第28話 暁蕾、男を追う

 思った以上の人の多さに、玲玲リンリン美麗メイリンも目を丸くしている。大勢の人が1ヶ所に押し寄せると危険なので、広場には杭と縄で通路が作られている。広場の入り口から入った人たちは通路を順番に進んでいき売り場を一周して出口へ向かう。


 商品の買い占めを防ぐため、購入できる商品はひとり3つまでと決めた。そのことを知らせる張り紙が良く見えるところに何ヶ所も張り出されている。


「これ手に取っていいのですか?」


 暁蕾シャオレイが担当する販売卓にも、さっそくお客さんがやって来た。若い男女が寄り添うように立っており、女性の方がお皿を指差している。


「どうぞ、ゆっくりとご覧ください」


 新婚の夫婦なのだろうか? 女性は目を輝かしてお皿を手に取って眺めている。


「とっても綺麗! 素敵ね」


青花磁器せいかじきのお皿です。原料は異国から買い付けしているんですよ」


 溏帝国は磁器製造が盛んで異国にも輸出している。帝国の北方では白磁はくじ、南方では青磁せいじが作られている。青磁せいじの青い染料は西方の異国、例えば董艶トウエン妃の母国、砂狼さろう国から輸入している。描かれる絵柄も西方の影響を強く受けた異国情緒あふれるものとなっていた。


「異国からですって! これ欲しい」


 そう言って女性は男性の方を振り向いた。


「気に入ったのかい? 値段は……3貫※か。うーん、少し高いけど買っちゃおうか」


 ※溏帝国の貨幣には貫と銭があり、1貫は現在の日本円で約9,000円なので3貫は27,000円程度。ちなみに1貫は750銭。


 庶民にとってはやや高めの価格ではあるが、暁蕾シャオレイの調べたところではもともと15貫はする品物だった。


「では、このかごに入れて出口で代金を支払ってください」


 そう言って暁蕾シャオレイは女性に竹で編んだ籠を渡した。ひとり3個までという購入制限を守ってもらうため購入する商品はこちらが用意した籠に入れてもらい、売り場の出口で代金を支払ってもらうことにした。もちろん、籠に入れずに商品を持ち去ろうとする人間がいないか、泰然タイランの部下に見張ってもらっている。


 青花磁器せいかじきのお皿を籠に入れて満足そうに男女が立ち去ると、すぐに次の客がやって来た。


 今度の客は若い男だった。袍子パオツという灰色の長衣を身に付けている。暁蕾は男の顔を一目見てギョッとした。ほおはげっそりとこけて顔色は青白い。落ちくぼんだ眼窩から血走った目玉だけがギョロッと商品に向けられている。


 男は無言で金メッキが施された香炉を手にとる。差し出された腕はとても細く骨が浮き出ている。男が手にした香炉は、細かい鎖の先に鳥とブドウの紋様が刻まれた球体が取り付けられている美しい品だ。まるで骸骨のような男が美しい香炉を眺める姿は異様としか言いようがない。


かごをくれ」


 かすれた声で男が言った。暁蕾シャオレイがあわてて籠を差し出すと、男はゆっくりと香炉を籠に入れる。続いて男は同じく金メッキされた銀盒ぎんごうを手に取った。その手つきには全く迷ったような様子はなくまるで最初から決めていたかのようだ。


 銀盒ぎんごうは、女性が使う化粧箱で円形の入れ物に円形のふたが付いている。ふたの表面には、中央に翼を持った鹿、その周りにつる草紋様が刻まれている。男は暁蕾シャオレイと目を合わすことなく、銀盒ぎんごうを籠へ入れた。


 金メッキの香炉と銀盒ぎんごう暁蕾シャオレイが担当する販売卓で最も高価な品と2番目に高価な品だった。香炉が30貫、銀盒ぎんごうが25貫もするのだ。もっとも元々の値段はその数倍なのだが。


(この男、普通じゃない、それに……)


 暁蕾シャオレイのいぶかしむ視線に気付いたのか、男は逃げるように卓を離れて通路を歩き出した。人の流れに乗って遠ざかって行く男から暁蕾シャオレイは目を離すことが出来なかった。


「ごめん、美麗メイリンこっちの卓もお願い!」


「ええっ!ちょっと待ってよ、暁蕾シャオレイ


 目を丸くしている美麗メイリンを残して、男の後を追う。いつの間にか男はかなり先まで進んでいる。男は人の波をかき分けるようにどんどん進んでいき、会場の出口にある料金支払い用の卓へたどり着いた。係員である皇城の役人に料金を支払い、会場から外へ出た。


 男は広場を進んで行き、都の大通りに向かって歩いている。男を追うべきか暁蕾シャオレイは迷っていた。何かが頭の片隅に引っ掛かっている。その何かがわからず猛烈にあせる。


(後を追おう!)


 覚悟を決めた暁蕾シャオレイは男に気づかれないように距離をとりながら、後を追う。大通りの向こうからゾロゾロとした人の流れがあるのに暁蕾シャオレイは気付いた。そう言えばと暁蕾シャオレイは思った。本日、安慶の都では初夏の祭りが行われているのだ。お祭りの会場は慈善販売会が行われている広場とは逆方向にある広場だった。


 どちらの会場も大通り沿いにある。ゆえに遠方からの集客を狙えるということで都の商人たちと意見が合い、この日に販売会を開催することになったのだった。いつもより華やかな襦裙や涼しげな服を着た人々が楽しげに歩いてくる。祭りの屋台で売っていたのか、狐や猿のお面を被った人も見かけた。


 男は振り向くこともなく大通りを進み、やがて細い路地へ入っていった。暁蕾シャオレイも急いで路地へと入る。


 路地は道幅が狭く人気がない。男と暁蕾の間にさえぎるものは何もなく、今振り返られたら尾行していることがすぐばれるはずだ。


 あわてて暁蕾は家と家の間にある隙間に身を隠した。頭だけ出して様子を探る。男は一軒の家の前で立ち止まった。周囲を探るように左右を見たので、暁蕾は素早く頭を引っ込めた。


 暁蕾の心臓は早鐘を打っていた。ゆっくりと慎重に頭を出していき男を確認すると、ちょうど男は家の扉を開き中へ入るところだった。


 男は自分の家に帰ったのだろうか? もしそうなら自分はとんだ間抜けだと暁蕾は思った。見た目が異様というだけで自分の持ち場を離れてここまで追ってきてしまった。いや、見た目だけではない何か……何かがあったのだ。もどかしい思いが暁蕾シャオレイの心をかき乱している。


 (そうだ、あの家に行けばきっとわかる!)


 暁蕾シャオレイは隙間から飛び出して、男が入っていった家の方へ向かおうとした。


 ――その瞬間、突然後ろから強い力で腕をつかまれた。


 (えっ!)


 咄嗟とっさに振り向いた暁蕾シャオレイが見たのは、自分を見下ろす狐のお面だった。

 

 

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