第14話 暁蕾、書庫へ行く

 結局、最後の質問には答えてもらえず、泰然タイランの部屋を後にする。それ以上知るのは危険ということかもしれない。通用門を通り後宮の作業部屋まで戻った暁蕾シャオレイは、玲玲リンリン泰然タイランとのやりとりを話して聞かせた。


「その話父さんから聞いたことがある。安慶から紗州さしゅうに派遣された兵士が武器の横流ししていた」


「えーっ! そうなの? ねえ、その兵士が横流ししていた国ってどこなの?」


 玲玲リンリンは申し訳なさそうな顔になった。


「それは口外できない秘密だから、父さんも教えてもらってないと言ってた。ごめん……」


「そうかあ。よほどまずい秘密なのね」


 暁蕾は、父さんから見せてもらった溏帝国の公文書をまるまる暗記している。そしてその膨大な記憶を必要に応じて呼び出すことが出来る特殊能力を持っていた。泰然タイランから武器横流しの話を聞いた直後にも一度記憶を探ってみたのだった。


 驚くことに武器横流し事件で兵士が捕えれらたことは文書に書かれているのだが、肝心な兵士の所属と兵士が横流ししていた国の名前は、全て墨で真っ黒に塗り潰されて読めなかったのである。


 溏帝国は大陸の東方で海岸線に沿って東西南北に広がる半円のような広大な領土を持つ、だが西方の領土は交易路に沿って細長く伸びており太い尻尾のように見える。そしてその尻尾の先端は、董艶トウエン妃の祖国、砂狼さろう国まで伸びていた。


 さらに西方に伸びた細長い領土は、北を遊牧民の国である纏黄てんおう国、南を溏帝国と同じ神を信奉する新興の大国、火舎かしゃ国に挟まれている。


 (横流し先の候補は、砂狼さろう国、纏黄てんおう国、火舎かしゃ国のみっつか)


「あ、そう言えばさっき氷水ビンスイ様が戻って来た。なんだか苦情処理で色々な貴妃様のとこをたらい回しにされたとおっしゃってた」


 玲玲リンリンが思い出したように言う。


 もし氷水ビンスイ様に、発注書の件を相談していたらどうなっていたのだろう? 暁蕾の代わりに氷水ビンスイ様がこの仕事を請け負ったのだろうか? と暁蕾は思った。


 さて、暁蕾シャオレイが今やるべきことはふたつあった。ひとつ目は、泰然タイランから預かった董艶トウエン様への返事を炎陽宮えんようきゅうへ持っていくこと。もうひとつは泰然タイランから頼まれた書庫での調査だ。


玲玲リンリン、仕事をお願いしていいかな? 泰然タイラン様から預かったこの書状を炎陽宮えんようきゅうに届けて欲しいんだ」


「うん、もちろんやる!」


 暁蕾の言葉を聞いて玲玲リンリンは瞳を輝かせた。自分も仕事ができることがうれしかったのだろう。もしかしたら董艶トウエン妃に会えると期待しているのかもしれない。


 暁蕾は、廊下にある発注書箱を確認した、今日は早めに処理したので、新しい発注書は入っていなかった。


 (これなら明日、書庫に行けそうね)


 玲玲リンリンと相談して、明日、暁蕾は皇城の書庫に、玲玲は炎陽宮えんようきゅうにそれぞれ行くことにした。


 その日の夜、暁蕾は布団の中でその日あったことを思い返していた。


 董艶トウエン妃の容姿とまとっている雰囲気には正直圧倒されてしまった。皇帝陛下は董艶トウエン妃のもとへ訪れたことがあるのだろうか?


 安慶の都には、砂狼さろう国の商人もよくやって来るので砂狼さろう国の女性も見たことがある。かの国では、砂漠の神が信奉されており、教典の教えで女性は顔を布で覆うこととなっているらしい。


 それなのに董艶トウエン妃の顔以外の部分は殆ど覆われていなかった。脂肪の少ない引き締まった体、光を反射する滑らかな浅黒い肌。溏帝国の貴妃たちとは全く違うまるで異世界の住人のようなその容貌。


 ――美しい


 確かにその時、暁蕾シャオレイはそう感じたのだった。


 もうひとつ暁蕾が美しいと感じたものがある。それは秀英シュインの琥珀色の瞳だった。董艶トウエン妃のことを考えていたはずが、いつの間にか暁蕾の顔を覗き込む秀英シュインの瞳が目をつむったまぶたの裏に現れた。


 (もーなんなの!)


 慌てて頭から振り払おうとするが、考えないようにすればするほど考えてしまう。暁蕾はフーッと深いため息をついた。


 (きっと色々なことがあって疲れてるからね。明日も頑張ろう)


 暁蕾は心の中でそうつぶやくのだった。


 翌朝、氷水ビンスイの授業が終わると、暁蕾シャオレイ玲玲リンリンはそれぞれの仕事に取り掛かった。


 皇城の書庫は幸い、いつも通っている泰然タイランの部屋から少し離れた場所にあった。本当に重要な機密書類は皇帝陛下のいる宮城に近い場所にあるが、泰然タイランへ行くように頼まれたのはそこではない。


 一般的に公開されている情報が載っている書物や文書が保管されている場所である。天三閣てんさんかくと呼ばれるその建物は皇城にある竹林の中にひっそりとあった。建物の門に続く石畳の通路には覆い被さるように竹が生えている。屋根付きの門には扉がなく円形の穴がぽっかりと空いているだけだ。


 門の左右には獅子の彫像が置いてあり、訪れるものを威嚇するように口を開けている。門の内側に衛兵の詰め所があり若い兵士が退屈そうに立っていた。暁蕾シャオレイが、泰然タイランから預かった魚符を差し出すと受け取った兵士は目を見開いて、魚符と暁蕾を交互に見た。 


「へー、泰然タイラン様のところではあなたのような若い女性も働いているのですね」


 という兵士に暁蕾シャオレイは、「まあ、そうですね」と曖昧あいまいな笑みを返した。


 兵士が「どうぞ」と通してくれたので、暁蕾シャオレイは門の奥にある書庫へと入る。薄暗い廊下の向かって右側には陽の光が差し込む格子状の窓があり、左側が書籍や書類が平積みになった棚がある部屋になっている。


 (こんなにいっぱいの文字が読めるなんて、なんかゾクゾクする)


 本を読むことが大好きな暁蕾にとってこの天三閣てんさんかくはまさに天国のような場所だった。廊下を進むと部屋がいくつかあり、それぞれ歴史や外交、財政と項目ごとに分かれていることがわかった。


 まずは、泰然タイランの依頼どおり溏帝国の隣国に関する文書や書物を探すことにした暁蕾は、外交文書と書かれた札がかかっている部屋へ足を踏み入れた。

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