、話を先に進めてください」


 董艶妃の眉根が寄るのを見た暁蕾が口をはさんだ。


「……失礼。13年前の事件のとき我々宦官は一枚岩でした。今の皇太后、遥麗ようれい様を後押しすることによって事件の収束を図ったのです。結果、遥麗様は新しい皇后となり、ご子息であるジュ 楚成ジングル様が次の皇帝になられた。ところが皇帝陛下は皇太后様の意にそぐわぬ方を、皇后に選ばれた。それまで全く候補にも上がっていなかった范恋はんれん様です」


 暁蕾の頭に范恋はんれん皇后の情報が浮かび上がった。皇帝陛下によって皇后に指名されたときの身分は婕妤しょうよ、後宮での身分は四夫人、九ひんの更に下、董艶トウエン妃と同じではあるが、董艶妃のように特別扱いされていた訳ではない。


 甘淑かんしゅくは話を続ける。


「その直後、宦官の中に范恋はんれん様を支援する勢力が現れたのです。そして奇妙なことに後宮の貴妃様からの『支援金』は皇后派の宦官ばかりに流れるようになりました。さらにはその資金がどうやら槃麻はんまの購入に使われているらしいと判明しました。槃麻は宦官の間でどんどん広がり皇后派の宦官が皇太后派の宦官を槃麻漬けにし操る始末です」


「お前の話とは、宦官どもの醜い権力争いが起こっているので、わらわになんとかせいと言うことか?」


「めっそうもございません。董艶様にそのような厄介ごとをお願いするわけがございませぬ。董艶様への使者として私が選ばれたのは皇太后派、皇后派そのどちらにも属していないからなのです。つまりは自由に動ける身ということでございます」


「つまりはどちらにも取り入って利用しているのだな」


「ははは、董艶様もお口が悪い。私は平和主義者なのです。このままでは13年前と同じ悲劇が繰り返されるでしょう。しかしながらそれは私には預かり知らぬこと。問題はもうひとり私を頼っている男がおるということです」


「頼っているじゃと、そやつにも取り入ろうとしとるのか? 誰じゃ?」


 甘淑かんしゅくは、ははーっと平伏した後、上目遣いになって答える。


「御史大夫のフー 秀英シュインでございますー」


 (秀英シュインですって!)


 暁蕾は、目を見開いて甘淑かんしゅくの方を見た。甘淑かんしゅくは、暁蕾の視線に気がつくとニヤリと意地悪な笑いを返す。


「董艶様に献上つかまつった、香炉こうろ銀盒ぎんごう、あれは御史大夫から押し付けられたものなのです」


(えっ! 今なんて言ったの?)


「あの空き家事件の日、私は御史大夫ぎょしたいふと行動を共にしておりました。御史台ぎょしだいの単独捜査を嫌がった掖庭えきてい※は御史台の一員としてこの私を加えることを要求したのです。私が御史台の連中と一緒に空家へ踏み込んだ時、あの宦官は大量の槃麻を自ら飲み込んだ後でした。おそらく自分が追い詰められたことを悟ったのでしょう」


 ※注……掖庭えきてい 後宮の管理、犯罪捜査など行う宦官の機関


 暁蕾は、空き家に踏み込む深緑の袍服ほうふくを着た男たちのことを思い出していた。あの中にこの甘淑かんしゅくもいたというのか? 男たちは頭巾で顔を覆っていたので気が付かなかった。


「そして死んだ宦官は私たちに向かって言ったのです……ああ」


 甘淑かんしゅくは喘ぐように言葉を詰まらせた。何か恐ろしいものを見たように瞳を震わせている。


「何と言ったのだ? 申せ!」


 董艶妃の鋭い声音が響いた。


「溏帝国は終わりだ。お前たちはみな死ぬのだ――冥水様、万歳! と」


「なぜです! なぜそのことを秘密にしているのです!?」


 暁蕾は甘粛へ詰め寄って叫んだ。秀英シュインは自分たちが踏み込んだ時、骸骨男はすでに死んでいたと言った。暁蕾に嘘を言ったのだ。


「さあな、俺は事の次第を掖庭えきていへ報告した。だが宦官が最後に叫んだ一言だけは報告しなかった。つまりは『冥水様、万歳!』の部分だ。御史大夫ぎょしたいふから頼まれたのでな」


「なぜ、御史大夫ぎょしたいふ様がそのようなことを頼むのです?」


「俺が知るか、小娘。気になるならお前が直接聞けばいいだろう。お前はあいつのお気に入りなんだろ」


 甘淑かんしゅくは吐き捨てるように言った。


「それだけじゃあない、御史大夫は俺に香炉と銀盒ぎんごうの処理を依頼してきやがった。仕方なく俺は宦官から受け取った誰かが闇の市場へ売ったように偽装したというわけだ」


(そんな……なぜ?)


 暁蕾シャオレイの脳裏に秀英シュインの琥珀色の瞳と端正な顔立ちが浮かんだ。不安と困惑で頭がぐちゃぐちゃになりそうだった。


 


 

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