第17話 暁蕾、御史台へ行く

(調子に乗ってここまで来たけど本当に会えるのかな?)


 膨らむ不安を振り払うように、秀英シュインからもらった魚符を門番へ差し出す。いろいろ質問されると思っていた暁蕾シャオレイの想像を裏切り門番は顔色ひとつ変えることなく「少々お待ちください」と一言だけ言うと奥へ引っ込んだ。


 もしかして暁蕾が来るかもしれないと、あらかじめ知らされているのだろうか? いやいやそんなはずはないと暁蕾は頭を振った。様々な国の難題を抱えている御史大夫ぎょしたいふ秀英シュインがたかが下級女官がやって来るのに配慮しているはずがない。


「どうぞお入りください」


 程なくして戻ってきた門番が中へ入れてくれたので、石の階段を登り御史台の回廊へと登った。回廊の入り口には下級官僚と思われる若者が待っており暁蕾を秀英シュインの執務室へ案内してくれた。途中、いくつかの部屋の横を通り抜けたがみな机に向かって黙々と仕事をしている。どの部屋も机と椅子、書類を納める棚だけの簡素な作りになっていて豪華な装飾の類はなかった。


 おそらく下級女官がこの建物を訪れることはほとんどないはずなのだが、誰も暁蕾に注意を向けなかった。みな自分の仕事に集中しているのだ。


「大夫様、暁蕾様をお連れしました」


 回廊の奥に格子模様が彫り込まれた木製の扉があり、その前まで行くと若者は部屋の中へ呼びかけた。


「入れ」


 聞き覚えのある声が返ってきた。若者が扉を引き開けて入るようにうながされたので暁蕾はおずおずと部屋へと入る。部屋の様子を確認する前に片膝をつくと拝礼した。


「やっと来たか。頭を上げていいぞ」


 くだけた調子の言葉に戸惑いながら視線を上げると、暁蕾シャオレイはギョッとした。


 ――えっ! もうひとりいる。


 回廊の途中で見た部屋よりは多少広いものの相変わらず装飾のない部屋だ。部屋の奥に執務机と椅子があるが、そこには誰も座っていない。部屋の中央にも会議用とおぼしき長机が置いてありその脇にふたりの男が立っていた。


 向かって右側に立っているのは秀英シュインだった。前回、通用門で出会った時と同じ紫の袍服ほうふくを着て幞頭ぼくとうと呼ばれる帽子を被っている。鋭い琥珀色の瞳も相変わらずだった。問題は向かって左側に立っている知らない男だった。


(えっ! 紫の袍服ほうふく


 知らない男が着ている袍服ほうふくの色も紫だったのだ。溏帝国で紫の袍服ほうふくを着用できるのは皇族と三品以上の高級官僚に限られている。つまりこの男も秀英シュイン同様とても高貴な身分だということだ。


「失礼しました! 尚書省に勤めますツァオ傑倫ジェルンの娘で後宮の備品係、暁蕾シャオレイと申します」


 暁蕾は慌てて再度、拝礼した。


「初めまして、暁蕾シャオレイちゃん。秀英シュインから噂は聞いてるよー。いいよ、いいよ、頭あげちゃって」


 謎の男からいかにも軽い感じの返事が返ってきた。暁蕾シャオレイは頭を上げて男の方を見る。年のころは秀英シュインと同じ20代の前半というところだろう。とても背の高い秀英シュインほどではないがほっそりと細身で背が高い。目鼻立ちは整っていてこの男もかなりの美形だ。


 隣で冷たくそれでいて鋭い琥珀色の瞳でこちらを見下ろしている秀英シュインと違い、眉尻は下がりとても人懐こい笑顔を浮かべている。やや色素の薄い茶色の瞳がイタズラっぽい光を放っていた。


「大変申し訳ありません。あなた様のお名前を存じ上げません」


 謎の男は少しだけ眉を上げて秀英シュインの方をチラリと見た。秀英シュインはわずかに唇をゆがませる。


「俺の名前は雲嵐うんらんだよ。ただの雲嵐うんらん。よろしくね」


「この男は何て言うか……私の仕事を手伝ってもらっている仲間だ。だから安心していいぞ」


 雲嵐うんらんと名乗った男が、ヘラヘラとした調子で言うのを横目で見ていた秀英シュインはまるで言い訳をするような調子で言った。


「承知致しました。秀英シュイン様」


「立ってるのも何だから座ろうよ。さあ秀英シュインは俺の隣に、暁蕾ちゃんは俺の向かいにどうぞ」


 (えーっ、下級女官の私に同席しろって言うの?)


 言葉を交わすだけでもおそれ多い身分のふたりと同じ机を挟んで座れというのだ。暁蕾は躊躇した。


「いいから早く座れ、これは命令だ」


 秀英シュインに言われようやく暁蕾は腰をおろした。


「暁蕾ちゃんを後宮に連れてくる時もそんな感じだったの? 暁蕾ちゃん、怖かったでしょ。こいつ悪いやつじゃないんだけど、ごめんねー」


 からかうような調子で言われ秀英シュインは顔をしかめる。


「お前、ちょっと黙ってろ。話がすすまん」


 憮然ぶぜんとした秀英に肩をすくめる雲嵐うんらん。まるで正反対のふたりだが案外、気が合っているのかもしれないと暁蕾は思った。


「ここに来たということはうまく行っていないのだな?」


 董艶トウエン妃に仕える侍女から、今回の仕事については口外しないように言われている。しかもここには雲嵐うんらんまで同席している。何と説明すればいいのだろうか?暁蕾は考えを巡らした。


「私はこの通り後宮の下級女官でございますが、女官であっても溏帝国と異国との外交や交易を学びたいと思いまして、天三閣てんさんかくへ行き調べ物をしたのでございます」


「ほう、それは見上げた心掛けだな。お前から見た我が国と他国との関係はどうなのだ。言ってみよ」


 秀英シュインも暁蕾が董艶トウエン妃から武器横流しについて調べるように命じられていることは知っているようなのだが、董艶妃との約束は守らなければならない。そのことに触れずに話を進めようとするとどうしてもこのような白々しい会話になってしまう。


おそれながら申し上げます。まず砂狼さろう国ですが、彼の国と休戦協定が結ばれた時にお互いに人質を交換致しました。それにより砂狼さろう国からは董艶トウエン妃が我が国へいらっしゃいました。ですが、我が国からはどなたが贈られたのか記録が残っておりませんでした」


 天三閣てんさんかくで得た情報はどれも、武器横流しに関する重要な情報とは思えなかったが、暁蕾シャオレイはあくまで溏帝国と他国との関係について自分が調べた内容を報告するという形で秀英シュインに伝えることにした。


秀英シュイン様はとても頭が切れる方だから、きっと何かしら助言をいただけるはずだわ)


 秀英シュインの狼のような瞳は静かにこちらを見つめている。


 

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