第41話 暁蕾、助手を得る

「さっきから黙って聞いていれば、指の紋様だー? そんなものが何になる? そもそもそんな紋様の話なぞ聞いたことがねーなー」


「ご自分の指の紋様をご覧になったことはありませんか? ここまでハッキリとではなくても汚れた指で何かを触った時に指の跡が付いたことがあるはずです」


「俺はなー綺麗好きなんだよ。汚れた指で何かに触れることなんぞないね」


 甘淑かんしゅくの声は広間によく響く。しかも甘淑かんしゅくは宦官の中でもいちにを争うほどの美貌の持ち主だ。平凡な容姿の宦官がこのような粗暴な言動をすれば幼稚な人間として嫌われるのだが、甘淑かんしゅくの場合は容姿と言動のずれが魅力的に思えてくるから不思議だ。


 おそらく甘淑かんしゅくは自分が他人からどう見えるのか徹底的に研究しているのだろうと暁蕾シャオレイは思った。顔の表情の作り方、声の調子、仕草、その全てが計算されており訓練されている。


甘淑かんしゅく様! その生意気な娘をやっつけて!」


「董艶様も甘淑かんしゅく様を試しておられるのに違いないわ」


(おい、おい、この宦官はさっきまで董艶様の靴を犬のように咥えていたんだけど)


 目先の展開で簡単に心が動かされてしまう女官たちに暁蕾シャオレイは呆れるほかない。


「鎮まれ!」


 董艶トウエン妃の声だった。ざわざわとしていた広間が一瞬で静かになる。


「暁蕾、続けよ」


 董艶トウエン妃の助け舟に乗って話を再開する。


「皆さん、ご自分の指をよくご覧ください。うずのような紋様が刻まれていませんか?」


 女官たちの一部は自分の指先をまじまじと眺める。そんなこと知っているとばかりに鬱陶うっとうしそうな視線を向けてくるものもいる。


「この紋様は人によって形が違うのです。例え双子であろうと必ず違う紋様なのです。皆さんお一人お一人必ず違う模様、皆さんの個性なのです」


 何人かの女官が、ほうーとうなずくのが見えた。少しでも反応があれば上々と言える。


「ごく最近のことですが、遥か西方の異国よりある技法が伝えられました。その技法とは、人が触れてついた指の紋様を誰のものか判別できるようにするというものです。先ほど甘淑かんしゅく様にお伝えしましたように墨などが指について何か白いものに触れてしまえば指の紋様は付きます。ただそれでは指の紋様はつぶれてしまい判読困難な場合が多いでしょう。では指に何もついていない時には触れたものに紋様はつかないのでしょうか?」


 暁蕾シャオレイはここで一旦言葉を切る。先ほどより多くの女官が興味深そうに耳を傾けている。


「実は目には見えなくても触れたものに指の紋様が付いているのです。なぜなら皆さんの指先には普段から少しの油がついているからです。皆さんが無意識に髪の毛や顔に触れたときに油分がついているのです。この油が触れたものに指の紋様となって跡をつけているのです」


「まてまて、小娘ーっ! 油だとー。指に油などついていたら滑ってしまうだろうが。適当なことを言うな」


 甘粛が芝居がかった声音で反論する。


「今から、皆さんにもご覧いただきます!」


 暁蕾シャオレイは大きな声で呼びかける。急いで刷毛を取り上げて筒に突っ込み白い粉を付けた。目の前にあるふたつの品のうちまだ粉がついていない方、金メッキの銀盒ぎんごうの表面を刷毛でなぞった。いくつもの紋様が白く浮かび上がった。だが銀盒ぎんごうは小さな円形の化粧箱であり離れている女官たちには見えないだろう。


董艶トウエン様、蝋燭を消して部屋を暗くしていただけますか? 全部消すと危ないので薄暗くなる程度で大丈夫です」


「言われた通りにしてやれ」


 広間を明るく照らしていた、たくさんの蝋燭のうち半分程度が吹き消された。同時に暁蕾シャオレイは香炉と銀盒ぎんごうをそれぞれ片手に持つと頭上に高く掲げた。


 広間が一気に暗くなり、女官の息をのむ声が聞こえた。暗くなったことによる不安の声と共に目の前の光景に驚いた声も混ざっていた。


 香炉と銀盒ぎんごうの表面には黄緑色の点がいくつも浮かび上がっていた。


「何なの? 怖い」


「どんな幻術を使ったの?」


 広間の女官たちの間に不安と驚きがじんわりと広がっていくのが暁蕾シャオレイにはわかった。まだまだこれでは弱い。仕上げに移る必要がある。お盆に香炉と銀盒ぎんごう、靴、拡大鏡の水晶、そして机に敷かれていた綿麻めんあさの敷物を載せる。


「誰か、足元を照らして下さりますか?」


 反応はない。暗闇をひとりで進むしかない、そう思った時、背後から蝋燭が差し出され足元が照らされた。驚いて背後を振り向くと細く鋭い目が暁蕾に向けられていた。背の高い飾り気のない顔の女官、いつも炎陽宮えんようきゅうの門で暁蕾シャオレイを出迎えてくれる侍女だった。


雪玲シューリンと申します。さあ参りましょう」


「え、あ、ありがとう」


(董艶妃から指示されたのかな? いや今はそんなことどうでもいい、助かったわ)


 暁蕾シャオレイは、雪玲シューリンに足元を照らしてもらいながら広間の中央から壁に沿って立っている女官たちのもとへ歩を進める。最初から反応の良かった女官を選んで声をかけた。


「さあ、ご自分の目でご覧になってください。この水晶を使えばより大きくして見ることができます。まずやってみましょう! 雪玲シューリンさんお盆を持っていただけますか?」


 雪玲シューリンにお盆を預けると自由になった両手を使って水晶の使い方を実演してみせる。


「うわーっ、すごーい! 大きくはっきり見えるわ!」


 女官は興奮して歓声を上げた。


「さあ、この布を頭から被って光を遮りましょう。もっともっとよく見えますよ! 品物には触れないでくださいね。紋様が消えてしまうので」


 暁蕾シャオレイはお盆から綿麻めんあさの布をとると広げて女官の頭に覆い被せた。雪玲シューリンに布の端を持っておいてくれと指示すると、受け取ったお盆を持って布の下に潜り込む。光は遮断され暗闇が女官と暁蕾シャオレイを包み込んだ。


 香炉、銀盒ぎんごう、靴、それらについている指の紋様がぼんやりとした光を放って浮かび上がった。

 

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