第19話 暁蕾、現実を知る

「噂には二種類ある。ひとつはいわゆる流言飛語の類いだ。誰かをおとしめる目的で流されるものだ。もうひとつは何だと思う?」


 秀英シュインの琥珀色の瞳が試すように暁蕾をとらえていた。素直に答えてまた、屁理屈女と言われるのもしゃくだと暁蕾は思ったが、この意地悪な男の鼻をあかしてやりたい気持ちが勝った。


「火のない所に煙は立たぬ。とおっしゃりたいのでしょう」


「お前はこの噂がそのどちらに属するものだと思っているのだ?」


「はい、そもそも劉家が正当な商いとして武器を他国に売っているのであれば、これは噂でも何でもなくだだの事実だということになります。ただ、そのことがおおやけにされておらず秘密にされている可能性もありますので、その場合は噂がたってしまう可能性もあるでしょう」


秀英シュインは暁蕾の言葉を聞いて少し考えているようだった。


「でもさー、劉家が武器を取り扱ってるなんて聞いたことないよね? それに武器を外国に売るには皇帝陛下の許可がいるんでしょ? だったら秀英シュインの耳にも入ってるんじゃないの?」


 雲嵐うんらんが再び口を挟んできた。


(適当そうに見えて、なかなか鋭い質問するのね)


「俺は聞いてない。全てが俺の耳に入るわけではないのだ」


「だったら、皇帝陛下に直接聞いてみるしかないよねー」


 そう言って雲嵐うんらん秀英シュインにニッと笑って見せた。


「簡単に言うんじゃない。皇帝陛下に『後宮で、陛下が劉家に他国への武器売却を許可されたとの噂が立っております。本当ですか?」と聞くのか?」


おそれながら、秀英シュイン様は御史大夫ぎょしたいふでいらっしゃるのですよね? その秀英シュイン様の耳に入らないことがあるのですか? 宰相様を補佐されているほどなのに」


 暁蕾は感じた疑問を口にしてからしまったと思った。またもや、ものすごくぶしつけな質問をしてしまった。


中常侍ちゅうじょうじという役職を知っているか?」


 暁蕾の心配をよそに秀英シュインは普通に質問を返してきた。


「はい、存じております。皇帝陛下の身の回りの世話をされる役職でございますね。お名前は確か……」


(あれ? 名前が出てこない、そんなはずないんだけど)


「申し訳ありません。お名前が思い出せません」


「だろうな。その方は自分の名前が表に出るのをとても嫌っておられる。だからあらゆる公式の文書に自分の名前を書くことを禁じているのだ」


一瞬、秀英シュインの顔から表情が消えたように暁蕾は感じた。秀英シュインは言葉を続ける。


「これ以上はやめておこう。お前の身の安全が保証できないからな。ただひとつ言えるのは宰相や俺の力など、今の溏帝国では大したことがないということだ」


 秀英シュインの言葉を聞いて暁蕾は息を呑んだ。それはつまり官僚の最高位である宰相や、それを補佐する御史大夫ぎょしたいふを上回る権力を持った人物がいるということだからだ。そしておそらく、その人物こそが名前のわからない中常侍ちゅうじょうじなのだろう。


暁蕾シャオレイ、お前に次の仕事を与えよう。お前が先ほど口にした後宮で広まっているという噂。この噂の出どころを探って欲しい」


 秀英シュインの突然の申し出に暁蕾シャオレイは言葉を失った。


(ちょっと待って! そんなこと出来っこないわ)


「お待ちください、秀英シュイン様!」


 焦って抗議の声を上げようとした暁蕾を見て秀英シュインの口元が緩んだ。


「おや? お前でも焦ることがあるのだな。安心しろ。何も後宮の中で諜報(スパイ)活動をしろと言っているのではない。実は翠蘭スイラン妃の貴妃宮、紅玉こうぎょく宮が雑用係の下級女官を募集しておってな、お前にはそこでしばらく働いてもらうことにしよう」


「そんな、私などが紅玉こうぎょく宮の女官に採用されるはずがございません。それに仮に採用されたとして、それはやはり諜報員として内部調査をするということではございませんか?」


「女官採用については心配するな。しばらくの後、女官を募集する旨の知らせが南宮にもあるだろう。お前はそれ応じて紅玉こうぎょく宮へ行きさえすればよい。それに採用された後は普通に女官としての仕事をこなせばよい。特に意識して何かを調べる必要はない」


 あまりに一方的な申し出に唖然とする暁蕾シャオレイであったが、もとよりただの下級女官の暁蕾に対して秀英シュインは三品の御史大夫ぎょしたいふなのだ。口を聞くだけでもはばかられる身分の差があることを考えれば断れるはずもなかった。


「ごめんねー。暁蕾ちゃん。こいつこんな言い方だけど、暁蕾ちゃんに危険が及ばないようにいろいろ動いてたんだよー」


 そう言って雲嵐うんらんはウシシと笑った。


「そ、そんな訳あるか! 黙ってろ、雲嵐うんらん


 秀英シュインが慌てて否定する。


 (このふたりいったいどういう関係なんだろう?)


 下がってよい、と言われ暁蕾は御史台ぎょしだいを後にした。きた道を戻り、来る時にも通った青龍門の鮮やかな朱色の柱を眺めながら考えを巡らす。秀英シュインとの面談でも謎の解決には至らなかった。むしろ中常侍ちゅうじょうじという、宰相や秀英シュインを上回る権力者の存在を知ってしまい、世の中には知らない方がいいことがあるのでは、という気持ちだった。


 それでも雲嵐うんらんの『こいつこんな言い方だけど、暁蕾ちゃんに危険が及ばないようにいろいろ動いてたんだよー』という言葉と秀英シュインの慌てた様子を思い出して思わず笑みがこぼれてしまう。冷血そうに見える秀英シュインにも優しいところがあるのかもしれない。


 ともかく次にやるべきことが決まったのだ、今は前に進むしかない。そう思い気合を入れ直した暁蕾は後宮への道を急いだ。

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