第8話 暁蕾、忠告を受ける

 その言葉は、ある特定の文章で書き出しに使われるものだ。その文章とは――

 

 ――上奉文じょうそうぶん


 この男は上奉文を書いているのだ。それも何枚、何十枚と書き直している。


 上奉文とは、皇帝に直接意見を伝えるために書かれる文章のことである。だがこのだらしない男には似つかわしくない行いだと暁蕾は思った。


 その事について尋ねてみたい気持ちがわき上がったが、なんとか抑える。今はそれとは別に聞かなければならないことがあったからだ。


「ここで発注した品物はちゃんと倉庫に搬入されているのでしょうか?」


「もうひとりのお嬢ちゃんが確認してるんじゃねーのか? 聞いてみればいい」


 男は着用が義務付けられている幞頭ぼくとうと呼ばれる帽子を被っておらず、ぼさぼさの頭をかきながら答えた。


「それが、倉庫での確認作業は宦官かんがんの仕事だと言われて、私たちは立ち合えていないのです」


「なるほどな……宦官がそう言うのならそう言うことなんだろうよ。仕事が減って良かったじゃねーか」


 (どうやら、まともに答える気がないみたいね。これ以上は時間の無駄かも)


「わかりました。では倉庫を担当している宦官に直接話を聞いてみます。どなたが担当なのか教えていただけますか?」


 暁蕾の言葉に男はため息をついた。


「なあ、お嬢ちゃん。悪いこと言わないから自分達の仕事だけに集中しな。でないと俺のようになるぞ」


 とはどういう意味だろうか? 暁蕾は考えを巡らす。父から見せたもらった公文書の中に何かヒントがなかっただろうか?


 暁蕾の頭脳が『宦官かんがん』、『上奉文じょうそうぶん』というふたつの言葉が含まれた文書を読んだ記憶を探る。暁蕾の特殊な能力のひとつで、特定の言葉の組み合わせをどこで読んだのか? 何に書かれていたのか? を思い出すことが出来る。


 門下省もんかしょうという役所に諫議大夫かんぎたいふという役職がある。皇帝に諫言かんげん(※目上の人の過失などを指摘して忠告すること)を行い悪政を行わないようにさせる仕事を担っている。前皇帝の臣下に大変優秀な諫議大夫かんぎたいふがいた。


 ――シュー泰然タイラン


 前皇帝に臆することなく意見を言い、重用された男の名だ。暁蕾シャオレイは記憶の中からこの男に関する文書を呼び起こした。


諫議大夫かんぎたいふシュー泰然タイラン司農寺しのうじ録事ろくじへの異動を命ず』


 司農寺しのうじとは給与の支給や倉庫管理を行う役所である。そこでの仕事は律令や予算の作成に比べれば重要度が低い仕事だと位置付けられている。しかも録事ろくじ従九品じゅうきゅうひんという位に位置する。役人の位において皇族や有力貴族を除く実質的な最高位と言える三品さんぴんから、最も位の低い従九品じゅうきゅうひんへの異動。理由も何も書かれていないだだの一文にすぎないのだが、これは異常な事だった。


 目の前にいる男がシュー泰然タイランである保証はない。だが確かめてみる必要があると暁蕾シャオレイは思った。


「失礼しました! あなた様は前の諫議大夫かんぎたいふシュー泰然タイラン様ではございませんか?」


 片膝をつくと拝礼する。暁蕾シャオレイの言葉に男はフッーとため息をつくと天井を見上げた。


「お嬢ちゃん、あんた最近後宮に来たんだろ。俺がここに異動になったのはあんたが後宮に来る前のはずだ。それに俺がここに異動となったことは触れてはならない暗黙の了解になってるんだぜ」


 やはり暁蕾の予想は正しかった。この男は前皇帝に重用されたシュー泰然タイランその人なのだ。そしてその事を誰も教えてくれないのはやはり、触れてはならないという圧力がかけられているのだろう。


「いえ、誰からか聞いたわけではございません。失礼ながらそちらにあります書状は上奉文じょうそうぶんとお見受け致しました。それも大変な数ございます。これほどの上奉文じょうそうぶんを書けるお方はそうそういらっしゃいません」


「あーあー、バレちまったか。恥ずかしいから知られたくなかったんだがよ。そうだよ、俺はシュー泰然タイランだ。だがな、今の俺は単なる備品係だ。こんな上奉文じょうそうぶん何枚書こうが、皇帝陛下には見ていただけねーんだよ」


 そう言ってシュー泰然タイランは再びボリボリと頭をかいた。


泰然タイラン様、先ほどおっしゃった、自分の仕事に集中しないととはどういう事ですか?」


「お嬢ちゃん、いい加減立ってくれ。こそばゆいからよ」


 相変わらず片膝をついて礼を取ったままの暁蕾に泰然タイランは言った。それから椅子に座り直ると真面目な調子で続ける。


「いいかい、お嬢ちゃん。一回しか言わねーからよく聞け、そして聞いたらすぐに帰るんだ、わかったか?」


 暁蕾シャオレイは立ち上がると承諾の意味で「はい」とうなずいた。


「後宮で生き残りたいなら宦官かんがんとは距離を置け。宦官の言うことを決して鵜呑みにするな。それから……」


 ここでシュー泰然タイランは一呼吸おく。


「宦官のことを調べようとするな。以上だ、さあ帰ってくれ!」


 いろいろ聞きたいことがあった暁蕾だったが、約束は約束だ。泰然タイランに礼を言うと部屋を後にした。


 泰然タイランの言った言葉の意味を考えてみる。俺のように、とは俺のように理不尽な扱いを受けるぞ、と言う意味であろう。そして泰然タイランを理不尽なめに合わせたのは宦官かんがんなのだろう。


 暁蕾は、皇城から後宮へ帰る道すがら、宦官について考えてみた。宦官とは浄身じょうしん(去勢)した男性だ。男子禁制の後宮に足を踏み入れて良いのは、皇帝とこの宦官のみであった。


 後宮の貴妃たちの世話は女官がおこなうのだが、やはり後宮においても溏帝国の政治に関わる必要がある。かといって男性の官僚が後宮の補佐をすると後宮の純潔が脅かされる。そこで宦官の登場である。男性としての機能を失った彼らは後宮にいる貴妃たちの純潔を奪うことはない、非常に都合の良い存在であった。男でも女でもないこの宦官が後宮はおろか溏帝国そのものの政治を牛耳る存在であるのは間違いなかった。


 

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