第33話 暁蕾、上奏文を受け取る

「皇城の清掃係、フー爺さんの間違いじゃないよな?」


「違います!誰ですかフー爺さんって?」


 泰然タイランは、うーんとうなって腕組みをした。しばらくうんうん言っていたが、突然目を開けて言った。


「お前とフー 秀英シュイン、どこに接点がある?いったいどうやって出会うのだ?」


 ここまで話したのだ、出会いくらいは説明してもいいだろう。そう思った暁蕾シャオレイは、秀英シュイン花鳥史かちょうしとして自分の家を訪ねてきたこと。秀英シュインに命じられて後宮女官になったこと。後宮の通用門で偶然再会したことを順を追って話した。


「俺はフー 秀英シュインという男を良く知らんのだ。御史大夫ぎょしたいふの役職は長らく空席となっててな。俺が左遷されたのとちょうど入れ替わりで秀英シュイン御史大夫ぎょしたいふに就任したのだ」


「お会いされたことはあるのですか?」


「ねーよ。こんな下っ端役人が会えるわけねーだろ」


 ふと暁蕾は、泰然タイランの部屋の床に落ちている紙の束に目をやった。もはや泰然タイランの趣味となっている上奏文じょうそうぶんの束だ。


「いいことを思い付きました。泰然タイラン様、上奏文を書いて下さい」


「何だと?」


 泰然タイランいぶかしげな視線を暁蕾シャオレイに向けた。


「ほら、私が御史大夫様へ持って行ってあげますよ。皇帝陛下へ直接は無理でも、もしかしたら御史大夫様が皇帝陛下へ届けてくださるかもしれないじゃないですか?」


「バカを言え。皇帝陛下へ直接申したてまつるから『上奏文』なんだよ。なんであんな若造にお願いしねえとならねえんだよ」


 泰然タイランは不満げに言うと頭をボリボリと掻いた。かつて皇帝を諌める諌議大夫かんぎたいふだったという矜持きょうじが残っているのかもしれないと暁蕾シャオレイは思った。


「我が国の民をお救いになりたいのではなかったのですか?」


 暁蕾シャオレイ泰然タイランの顔を真正面から見据えてはっきりと言った。口調も先ほどまでの何処かふざけたものではなく真剣なものに変わった。泰然タイランの目が驚きで見開かれる。


「……何の話だ?」


 泰然タイランは、暁蕾シャオレイの視線から逃れるように横を向くと、苦しげに言葉を吐き出した。巨体が心なしか小さく見えた。


「溏帝国の……この国の民は苦しんでいます。重い税金、度重なる自然災害、北方からの異民族の侵入と略奪。貧しいものは日々の暮らしに精一杯で、学問を学ぶ機会もありません。富めるものと貧しいものの差は開く一方なのです」


「そんなことはお前に言われなくてもわかっている」


「そうでしょうね。そのことを何度も何度も上奏文に書かれているのですから」


「お前……いつの間に読んだ?」


 正確には暁蕾シャオレイは読んではいない。だが泰然タイランの部屋を訪れるたびに床に散らばっている上奏文の文字を目に焼き付けた。後から内容に関する記憶を呼び出すと暁蕾シャオレイは愕然となった。そこには泰然タイランが自分の目で見た民の生活の苦しみと、世の中の不公平を正す方策が細かくしるされていたからだ。


泰然タイラン様、私の夢はどんな身分の人でも分け隔てなく学問を学べる場所を作ることです。後宮に入ることになりその夢が遠のいたと思いました。でも今は後宮でも、いや後宮にいるからこそ出来ることがあると考えています」


 泰然タイランは黙って暁蕾シャオレイの言葉に耳を傾けている。暁蕾シャオレイ泰然タイランの前にひざまずくと拱手の礼をとる。そして言った。


「どうかお力をお貸しください」


 目の前に両の拳を突き出してひざまずく暁蕾シャオレイを、泰然タイランはしばらくの間、呆然と見下ろしていた。やがて盛大に嘆息する。


「あーあー、全くお前ってやつはどうしてこう面倒なことを押し付けてくるんだろうな」


 そう言いながら泰然タイランは椅子に座ると目の前の机に一枚の紙をおき筆を手に持った。すずりに入った墨に筆先をつけてからサラサラと文字を書き始める。


つつしみてたてまつる――』の一文から始まる文章が紡がれていく様を暁蕾シャオレイかたわらで見守っている。やがて泰然タイランが筆を置いた。紙を折りたたむと暁蕾シャオレイに突き出す。


「ほら、持っていけ」


「ありがとうございます。必ず届けますね」


 礼を言って部屋を出ていこうとする暁蕾を泰然タイランが呼び止めた。


「いいか、好奇心があることはいいことだが余り危ぶねーことに首を突っ込むんじゃねーぞ」


「心配してくださるのですか?」


 泰然タイランはバツが悪そうに頭をかく。


「俺にはお前ぐらいの娘がいてな。俺に愛想をつかした女房と一緒に家を出て行っちまったんだよ」


 暁蕾シャオレイは、泰然タイランに妻と娘がいたことを初めて聞いた。泰然タイランがあまり自分自身のことを語りたがらなかったのはそのせいだろう。


「娘さんが私に似てたりして」


「バカを言うな! あいつは口ごたえなんぞせん。素直ないい子なんだよ」


「そうですか。それは失礼しました」


 娘のことを思い出しているのだろう、泰然タイランが視線を床に落とす。


「お前と娘は全然違う。全然違うのに、お前を見るたびに娘を思い出すんだよ……だから無茶はするな」


 そう言って、泰然タイランはプイと後ろを向いてしまった。


泰然タイラン様もあー見えて寂しい思いをされているのね)


 もしかして、自分を仮の妹だと言う秀英シュインにも辛い思い出があるのかもしれない。ふとそんなことを思った。

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