第40話 暁蕾、捜査を進める

「この水晶は何じゃ?」


方大鏡ファンダージンです。かざすと小さいものが大きく見えます。こうやって二つの指でつまみ拡大したい部分にあてて調整するのです」


 暁蕾シャオレイから使い方を教わった董艶トウエン妃は、水晶を香炉の表面に近づけたり、遠ざけたりしながらよく見えるように調整し始めた。


「ほう、これはよいな。ほうほう、よく見えるぞ!」


「その香炉の表面には、香炉を素手で触った人間の指の紋様がベタベタとついているのです」


「何だか汚いのう。もっと我が宮の備品も綺麗に拭かせねばならん。まあよい、説明を続けよ」


「かしこまりした。重要なのはその紋様が人によって必ず違う紋様になるということです。また紋様は生まれてから生涯変わることがないのです。つまり、その紋様が誰の紋様かわかれば、誰がその香炉を触ったのかわかるということなのです」


 暁蕾シャオレイはここで一旦言葉を切り、甘淑かんしゅくの方を見る。甘淑かんしゅくは相変わらず憎悪に満ちた目で暁蕾シャオレイの方を睨みつけていたが、瞳にともる光がわずかに揺らいでいるのがわかった。


董艶トウエン様、大変おそれ多いのですが、先ほど甘淑かんしゅく様が口で咥えた靴をお貸しいただけるでしょうか?」


「控えよ! 董艶トウエン様に失礼であるぞ」


 董艶トウエン妃のかたわらに控える侍女が叱りつけるように声を上げるが、董艶トウエン妃はそれを手で制した。


「ほう、お前が何をしたいのかわかってきたぞ。面白い、試すがよい。靴を脱がせよ」


 侍女がひざまずいて董艶トウエン妃の靴に手を伸ばそうとする。


「お待ちください! それでは侍女の方の紋様がついてしまいます。私が承ります」


「おお、そうであったな。では暁蕾シャオレイ、お前が受け取るがよい」


 衣装の端から形のよい脚が持ち上げられて先ほどの靴が姿を現す。金メッキの施された香炉と違い、靴は布で出来ている。光沢のある凹凸の少ない生地で作られているものの、何ヶ所か刺繍が施されており紋様はつきにくはずだ。暁蕾シャオレイは不安を感じた。


 甘淑かんしゅくが口に咥えた靴を董艶トウエン妃はそのまま履いた。侍女が靴を拭いたり、別の靴に履き替えたりしなかったのは、おそらく自分の力を見せつけるための一連の流れを途切れさせたくなかったのだろう。そう言った意味で運は自分に向いている、暁蕾シャオレイはそう自分に言い聞かせた。


 (お願い、ちゃんとついてて)


 絹の手袋をした手で慎重に靴を脱がせる。董艶トウエン妃の足から何とも言えない甘い香りが漂ってきた。無事に靴を脱がせることに成功して盆にそっと置く。すぐさま侍女が董艶妃のもう片足の靴を脱がせると両足に別の靴を履かせた。


 刷毛をもう一度、筒のなかに入れて白い粉をつける。董艶トウエン妃の靴を刷毛で慎重に撫でた。


 靴の側面に紋様が浮かび上がった。成功だ。香枦と違い、紋様の数が少ない。これなら判別は容易そうだと暁蕾は安堵した。


董艶トウエン様、水晶を御返し頂けますでしょうか?」


「その白い粉はどういう物なのじゃ?」


 暁蕾に水晶を返しながら董艶トウエン妃が尋ねた。


「これは明礬みょうばん※といわれる土の一種です」


 ※注……アルミニウムのこと


 暁蕾は、慈善販売会を開催するにあたってあることをとても怖れていた。それは商品の盗難だ。万が一盗まれた場合のことを考えて対処法方をいろいろ考えた。


 そのひとつが指の紋様を使って盗品であることを証明すること、そして犯人を特定することだった。この手法は遥か西方の国から極最近伝わったものである。溏帝国においても知っているものはほとんどいない最先端の技術であった。


 幸い明礬みょうばんは溏帝国で染料として使われていたため、青鈴チンリンに頼んで入手してもらった。水晶については暁蕾シャオレイが文書の細かい字を見るときに使っていたものだ。


「土とな? 不思議な土もあるものじゃ」


 董艶トウエン妃は感心したように言った。


 暁蕾シャオレイは靴についた指の紋様を水晶で観察した。ふたつの紋様がついている。貴妃は自らの身の安全のため身につけるものは特定の侍女にしか触らせない。したがって靴についている紋様のひとつはその侍女のものだ。そしてもうひとつは先ほど靴を触った甘淑かんしゅくのものとなる。


董艶トウエン様、ひとつ質問させていただいてよろしいでしょうか?」


「よいぞ、何なりと聞くがよい」


「董艶様に靴を履かせた侍女は、こちらにあるふたつの品に触れてはおりませんね?」


「わらわの靴を担当する侍女とそれらの品を取り扱った侍女は違う侍女じゃ」


 董艶トウエン妃の答えを聞いて暁蕾シャオレイは小さくうなずいた。


「ありがとうございます。これで甘淑かんしゅく様ともう一度話ができます」


 暁蕾は、香枦と銀盒ぎんごう、それから董艶トウエン妃の靴、水晶が載ったお盆を持って再び広間中央の机に向かう。


「ずいぶんと待たせてくれたな、小娘」


 机の向こう側には苛立たしげな様子の甘淑かんしゅくがいた。


「申し訳ありません、甘淑かんしゅく様。あなた様の仰る通り私は宦官の皆さまに対して偏見を持っておりました。偏見をなくすために必要なものはなにか? それは客観的な事実でございます」


 甘淑かんしゅくは黙って暁蕾を睨み付けている。ただその額にはうっすらと汗がにじんでいた。


「さて甘淑かんしゅく様、こちらにある董艶トウエン様の靴に明礬みょうばんをふりかけましたところ、ふたりの人物の指の紋様が浮かび上がりました」


 暁蕾は手のひらで靴を指し示す。


「ひとつは、董艶トウエン様の侍女のもの、そしてもうひとつはあなた様のものです」


 甘淑かんしゅくの眉間にシワが寄る。

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