第31話 暁蕾、お菓子を食べる

 暁蕾シャオレイは、すっかり片付いて綺麗になった倉庫の前で青鈴チンリンと話をしていた。


翠蘭スイラン様はとってもお喜びよ。商品が全部売れて民の評判もとても良かったらしいわ」


 青鈴チンリンはいつもの吊り上がった眉ではなく、眉尻を下げて笑顔を見せている。


翠蘭スイラン様にお喜びいただいたなら何よりです。次は食料と餌の買い付けですね」


「それも抜かりないわ。劉家がすでに手配すみよ。北部と南部への輸送は御史大夫ぎょしたいふ様が根回ししてくださったわ」


 慈善販売会は大盛況のうちに終了し、大きな売り上げとなった。安慶の民の反応は好意的で翠蘭スイラン妃の評価は跳ね上がったのである。また、翠蘭スイラン妃と劉家は、売上金による被災地支援を大々的に宣伝したため慈悲深い貴妃としての名声も加わった。


「あとは、纏黄てんおう国との交渉ですね」


「そうね、そのことについては御史大夫ぎょしたいふ様にお任せするしかないわね」


 最大の難関は、敵対関係にある纏黄てんおう国との交渉だ。売り上げ金の一部と溏帝国の予算で購入した家畜の餌を使い和平交渉を行う計画だった。あくまでも餌の援助は劉家からというのがミソだ。


御史大夫ぎょしたいふ様は大変優秀な方です。きっとうまく取り図ってくださるでしょう」


「あら、なんだか御史大夫様を知っているような言い方ね」


 ちょっと言い過ぎたと暁蕾シャオレイは思った。正三品の位である御史大夫ぎょしたいふ秀英シュインは下級女官の暁蕾シャオレイにとって、いや貴妃の侍女である青鈴チンリンにとってさえ雲の上の存在なのだ。


 そんな雲の上の存在である秀英シュインから仮の妹と呼ばれているなどとは口が裂けても言えるものではない。


「いえ、御史大夫ぎょしたいふ様の噂はかねがねお聞きしておりますので」


「そうね、直接お話ししたことはないけど聡明で見目うるわしい方だから後宮でも大変な人気だわ」


 青鈴チンリンはそう言ってうっとりとした表情になった。普段、険しい表情ばかりの青鈴チンリンでもこんな表情をすることもあるのか、と暁蕾シャオレイは意外に思った。ただそれ以上に、秀英シュインが後宮の女性たちの間で人気だと聞いてあせっていた。玲玲リンリンと違い噂にうとい暁蕾シャオレイにとっては新鮮な情報だったからだ。


「はあ、そうなんですね……」


 仕方なくあいまいな答えを返した。


「身の上が謎に包まれているところも魅力なのよね。数年前、異国から帰国されたと聞いているけど詳しいことは何も公表されていないんですもの」


 青鈴チンリン暁蕾シャオレイの戸惑いに気づくことなく話を続ける。


 (ええっ!どういうこと?)


 後宮に入れる女性を探す花鳥史かちょうしとして暁蕾シャオレイの家を訪れた時に初めて出会い、後宮の通用門で偶然再開した。そこからあれよあれよという間に仕事を命じられ、とうとう仮の妹と呼ばれるまでになってしまった。屁理屈女などというあだ名をつけられて嫌味な男だと思ったり、琥珀色の瞳に見つめられて胸を高鳴らせたり、いろいろあった。


 だが、うかつなことに秀英シュイン自身の身の上について考えてみたことがなかった。急に秀英シュインからもらった魚符のことが頭に浮かんだ。


 ――生きよ


 魚符に刻まれていた言葉。いったい誰に当てた言葉でどんな意味なのだろうか?


「しゅい……御史大夫様がいらっしゃったという異国とはどちらなのでしょう? なぜ異国へいらっしゃったのですか?」


 取り急ぎ思いついた疑問を口にしてみた。


「それがわからないの。異国にいらっしゃったと言うのもあくまで噂よ。出身地や過去の経歴、一切不明。皇城にとんでもない美男子が現れたってそれは大騒ぎになったんだから」


「そうですか……」


 暁蕾シャオレイのうかない返事に青鈴チンリンはニヤリとした笑いを浮かべた。


「あんた、まさかとは思うけど御史大夫ぎょしたいふ様を狙ってるんじゃないでしょうね。いくらあんたの頭が良くても身の程知らずってもんよ。後宮にいる以上、皇帝陛下に選ばれるのが一番だけど、それが無理なら御史大夫ぎょしたいふ様とっていう貴妃はいっぱいいるんだから」


「とんでもありません。そんなこと考えておりません」


 暁蕾シャオレイはぶんぶんと首を振った。


「まあ、いいわ。そんなことよりあんたに言っとくことがあるんだったわ」


 なんだろうと身構える暁蕾シャオレイの前で青鈴チンリンは少しもじもじした。


「――ありがとう。あんたのおかげで助かったわ」


 そう言って青鈴チンリンは小さな木の箱を暁蕾シャオレイに差し出した。


「これは、翠蘭スイラン様がくださった異国のお菓子よ。あなたにご褒美だって。明日からも励みなさい。じゃあね」


 暁蕾シャオレイが箱を受け取ると、照れくさいのを誤魔化すかのように青鈴チンリンは立ち去ってしまった。残された暁蕾シャオレイが箱のふたを開けてみると箱の中は底に紙が敷かれ木の板でいくつかに仕切られている。その仕切りのひとつひとつに見たことがないお菓子が入っていた。


 ひとつを指で摘んでみると、とても軽い。薄い生地が何層も重なってできているようだ。嗅いだことがないような濃厚で甘い香りが鼻をくすぐる。我慢できず口に放り込んだ。サクサクとした食感のあと強烈な甘さが襲ってくる。


 (な、何なのこれ!)


 そう言えば美麗メイリンが言っていた。翠蘭スイラン様は、仕事で頑張るととても美味しいお菓子をくださると。きっとこのお菓子は劉家が西方との交易で手に入れた貴重なものなのだろう。自分の頑張りを認めてもらえたような気がして暁蕾シャオレイの心は弾んだ。


 (さあ、次は纏黄てんおう国との交渉ね。私に出来ることがあるのかどうか分からないけど頑張ろう。それに……)


 暁蕾シャオレイは、董艶トウエン妃から命じられた仕事について思い出していた。骸骨男の命を奪った麻薬のことも気になる。


 よしっ! 気合いを入れ直した暁蕾シャオレイは残った仕事に取り掛かった。

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