第43話 暁蕾、取引をする

「残念だったわね。あんたの味方はできないわ」


 雪綾セツリョウ暁蕾シャオレイに言った。周りの意見に流されず自分の考えを言えたことで気分がスッキリしたのだろう。


「いえ、大変助かりました。ありがとうございます」


 暁蕾は思った通りのことを言葉にした。


「皆さん、今ふたりの方に見ていただいた結果、この靴と品物に同じ紋様がついている可能性が高まりました。そしてこの靴に触れたのは、董艶様の靴を担当する侍女の方、――そして甘淑かんしゅく様だけなのです!」


 広間内にざわめきが広がっていく。


「え? どう言うこと?」


「まさか、甘淑かんしゅく様が?」


 暁蕾の目は暗がりにだいぶ慣れてきたところだったので、甘淑かんしゅくも自分たちを取り囲む輪の中まで入っているのを見逃さなかった。


「さあ、甘淑かんしゅく様、あなたの番ですよ! こちらへどうぞ」


 ちょうど明かりの影になっているので甘淑の表情は読み取れなかった。ただ重たい足取りながら甘淑は暁蕾の正面までやってきた。


「さっさとしろ。小娘」


 そう言うと甘淑かんしゅくは自ら麻布を被る。暁蕾との身長差があるため少し入りにくかったが、女官たちが手伝ってくれたのでちょうどいい空間となった。


「どういうつもりだ? 小娘。こんなことをしてお前に何の得がある?」


 布に覆われているので小声で話せば、外に会話の内容が漏れることはないだろう。甘淑の言葉遣いはあきらかに変化している。


「まずはご覧ください。甘淑様。ご自分の紋様を」


 暁蕾が差し出した水晶を受け取ると甘淑は、靴とふたつの品物を見比べ始めた。暁蕾のもつ盆の高さに合わせて前屈みになっている。


「そこではありません。そうです……いや、もう少し左です」


 甘淑のものと思われる指の紋様がある場所を、暁蕾は完璧に記憶している。自分の紋様を探して視線を彷徨さまよわせる必要がないため、いやでも同じ紋様であることがわかってしまう。甘淑は何も言わず、水晶を暁蕾に突き返した。


「こんなもの、今すぐ袖で拭ってしまえば消えてしまうだろう。いや今間違って触れてしまったことにしてもいい」


「そんなことをしては甘淑様のお名前に傷がつくだけです。すでにふたりの女官が紋様を確認しております。今そのようなことが起こって紋様が見れなくなったとなれば、甘淑様が自分の紋様がついていると認めたようなものです」


 甘淑は口をつぐんだ。長いまつ毛の下で怪しげな瞳の色が揺れている。


「靴についている紋様はふたつだ。そして董艶様の靴に触れた侍女はここにある品物には触れていない。したがって靴と品物その両方についている紋様は俺のものであるというわけか? よく考えたな小娘。ああ褒めてやってもいい。だがな、あくまでそれは論理的に考えて導き出された結論でしかない」


 甘淑かんしゅくが歪んだ笑みを浮かべているように暁蕾には見えた。


「もしかしたら俺の指には紋様がないのかもしれない。触れた部分にうまく紋様がつかなかったのかもしれない。そして靴と品物にはたまたま誰かの紋様がついていたのかもしれない。何とでも言い逃れできる。論理だけでは人を納得させることはできない」


甘淑かんしゅく様……」


 暁蕾はゆっくりと口を開いた。


「あなたの実際の指の紋様をとり見比べればいいのです」


「ふん! 誰が紋様など取らせるものか――いや待てっ!」


 甘淑かんしゅくは暁蕾がもつお盆に手を伸ばそうとした。さきほど使った水晶を素手で触っていたことに気が付いたからだ。


「水晶ならもうここにはありません。袋に入れ外の女官にお渡ししました。そして水晶はお渡しするたびに表面を綺麗に拭き取っているのです。それでも不足なら広間の中央にある机はどうでしょう。あの机は運ばれた後、女官が綺麗に拭いているのを見ました。そして甘淑様、あなたは机に手をついておられた」


「汚いぞ……小娘」


 甘淑かんしゅくは絞り出すような声で言った。


甘淑かんしゅく様、このことを御史台ぎょしだいに伝えたらどうなるでしょう? この手法はまだそれほど知られてはおりませんが、彼らは徹底的に利用して調べようとするでしょう」


「いったい何が望みだ? 小娘」


「私は事実が知りたいのです。なぜ宦官が殺されたのか? そしてあなたが炎陽宮えんようきゅうに来た目的は何なのか? 教えていただけますか?」


 甘淑かんしゅくはしばらくして口を開いた。


「……いいだろう、教えてやる。そのかわりこの場をうまくおさめよ。俺が不利にならないようにだ。それから董艶様と話をさせろ、俺は董艶様とふたりきりで話すことができない。お前が同席して3人で話をするのだ」


「承知しました。ではお耳を貸してください」


 暁蕾シャオレイは屈んだ甘淑かんしゅくの耳元に口を近づけるとコソコソと何かを説明し始めた。


「ねえねえ、麻布の下で何を話しているのかしら?」


「もー気になるーっ! まさか何かいやらしいことをしているんじゃないでしょうね」


「ありうるわ。あの甘淑かんしゅく様のことですもの。あの女官を口で惑わしていいなりにしてたりして、キャー!」


 周りを取り囲んだ女官たちが勝手な妄想を膨らませていたちょうどその時、さっとふたりを覆っていた布が取り払われた。


 甘淑かんしゅくと暁蕾は少し距離をとって向かい合っている。


 コホンと咳払いをひとつすると、甘淑かんしゅくが声を発した。


 


 


 

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