第37話 暁蕾、議論に挑む

 (甘淑かんしゅく甘淑かんしゅく、どこかにこの男の情報はないかしら?)


 もう一度、目の前にいる美形の宦官に関する情報を検索してみる。一つの情報が暁蕾シャオレイの頭に浮かんで来た。それは皇城の役人が作成した覚書だった。


甘淑かんしゅく、律令格式(溏帝国における法律)を熟知しており詭弁きべんろうするので注意。悪魔のごとき舌を持ち、相手を言い負かす』


 何となくこの男が送り込まれてきた理由がわかってきた。この男――菅淑は交渉の専門家なのだ。特殊な性癖はあるもののおそらくは宦官の中で、いや溏帝国で一番口がうまい男なのかもしれない。


 董艶トウエン妃の反応から見て、甘淑のようなタイプは苦手なのだろう。毒を持って毒を制す。どこからか知らないが、秀英シュインに屁理屈女と呼ばれる自分の評判を聞きつけた董艶トウエン妃は自分の代わりとして甘淑と交渉させることを思いついたのではないか? 暁蕾シャオレイはそう考えた。


「ご褒美をいただけますか?」


 甘粛は董艶トウエン妃を上目遣いで見上げると甘えた声で言った。


董艶トウエン様のお望みとあらば、この甘淑。この娘を全力で打ちまかしましょう。でもでもご褒美があればもっともっと力が湧くのです〜」


「何が望みじゃ?」


 董艶トウエン妃は甘淑かんしゅくの方に視線を向けることもなく、吐き捨てるように言った。


「決まっておりまする〜。炎陽宮えんようきゅうに必要ない武器のたぐいではなく、我々が董艶トウエン様にご提供できる品をご注文くださることです〜。それと前からお願いしておりまする中常侍ちゅうじょうじ様とのご面談もお願いできればと」


 甘淑かんしゅくが発する言葉は妙な節回しに乗せられており、聞いていると変な気持ちにさせられる。さすがの董艶トウエン妃も調子を狂わせてしまうのかもしれないと暁蕾は思った。


「もうよい、お前の望む通りにしてやる」


 董艶トウエン妃はこれ以上耐えられないというように片手をあげて制した。


「さてと、董艶トウエン様のお許しも出たことだしやるとするか。それで……俺に何が聞きたい?小娘」


 満面の笑顔から一瞬で無表情に戻った甘淑かんしゅく暁蕾シャオレイに尋ねる。


 そうだ、まずは質問を考えなければならない。死んだ骸骨男が宦官であったのは間違いない。ならば空家で起こった事件について甘淑かんしゅくが知っている可能性は高いだろう。だが、今目の前には骸骨男が購入したふたつの品物が並べられている。まずはこの品物について聞くべきか。暁蕾シャオレイは考えをまとめていく。


「この香炉こうろ銀盒ぎんごうは私が宦官の方に売ったものです。ご存知でしたか?」


「もちろん知ってるさ。お前が相場よりも安く売ってこいつは闇の市場で高く売るつもりだった。そして死んだ。お前は人助けのつもりでやったことかもしれないが、結果的に悪事に利用された。責任を感じるだろう?」


 広間にざわざわとしたどよめきが拡がる。甘淑かんしゅくが「知らない」と否定するだろうと思っていた暁蕾シャオレイは虚をつかれた。


「今、甘淑かんしゅく様は『売るつもりだった』とおっしゃいました。死んだ宦官がやろうとしていたことは彼と彼からそのことを聞いた人間しか知らないはずです。あなたは彼とお知り合いだったのですか?」


「はっはーっ、小娘。お前は俺が死んだ宦官と仲間だったのかと聞きたいのだろう?ないな、ないない。そいつはもともと掖庭えきていに目をつけられていたワルだ。俺はこう見えても上位の宦官だからな。掖庭えきていから情報は入ってるんだよ」


 まさに『あー言えばこう言う』で即座に言い返してくる。まことにうっとしい。もしかしたら自分も相手にこう思われているのではないか?暁蕾は少しだけ反省の気持ちを感じていた。


「この商品を買った宦官は殺されたのだと、私は考えています。甘淑かんしゅく様はどう思われますか?」


 暁蕾シャオレイは少しだけ切り込んでいくことにした。甘淑かんしゅくの赤い唇が歪んだ。


「ほう、物騒なことを言う娘だ。俺の意見を聞く前にお前がそう考える根拠を言ってみろよ」


 秀英シュインの部下は骸骨男の検視をした結果、薬物中毒で死んだと結論づけた。宦官の捜査機関である掖庭えきていも同じ結論に達したはずだ。暁蕾シャオレイが殺害説をとる理由はふたつある。


 まずひとつ目は、空き家から薬物やその痕跡が見つからなかったことだ、もし骸骨男が自分で所有している薬物を飲んで死んだのなら残りの薬物やその入れ物が見つかるはずだ。そしてもうひとつは男が持っていたはずのふたつの品物が無くなっていたことだ。現場には慈善販売会の籠だけが残されていた。


 薬物も品物も誰かが持ち去った可能性が高い。骸骨男以外の誰かがあの空き家にいたのだ。そしてその誰かが骸骨男に薬物を飲ませて殺したのではないか。


「ある方から得た情報によると、宦官の死因は薬物中毒とのことです。そして現場からその薬物や入れ物は見つからなかったのです。また今ここにあるふたつの品物も現場からなくなっていました。宦官に薬物を飲ませて殺害した人物が持ち去ったと考えるのが自然ではないでしょうか?」


 秀英シュインの名前こそ出さなかったが、空き家を最初に捜索したのは御史台ぎょしだいだ。暁蕾シャオレイには自分の発言が、自分と御史台がつながっていることを認めた危険なものだという自覚があった。


 甘淑かんしゅくの目が細められた。瞳に動揺の色は浮かんでいないが、口の端がわずかに上がったように見えた。


「おいおい、お前何者だー。ははーん。御史大夫ぎょしたいふか? お前あいつの女だろ?」


 (あいつの女ですって!)


 暁蕾シャオレイは顔がかっと熱くなるのを感じた。

 

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