第39話 暁蕾、証明を始める

「もう降参かぁー。小娘ぇー。まだ何も明らかになってはいねぇーぞ」


 暁蕾シャオレイは黙ってうつむいている。


董艶トウエン様ぁ〜っ。この通り小娘は降参致しました。ご褒美をいただけますかぁー」


 董艶妃は、団扇うちわで顔を覆ったまま微動だにしない。


「あっ、そうだ!」


 不意に暁蕾シャオレイが顔を上げて叫んだ。


「ここにあるふたつの品についてですが……」


 甘淑かんしゅくは急に喋り出した暁蕾シャオレイを鬱陶しそうな目で見下ろした。


「私は慈善販売会で売る値段をつけるのにとても悩んだのです。ですので闇の市場でどれほどの値段で売られていたのかとても気になります。甘淑かんしゅく様、ぜひともお教えください」


「お前はいくらの値段をつけたのだ?」


「香炉が30貫、銀盒ぎんごうが25貫です」


 甘淑かんしゅくはフンと鼻を鳴らした。


「さあな、小娘ぇーっ。俺は死んだ宦官がそれらの品を高値で売ろうとしていたことは知っておるが、いくらで売られておったのかは知らん。どうせ俺に答えさせて、どうして知っているのですかーっなどと揚げ足を取ろうと思ったんだろう。そんな手には乗らねーよ」


「そうですか。甘淑かんしゅく様が売るように命じられたのではないのですね?」


 暁蕾はなんでもないことのように軽い調子で言った。


 暁蕾シャオレイの言葉に甘淑かんしゅくはポカンと口を開けたがみるみると眉が吊り上がっていった。それはそうだろう、偏見を持ってましたごめんなさいと言ったばかりなのに、またしても偏見まみれの言葉を吐いたのだから。


「全然反省してねーじゃねーかぁー! この偏見まみれのドブネズミがぁぁー!」


 憎悪のこもった瞳を暁蕾シャオレイに向けながら甘粛は叫んだ。


「30貫? 25貫? どうでもいいねーっ! お前は翠蘭スイラン様の品を売って小銭稼ぎしただけだろーっ。庶民の金を巻き上げて何が慈善だ。迷惑なんだよ。見たこともない品で小銭稼ぎしましたかーって濡れ衣を着せようとしやがって」


「――見たことがない?」


 暁蕾シャオレイの顔から表情が消える。すぅーっと立ち上がった暁蕾は董艶トウエン妃の方へ向き直った。


董艶トウエン様、お願いがあります。私の作業部屋から持って来てもらいたいものがあるのです! 部屋にいる玲玲リンリンに手紙を書かせてください」


「よかろう。準備してやれ」


 団扇越しに董艶トウエン妃の声が聞こえた。


 すぐさま紙と筆が用意され、暁蕾シャオレイの目の前に置かれた。暁蕾シャオレイは筆を持つとサラサラと文章をしたためる。女官が暁蕾シャオレイから手紙を受け取ると広間を出ていった。


「董艶様〜っ、この娘は一旦私に降参するようなことを言いながらこのような悪あがきをするとは納得いきませぬ」


「なんじゃ? お前の舌にかかれば小娘の浅知恵なぞ怖くはなかろうと思うたが違うのか?」


「もちろん怖くなぞございませんよ〜。大丈夫です。お任せくだされ〜。ただ、くれぐれもご褒美のことお忘れにならないでくださいね〜」


「くどいぞ! そこの椅子に座って大人しくしておれ」


 甘淑かんしゅく董艶トウエン妃と話せたことがうれしかったらしく、上機嫌で椅子に腰掛けた。暁蕾シャオレイも机を挟んだ向かい側の椅子に腰掛ける。作業部屋へ向かった女官が帰ってくるまで少し時間があった。広間の集まった女官たちから暁蕾シャオレイへの非難の声が聞こえてきた。


「何をするつもりなのかしら。董艶様を待たせるなんて図々しいったらありゃしない」


甘淑かんしゅく様に言い負かされたくせに、往生際が悪い娘ね」


 暁蕾シャオレイは自分が持っていた偏見については素直に反省していた。その上でこれが偏見でないことを証明せねばならないと感じていた。


 広間の扉が開き木の箱を持った女官が入って来た。


玲玲リンリンという女官からこの箱を預かってまいりました」


暁蕾シャオレイ、受け取って中身を確かめるがよい」


 董艶妃の言葉にうながされて、暁蕾シャオレイは箱の蓋を開けて中身を取り出した。銀で出来た円筒の入れ物、木製の小さな刷毛はけ、磨かれた水晶、絹の手袋、必要なものは全て揃っている。


「皆様、お待たせ致しました。始めます」


 まず、暁蕾は絹の手袋を両手にはめる。それから目の前にあるふたつの品、香炉と銀盒ぎんごうをそっと持ち上げると自分の手元に引き寄せた。


 次に円筒形の入れ物の蓋を取った。刷毛の先を入れ物のなかに突っ込んでから引き出すと刷毛の先に白い粉が付着しているのが見えた。


 暁蕾は刷毛でふたつの品の表面を優しくなで始めた。品物の表面に白い紋様が浮かび上がる。


 目の前の少し離れた場所から甘淑かんしゅくが何事かと睨み付けている。広間にいる誰もが暁蕾が何をしようとしているのか理解出来ていない様子であった。


「これらの品を董艶トウエン様にもご覧になっていただきたいのです」


「よいぞ、お前が持って参れ」


 董艶トウエン妃の言葉で取手のついたお盆が用意された。暁蕾は慎重な手付きでふたつの品を盆に乗せると董艶トウエン妃が腰かけている長椅子の前まで進み出た。長椅子の前に用意された机に盆を載せると片膝をつく。


 優雅な所作で董艶トウエン妃は立ち上がると盆に顔を近付けた。


「それで浮き上がっておるこの紋様はなんじゃ?」


「それは人の指先にある紋様でございます」


「指の紋様じゃと?」


 董艶妃はさらに顔を近づけて目を細めた。


「確かにそれっぽく見えんこともないが、小さくてよく見えんのぉー」


「ではこちらの水晶をお使いください」


 暁蕾シャオレイは中央部が膨らんだ透明な水晶を差し出す。まるで董艶トウエン妃の反応を予測していたかのような素早さであった。

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