第20話 暁蕾、紅玉宮へ行く

 暁蕾が秀英シュインと会ってから数日の後、南宮の回廊に一枚の紙が張り出された。


『この度、紅玉こうぎょく宮では雑用を担当する下級女官を募集する。応募を希望するものは○月○日、紅玉こうぎょく宮まで直接来ること』


 紙に書かれた文章は簡潔で余計なことは何も書かれていなかった。紅玉こうぎょく宮の貴妃、翠蘭スイラン妃は皇族に匹敵する権力を持っているりゅう家出身であり有力な皇妃候補であった。一方で紅玉こうぎょく宮は規律に厳しいことで有名でもある、出世を目指す女官が多数応募する可能性が高い一方、厳しい規律を嫌って応募を見送るものもいそうだ。


秀英シュイン様がおっしゃってた通りになったわね。秀英シュイン様は紅玉こうぎょく宮へ行きさえすればいいとおっしゃったけど、大丈夫かな)


 秀英シュイン様のことだ根回しはしてくれているのだろうが、一抹の不安も感じる。何名採用されるのか?選考はどうやって行うのか?何の情報もないので対策のしようがない。


暁蕾シャオレイならきっと大丈夫。暁蕾は誰にも負けない」


 玲玲リンリンはそう言って励ましてくれたが、不安を抱いたまま紅玉こうぎょく宮へ行く日となってしまった。


「頑張ってね! 暁蕾シャオレイ


 暁蕾は玲玲リンリンに見送られて作業部屋を後にした。目的の紅玉こうぎょく宮は、董艶トウエン妃の貴妃宮である炎陽宮えんようきゅうと同じ独立した建物になっている。宮城から遠い西側にある炎陽宮えんようきゅうとは違い、より宮城に近い東側に位置していた。


 いつも通りツンケンした女官が行き交う北宮の回廊を通り、紅玉こうぎょく宮への渡り廊下へやって来た。

 

 ――紅玉こうぎょく宮。


 上品な朱色でいろどられた壁と柱。美しい弧を描いた瓦屋根。溏帝国の伝統的な建築技法で建てられた荘厳な建物は見るものの心を落ち着かせる力がある。見たものの心をざわつかせる炎陽宮えんようきゅうとは何もかもが対称的だった。


 暁蕾シャオレイは少し早めに来たつもりだったが紅玉こうぎょく宮の入り口にはすでに女官の行列が出来ていた。暁蕾シャオレイは行列の最後尾に並ぶと様子を見ることにした。しばらく見守っていると行列が少しずつ進んでいることがわかった。おそらく何名かづつ面談されているのだろうと思った。


 半刻(1時間)ほど並んでいると、行列は進み紅玉こうぎょく宮の中へ入ることが出来た。行列は宮の回廊へ続いており、そこからは美しい庭園が見えた。緑の木々を映す池に日の光が反射して輝いている。季節は春から初夏へ移ろうとしており少しづつ鮮やかさを増す緑はまるで翠蘭スイラン妃の勢いを表しているかのようだった。


 行列の先頭は大広間へ続く朱色の扉で止まっていた。眺めていると扉が開き「次の3名入りなさい」と女性の声が聞こえた。緊張した面持ちで女官が広間へと入って行く。それほど時をおかずに次の3名が呼ばれる。


 (思ったよりも短い時間で選ばれているのかしら? まあこんなにいるんじゃ仕方ないか?)


 列はどんどん進み暁蕾シャオレイを含む3名が呼ばれる。胸の高鳴りを感じながら暁蕾シャオレイは扉の向こうへと足を踏み入れる。午前中の太陽の光が斜めに降り注いでいる部屋の向こう側に豪奢な長椅子が置かれており女性が腰を下ろしているのが見えた。


 暁蕾は思わず息を呑んだ。きらきらと光を反射する透けるような素材の白い襦裙じゅくん。雪のように白い胸元の上部にはくっきりと鎖骨が浮かび上がっており、そこからすっきり伸びた細い首筋。まるで人形のように小さく形の良い頭。艶のある長い黒髪はもとどりとして結い上げられておらず、片方で結ばれて胸の方に垂らされている。


 それだけではない、大きな切れ長の目からのぞく濃い茶色の瞳。鼻筋の通った小さな鼻。赤く可愛らしい唇。それらを引き立たせるように描かれた上品な花鈿かでんと呼ばれる紋様。


 ――完璧だ。


 それ以外に目の前にいる女性を言い表す言葉が思い浮かばなかった。


 暁蕾と残りの女官は女性の前にひざまづき拱手の礼をとる。


「本日は翠蘭スイラン様が直接ご面談くださいます。立ち上がり一人づつ名乗りなさい」


 やはりそうか、と暁蕾シャオレイは思った。目の前にいるこの完璧美人こそ翠蘭スイラン妃その人なのだ。そして今聞こえてきたのは翠蘭スイラン妃のかたわらに控える侍女、青鈴チンリンの声だった。


 侍女、青鈴チンリンとは一度、南宮の廊下で会ったことがある。発注書の件でからんで来た青鈴チンリンを皇帝陛下が発出した宮城倹約令を使って撃退したのだった。もし青鈴チンリンが今回の女官選考に意見を言える立場だとしたら暁蕾は不利になるかもしれない。


 暁蕾と残り2人の女官は急いで立ち上がり自己紹介を始める。


「劉家へ襦裙じゅくんや装飾品を納めさせて頂いております安慶あんけいの商人、チェン音操オンソウの娘、明林ミンリンと申します」


 緊張した声音こわねで一番左に立っている女官が名乗った。背の高い美しい娘であった。翠蘭スイラン妃は反応を示さない。


「次のもの」


青鈴チンリンがちらと翠蘭スイラン妃の方へ視線を送った後、告げる。2番手は暁蕾シャオレイの左隣、真ん中に立っている娘だった。


黒河こくが州長官、ケイ勝峰ションフォンの娘、万姫ワンチェンと申します」


 ひとり目が翠蘭スイラン妃の生家である劉家と取引のある商人の娘、ふたりめが翠蘭スイラン妃の出身地である黒河こくが州の長官の娘ときた。どちらも強力なコネと言える。一方の暁蕾に使えるコネなどありはしない。


「次のもの」


翠蘭スイラン妃が相変わらず反応を示さないのを確認してから青鈴チンリンが言った。


「後宮の備品係、ツァオ暁蕾シャオレイと申します」


 暁蕾は、実家の情報は伝えずに現在の職務だけを簡潔に述べることにした。青鈴チンリンの眉根がわずかに寄ったものの、翠蘭スイラン妃は眉ひとつ動かさなかった。


 (えっ! 失敗したかも)


翠蘭スイラン妃が青鈴チンリンを呼び、団扇うちわで口元を覆いながら何かを伝える。


「全員、退出しなさい」


 入ってきたのとは違う扉が開かれたのでそこから出ていくのだろう。困惑の表情を浮かべながら隣の女官たちが出口へ向かう。


 扉をくぐる女官に出口を開いた侍女が「不採用でございます」と声をかけるのが聞こえた。目の前を歩くふたりの女官が青い顔をして広間を出ていくのを絶望的な気分で見送りながら暁蕾も出口へ差し掛かる。


 バタン!


 突然、暁蕾の目の前で扉が閉じられた。


「あなたはあちらの出口へどうぞ」


 そう言って侍女は奥にあるもう一つの出口を指し示した。言われた通りに出口へ進むとそこは机と椅子があるだけの殺風景な部屋だった。

 

 

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