第45話 暁蕾、過去を知る

甘淑かんしゅくは、つかつかと暁蕾シャオレイに歩み寄ると耳元で言った。


「董艶様が別室で待っているので、俺とお前で一緒に来いと仰せだ」


「わかりました、参りましょう。約束は守ってくださいね、甘淑かんしゅく様」


 甘淑かんしゅくの赤い唇がなまめかしく光を反射した。


「なかなかいい芝居だったぞ、小娘。そうだお前のことを嘘つき女と呼ぶことにしよう。ぴったりだな」


 ヒヒヒと甘淑かんしゅくの笑い声が響く。


 (屁理屈女の次は嘘つき女か、いろいろ呼んでくれるわね)


 迎えの侍女に連れられて炎陽宮えんようきゅうの薄暗い廊下を歩く。白檀びゃくだんの香りがまた強くなった。


 廊下の突き当たりに扉があった。扉には植物の茎や葉が渦のように描かれており炎陽宮えんようきゅうの中でもことさらに異質な雰囲気だった。


董艶トウエン様、おふたりをお連れしました」


「入れ」


 侍女とともに部屋へ入る。部屋の壁は真っ白だった。真っ白な壁に鮮やかな色とりどりの幾何学的な紋様が描かれている。床には珍しい毛織物の絨毯が敷かれており赤い長椅子に董艶トウエン妃は腰掛けていた。


「待っておったぞ。さあ入るがよい」


 暁蕾と甘淑かんしゅくは、片膝をつくと供手の礼をとる。


「お前は下がってよいぞ」


 董艶トウエン妃のその言葉は侍女に向けられたものだ。案内人の侍女はうやうやしく礼をすると部屋を出て行った。


「ラーシア マッファザーイ イラ」


 董艶妃が理解不能の言葉を発した。


「ははーっ」


 甘淑かんしゅくが頭を深く下げた。


 (えっ! 今の言葉理解できたの?)


おもてを上げて、楽にせよと言ったのじゃ、頭を下げてどうする」


 董艶トウエン妃はうんざりした口調で言ったが、甘淑かんしゅくはうれしそうに顔を上げた。


「後ろに机と椅子を用意してある。そちらへ移動するがよい。わらわも同席してやるぞ」


 長方形の机を挟んで暁蕾と甘淑かんしゅくが向かい合って腰を下ろす。ふたりを横から見渡せる位置に董艶妃も腰を下ろした。


甘淑かんしゅくよ、やりたくもない芝居をして助けてやったのじゃ。そこにいる暁蕾シャオレイの問いに答えてやれ」


うけたまわりました」


 甘淑かんしゅく暁蕾シャオレイに視線を戻すと鋭い視線を送る。


「よいか小娘、今から話すことを聞いたらお前はもうただの下賎げせんな女官ではない。我々、宦官と同じ穴のムジナだ。覚悟せよ」


 宦官と同類になる覚悟など全くなかったが、暁蕾はうなずいた。


「全てを説明するには時をさかのぼらねばならない。今から13年前、宮城内で大事件が起こった。当時の皇后である蘭喬らんきょう様が自死されたのだ。蘭喬らんきょう様は宮城の官吏と密通していたことが発覚し、罰せられる前に自ら命を絶ったと言われている。さらにご子息である皇太子、朱翼シュヨク様は、人質として砂狼さろう国へ送られた。現在の皇太后、遥麗ようれい様は、当時4人いる后妃のひとりにすぎなかったのだが、宦官の後押しによって新しい皇后に選ばれた。ここまでは知っているな?」


 暁蕾の脳内に保管されているとう帝国の内部情報には当然その事件に関する情報もあったが、安慶あんけいの都でも噂で持ち切りとなり、幼かったころの記憶としてうっすらと覚えている。


「はい、承知しています」


 暁蕾が答えるのを確認してから甘淑かんしゅくは話を続ける。


「やがて新しい皇后である遥麗ようれい様のご子息が新しい皇太子に選ばれた。それが現皇帝陛下のジュ 楚成ジングル様だ」


 甘淑かんしゅくはここで一旦話を切って、董艶妃の方に視線を向けた。董艶妃が話を続けろというように軽くうなずいた。


「さて、ここまではよくある権力争いの話だ。問題は亡くなった蘭喬らんきょう様にはもうひとり娘、つまり公主こうしゅがいたという点なのだ。公主こうしゅのお名前は冥水めいすい様と言ったが、皇太子、朱翼シュヨク様とは別に火舎かしゃ国へ送られた。朱翼シュヨク様も冥水めいすい様も表向きは人質として送られたのだが、その実は国外追放だった。それぞれの国でもよい待遇は望めず、いずれ命を落とすだろうと誰もが思っていた」


 暁蕾は記憶を検索する。確かに朱翼シュヨク様が砂狼さろう国、冥水メイスイ様が火舎かしゃ国へ人質として送られた記録はある。だが暁蕾が訪れた書庫、天三閣てんさんかくにあった蔵書にはふたりがその後どうなったか、何も書かれていなかった。そこまで考えてはたと気が付いた。目の前にいる董艶妃は砂狼さろう国の出身なのだ。もしかしたら董艶妃は何か知っているのかもしれない。


 同じく天三閣てんさんかくの資料によると、前皇帝の時代に何人かの公主が隣国へ嫁いで行ったらしいので、嫁いで行ったのではないが冥水様もそのひとりとして扱われているのかもしれない。暁蕾がいろいろと思案していると甘淑かんしゅくの目が細くなった。


「冥水様は――我が溏帝国にとって最も危険な存在となった」


(えっ! どういうこと?)


 暁蕾は声こそ出さなかったものの、目を見開いた。


火舎かしゃ国では、以前より無明むみょう道という宗教が信仰されていた。どういう経緯かはわからないが冥水様は無明むみょう道の教祖となった。無明道は驚くべき勢いで勢力を拡大しやがて火舎かしゃ国の政治を支配することになったのだ」


「そんな情報はどこにも書かれていません!」


 とうとう暁蕾は、声を出してしまった。それほど信じがたい話だったからだ。


「当然だ、追放した公主が生きていて他国を支配しているなど不都合極まりないからな。このことは極秘となっている。それに無明道は決して政治のおもて舞台には出てこないのだ。火舎かしゃ国の民でさえ自国が支配されているなど思ってもいないだろう」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る