第7話 暁蕾、屁理屈を言う

(嘘でしょ! この男、まさかとっても偉い人なの?)


愕然がくぜんとした暁蕾シャオレイだったが、氷水ビンスイと出会った時の失敗は繰り返すわけにはいかなかった。素早く片膝をつくと拝礼する。相手は本来なら暁蕾が口を聞くことさえ許されないような高貴な身分なのだ。


「まさかここで出くわすとは、予想外だったな」


 男は独り言のように言う。暁蕾に後宮入りを命じた時と同じ声ではあったが、あの時と違って暁蕾は威圧感を感じなかった。


「おい、娘。顔を上げていいぞ。あの時の威勢はどうした? 俺はただの花鳥史だぞ」


「はい、高貴な身分の方とはつゆ知らずご無礼を致しました。お許しください」


 なんで、皇族に次ぐような身分の男が花鳥史のふりをして下級官僚の家までやって来たのか? なぜ父さんはそれに気が付かなかったのか? 様々な疑問が暁蕾の頭を駆け巡っていた。


 顔を上げた暁蕾が男を見上げると、見下ろす琥珀色の瞳とまたもや目が合ってしまった。ドキリと胸が高鳴る。美しい色の瞳だけではない、通った鼻筋、整った眉、ほっそりした顎の輪郭、そのどれもが均整がとれている。肌の色は女性のように白く、唇にはつやがあった。前回はあまり顔を見ないようにしていたのだが、こうして近くで見るとまごうことなき美形であった。


曹 ツァオ傑倫ジェルンの娘、暁蕾シャオレイと言ったな。ここを通り抜けるのは下品な行為と言われている、知っていて通り抜けたのか?」


 暁蕾の家を訪れて、暁蕾が父の持ち帰った書類を読んでいることを脅しに使った時のような意地悪な響きがあった。


 (自分もここを通ろうとしたくせに、嫌なやつ!)


「恐れながら申し上げます。皇帝陛下が発せられました倹約令によりますと、物やお金の無駄使いを慎むようにとの仰せでございます。しかしながら、もうひとつ無駄にするべきではないものが挙げられているのです。ご存知かとはおもいますが」


 ここまで言って暁蕾は、はたと気が付いた。またもや挑発的な言葉を発してしまった。これでは高貴な身分であれば知っていて当然だろうという問いかけになっているではないか。この男の怒りを買うかもしれない。暁蕾は首の後ろがひんやりとするのを感じた。


 だが暁蕾の予想に反して男は声を出して笑い出す。


「ハハハハハッ、やっと調子が戻ってきたな! それは『時』であろう。それが理由と申すか?」


「はい、ここは後宮から宮城の前を通ることなく皇城へ行くことができる最短の道でございます。私は貴妃様方がご所望になっておられる品物の発注書を皇城へ届ける仕事をしております。貴妃様をお待たせすることは出来ませんので『時』を無駄には出来ないのです」


 暁蕾の答えを聞いた男は一瞬、眉を上げたが意地悪な笑みを返した。


「ハハハッ、そうだ。お前のことを屁理屈へりくつ女と呼ぶことにしよう」


 (屁理屈女ですって! 変なあだ名つけないでよ)


「さて、もう行くとしよう。『時』は大事だからな」


 暁蕾はすっと立ち上がると、男のために通用口の扉を開けた。うむとうなずいて男は歩き出したが、何を思ったのか入り口の手前まで歩くと立ち止まった。


「笑わせてもらった礼に名乗るとしよう。俺は御史大夫ぎょしたいふフー 秀英シュインだ」


 そう言うとフー 秀英シュインは素早く通用口をくぐり立ち去ってしまった。


 (御史大夫ぎょしたいふですって!)


 暁蕾は背筋が冷たくなるのを感じた。御史大夫ぎょしたいふとは、御史台ぎょしだいという役所の長官のことだ。御史台は、三省六部と言われる溏帝国の役所全体を見張り不正を暴く重要な役割を持った組織である。官僚の最高位である丞相じょうしょうを補佐する役目でもあった。


 とても下級女官の暁蕾が口を聞ける相手ではなかった。無礼をとがめられて処刑される可能性すらあったのだ。


 (最後に名乗るっていうのも意地悪よね)


 本当は秀英シュインが下級女官の暁蕾に名乗る必要などなかったし、御史大夫ぎょしたいふの顔を知らない方が問題なのだが、暁蕾のモヤモヤはなかなか収まらない。それに御史大夫ぎょしたいふが花鳥史に化けて下級官僚の家にやってくるなど前代未聞だ。


「まっ、いっか」


 細かいことは気にしない。これまでそれで人生を乗りきってきた暁蕾だった。さっさと歩き始めると皇城の一画にある備品の管理人の部屋にやって来た。


「こんにちはー。後宮から来たものです」


 ごちゃごちゃと物が乱雑に置かれた部屋の中に古ぼけた机があり、その後ろの椅子にもたれ掛かった中年の男が、口をあんぐりと開けいびきをかいていた。


 男は、でっぷりと太っており着ている官服もだらしなく着崩れしている。


 (なんなの? これは)


「すいませーん!」


 男が目を覚ましそうにもなかったので、今度は大きな声で言った。


 ガタン! 男の体がビクンと痙攣して椅子から転げ落ちそうになる。たるんだまぶたがうっすら開き、よどんだ瞳が暁蕾へと向けられた。


「うるせーぞ。邪魔しやがって……なんだオメーは?」


「私は昨日から備品係になった暁蕾といいます。発注書を持ってきました」


 男は暁蕾の言葉が終わらないうちに、フワーッと大きなあくびをした。あまりにだらしない態度に暁蕾は苛立ちを覚えた。


「いつも来る無愛想な娘はどうした?」


玲玲リンリンは別の仕事があるので私が代わりに来たんです」


 そう言って暁蕾は発注書を差し出した。男は発注書を興味なさそうに受け取りチラッと見ると机の上にポイと放り出した。


「一応、まとめてあるようだな」


「ええ、読みやすく数の多い順に並べてあります」


「そうかい、ご苦労さん」


 男は面倒くさそうに言うと再び椅子に深く寄りかかった。暁蕾は素早く部屋を観察する。机の上に墨の入ったすずりと使い古した筆が置いてある。床には文字がびっしりと書かれた紙が散乱していた。


 ――つつしみてたてまつ


 いくつかの紙に同じ言葉が書かれているのを暁蕾は見逃さなかった。

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