第34話 暁蕾、呼び出しを受ける

 紅玉宮こうぎょくきゅうの倉庫整理が一段落し、暁蕾はいったん従来の仕事に戻ることになった。


 指導係の氷水びんすいからは勝手に紅玉宮こうぎょくきゅうの仕事をしたことに小言は言われたが、罰せられることはなかった。


 おそらくそちらも秀英シュインの根回しがあったのだろう。暁蕾にはひとつ気になっていることがあった。それは泰然タイランに渡した炎陽宮えんようきゅうからの発注書のことだった。


 とても後宮で必要とは思えない弓と矢、それに火薬の原料、それらが記載された危ない発注書を泰然タイランに渡してからしばらく時がたっていた。泰然タイランはその発注書を皇城の調達係へ提出したと言っていた。皇城からは今のところ何の反応もない。やっぱり変わり者貴妃のイタズラということで無視されたのだろうか?


 数日後、発注書を取りに行った玲玲リンリンが慌てて作業部屋に入って来た。


「大変、暁蕾シャオレイ! 炎陽宮えんようきゅうから手紙が来てる」


 そう言って玲玲リンリンは一枚の紙を暁蕾シャオレイに差し出した。


『下級女官 暁蕾。◯月◯日◯の刻、炎陽宮えんようきゅうへ参内せよ』


 紙に記された文章は簡潔でとても情報が少ない。それでも炎陽宮えんようきゅうの印が押されており偽物とは思えなかった。


「今度は何だろう?」


 玲玲リンリンが不安げな表情で暁蕾を見てくる。


「品物が全然届かないから董艶トウエン様がお怒りなのかも」


 もともと気になっていたことなので暁蕾にとってはついにきたか、という感じではあった。


「でも暁蕾は発注書をちゃんと皇城に届けた。後のことは暁蕾の責任じゃない」


「まあ、まだ叱られるって決まった訳じゃないし、もしそうだとしてもちゃんと説明すれば分かってもらえるよ」


 そう暁蕾シャオレイは答えたものの董艶トウエン妃を説得する自信はなかった。


 約束の日時はすぐにやって来た。暁蕾は北宮の渡り廊下を進み、炎陽宮えんようきゅうの門を叩いた。炎陽宮えんようきゅうの外壁に塗られた鮮やかな青色は何度見ても暁蕾シャオレイの心をざわつかせる。この宮の内部で、何か得体の知れないものが蛇のようにトグロを巻いて待ち受けている。そんな気がしてならないのだった。


 扉が開いて、見覚えのある侍女が顔を出した。細く鋭い目が暁蕾に注がれた。相変わらず飾り気のない顔だと暁蕾は思った。


「お待ちしておりました。お入り下さい」


 暁蕾に名乗る時間を与えず侍女は言った。事情は把握しているので早くついて来いということだろう。


 紅玉宮こうぎょくきゅうの内部は、以前にも増して禍々まがまがしい雰囲気だった。


 ――白檀びゃくだんの香りだ。


 まず一番にそう思った。前回来た時は、嗅いだことがない刺激的な香りがしていたが、今回は違う。香りの記憶として骸骨男の異様な死に様が頭に浮かぶ。まさか、ここ炎陽宮えんようきゅうでも槃麻はんまが使われているのではないか?嫌な想像が頭をかすめた。


 応接間では、董艶トウエン妃がすでに着席していた。金の糸で縫われた艶やかな衣装を身につけている。顔の下半分は黒のレースで隠されているが、色とりどりの宝石を散りばめた首輪に目を奪われる。黒い布を頭に巻き付け、唯一見える青い大きな瞳が、入ってくる暁蕾シャオレイに向けられていた。


 董艶トウエン妃の正面の床に膝を付き拱手の礼をとる。


「突然、呼び出して悪かったのお」


 董艶トウエン妃は言葉とは裏腹に楽しそうな口調で言った。


「いえ、滅相もないことです」


 暁蕾シャオレイは床に視線を向けたまま答える。


「お前が泰然タイランへ渡した発注書の効果がようやく現れたようじゃ。せっかくじゃからお前にも見せてやろうと思っての。ああ、何もせずとも良い。そこで一部始終を見届けるのじゃ」


 董艶トウエン妃の言葉が終わると、侍女のひとりが暁蕾シャオレイに近づくと「こちらへ」と言った。立ち上がり侍女についていく。部屋の奥の壁沿いに長椅子があり、座るように命じられた。


 (いったい、何が始まるの?)


 董艶妃の見せたいものとは何だろうと考えるが、全く想像がつかない。なんだかロクでもないことが起こる予感しかしない。改めて董艶トウエン妃の姿を見ると前回より肌の露出が大幅に少なかった。もしかして来客があるのだろうか?


甘淑かんしゅく様がいらっしゃいました」


 暁蕾シャオレイの予想を裏付けるように女官が告げた。


『かんしゅく』とは誰だ? 暁蕾は自分の脳内にある膨大な情報に検索をかけた。即座に『かんしゅく』という名を持つ人物の情報が弾き出された。


 該当する5名のうち、3人は平民で無関係だろう。のこりふたりのうちひとりは、尚書省の役人でもうひとりは――


 ――宦官だ!


 それもかなり高位の宦官だった。胸の奥でザワザワと動揺がひろがるのがわかった。


 (いったいどっちなの?)


 役人の方であって欲しいと願いながら広間の入り口に目を凝らしていると、すぅーっと滑るようにひとりの男が入って来た。


 その男を一目見て暁蕾は絶望的な気持ちになった。「袍子パオツ」と呼ばれる灰色の長衣を身に付け、耳当てが垂れ下がっている同じく灰色の帽子を被ったその姿が、どこからどう見ても「宦官」そのものだったからだ。


 ところがだ。次の瞬間、暁蕾は意外なものを見た。その宦官の顔はとても美しかったのである。


「ああーっ、董艶トウエンさまーっ!やっとお会いすることができましたーっ!」


 甘淑かんしゅくというその宦官は、董艶トウエン妃の前に来るなり、ひざまずき感極まったような声をあげた。


 董艶トウエン妃の眉間にみるみるシワが寄った。

 

 

 

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