第50話 暁蕾、試合を見守る
甘淑は
「何の茶番だこれは?」
「もし、お前が俺を打ち倒すことが出来たら俺を裏切ったことを見逃してやると言っているのだ」
秀英はともかく、口だけの印象が強い甘淑が武道の心得があるとはとても思えない。当然断るだろうと暁蕾は甘淑の方を向いた。甘淑は秀英を睨みつけていたが、武器置き場へ向かってゆっくりと歩き始めた。
「甘淑様、まさか
「ははーっ、暁蕾。俺が口だけの役立たずだと思っているのだろう? 偏見をもつなと言っただろう」
からかうような口調で言うと、置いてある武器から槍のような長い棒を手に取った。
暁蕾の脳裏に電流のような何かが走った。皇城で行われた武術大会の記録。そこに記録された棒術の優勝者。名前は記載されていない。優勝者以外にもところどころ名前の記載がない出場者いるようだ。記憶を高速で検索すると身分の低い出場者の名前は削除されていることがわかった。
(まさか、甘淑様の名前も削除されているの?)
信じがたいことだが甘淑の自信ありげな態度からみて、相当な技量をもっているのかもしれない。
秀英と甘淑は手に持った武器を構えて向き合う。
「ずいぶんと偉そうな口をきくな、暁蕾に対して」
「気に食わぬか? 心配するな。こんな女に何の興味もない」
甘淑の言葉に
乾いた音が響き、甘淑の棒が秀英の木刀を受け止めた。秀英の攻撃は続く。左、右、左と次々に木刀を打ち込み、そのたびに甘淑が受け止め続ける。
一旦、秀英は攻撃を休止して甘淑の右に回り込んだ。次の瞬間、空気を切り裂くような音が響く。甘淑の棒が秀英の側面を襲ったのだ。棒のしなりを利用した速い攻撃だった。秀英は体勢を大きく崩しながらすんでのところでかわした。
(嘘でしょ! すごいんだけど)
暁蕾は声をあげることもできずふたりの動きを目で追っていた。秀英も甘淑も間違いなく武術の達人だ。だからこそ秀英は甘淑に試合を申し込んだのだろう。秀英が武術の心得がない甘淑に無茶な要求をしたのではないことがわかり暁蕾はほっとしていた。秀英にはそんな卑怯な行いをして欲しくない。そう願っていた自分の気持ちを自覚していた。
体勢を立て直そうと距離をとる秀英を甘淑が追撃する。棒の先をしならせると左右から打ち込む。今度は秀英が防戦に追われていた。木刀を盾のように左右に移動させて棒を受け止め続ける。
人気のない武道場にふたりの武器がぶつかり合う音が響く。秀英と甘淑、両者が一斉に踏み込んだ。棒と木刀がぶつかってふたりの前進を押し留める。足を踏ん張って相手を全力で押し込んでいく。
「うおっー!」
秀英が声を上げた。
甘淑の足がずるずると滑り後退していく。秀英も線の細い優男なのだが、それでも宦官の甘淑に比べれば筋肉がついているように見える。力勝負であれば秀英に有利だと思われた。
ふわりと秀英の体が浮いた。暁蕾も何が起こったのか一瞬分からなかった。甘淑が身をかがめて自分の足で秀英の足を払ったのだ。意表をつかれた秀英は身をよじりながら地面に叩きつけられた。
「甘いぞおおー、秀英!」
振り下ろされた甘淑の棒が秀英の顔をかすめる。甘淑の次の一撃を転がりながらかわした秀英は距離をとって立ち上がった。秀英のほおには棒がかすった傷跡が刻まれていた。うっすらと血が
「やはりお前はクズだ」
「よもや卑怯などと言うのではないだろうな? 俺にとって『卑怯』は褒め言葉なんだよ」
秀英は木刀を構えるとぴたりと動きを止めた。ふうーっと長い息を吐く。明らかに秀英の雰囲気が変わった。
(えっ! 何なのこの感じ?)
暁蕾は記憶をたどる。――狐のお面。あの時と同じだ。骸骨男を追って狭い路地に入り込んだあの時。秀英に背後から腕をつかまれたあの時。秀英の気配は全く感じなかった。
「休んでいる場合かあー!!」
隙ありと思ったのだろう、甘淑が棒を構えて猛然と秀英へ突進した。
(ダメ!)
暁蕾が心の中で叫ぶ。胸に当てた手のひらが懐の魚符を握りしめていた。甘淑の一撃は何もない空間に突き刺さった。秀英が目の前から消えた。
秀英は甘淑の背後にいた。秀英の動きは暁蕾には全く見えなかった。甘淑がはっとした様子で振り返るがそこに秀英の木刀が振り下ろされた。
木がへし折れるイヤな音が響いた。とっさに甘淑が差し出した棒が秀英の木刀で真っ二つに割られた。木材の破片が飛び散る。凄まじい衝撃で甘淑は地面に転がされた。
無表情の秀英が甘淑を見下ろしている。甘淑はまだ立ち上がることができない。秀英が木刀を大きく振りかぶった。
秀英が木刀を振り下ろそうとしたその瞬間――秀英の足元に人影が飛び込んだ。
「やめて! お兄様」
不意を突かれた秀英はよろめき自分の足にすがりつく女を呆然と見下ろす。
自分を兄と呼んだ声の主は暁蕾だった。
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