第6話 暁蕾、男と出会う

 その日は、大量にある発注書を一枚の紙にまとめる作業と、過去の注文状況について記録を作ることにした。


 暁蕾だけで手早く終わらせることも出来たのだが、それでは玲玲リンリンのためにならない。玲玲リンリンにも作業をやってもらい効率的な仕事を覚えてもらうことにした。


 夕刻になり部屋に氷水ビンスイがやって来た。氷水の行う礼儀作法の授業は想像以上に厳しかった。女官らしい歩き方、お辞儀のやり方、目上の人への言葉使いまで覚えることはたくさんある。


「暁蕾、なんですかそのお辞儀は!」


「暁蕾、今まで何を教わって来たのです!」


 容赦ない叱責しっせきを受けてほとほと参ってしまった。頭では……理論としてはわかっているのだ。ただ体が、口が思った通りに動いてくれない。一方、玲玲リンリンの方はかなり要領がいいようだった。氷水ビンスイが教えたことがすんなりと出来ていた。ただ、氷水ビンスイから意見を言うように求められたり、自分で考えて回答することになると途端に口ごもってしまう。


 (そうか、誰かのお手本通りに真似してやるのが得意なのね)


 品物の発注作業で分担する際にも、それぞれの得意分野に仕事を割り振れば早く終わらせることが出来るかもしれないと暁蕾は思った。


 礼儀作法の授業が終わると女官用の食堂で夕食をとり寝所へ向かう。暁蕾や玲玲リンリンのような特定の仕事を持った女官は皇帝の寵愛の対象となる貴妃や貴妃付の侍女とは居住区が分けられていた。貴妃には後宮内にそれぞれの部屋が与えられている。身分が高くなるにつれて部屋は広くなり、皇后や九嬪と言った上位の貴妃ともなると貴妃宮と呼ばれる独立した建物に入ることが許されている。


 昼間、発注書のことで絡んできた侍女、青鈴チンリンが仕えている翠蘭スイランもそのひとりで、彼女がいる貴妃宮は紅玉こうぎょく宮と呼ばれている。今思えば侍女がわざわざ発注書を持ってきたのも不自然と言えなくはない。そんな雑用は下級女官に任せればいいのだから。


 翌朝、身支度をして朝食を取った後、再び氷水ビンスイの授業を受ける。


「いいですか、後宮の北側は北宮と呼ばれています。北宮には貴妃宮があり貴妃の方々とその侍女、使用人である女官がいらっしゃる場所となっています。用もなく北側へ立ち入ってはなりません。またまれに北宮から貴妃様が我々がいる南宮へ来られる場合があります。回廊で貴妃様とお会いした場合、直ちに片膝をつき拱手の礼を取らなければなりません。くれぐれも忘れないように」


 暁蕾は後宮に行けば美しい貴妃や侍女がそこらじゅうにいるものと思っていた。だがこの南宮にいるのは皇帝の寵愛を受ける美しい貴妃ではなく、日々の地味な雑用をこなしている下級女官たちだった。もちろんそれでも才能や技能を認められた有能な女子や家柄の良さで選ばれた女子たちであることは違いなかった。


 一介の役人の娘である暁蕾や辺境から来た玲玲リンリンはこの南宮においても見下される立場であった。そう考えると、昨日、紅玉こうぎょく宮の青鈴チンリンをやり込めたのは不味かったかもしれない。後宮に入った初日にやらかした、と思い暁蕾は少しだけ反省した。


「備品係の仕事はどうですか? うまく出来そうですか?」


 授業の終わりに氷水ビンスイが聞いてきた。


「はい、玲玲リンリンがひとりで苦労していたようですが、ふたりで手分けしてやれば問題なさそうです」


「そうですか……」


 キッパリと答えた暁蕾に氷水ビンスイはそれ以上何も言わなかった。


 例の薄暗い仕事部屋へ移動して2日目の仕事が始まった。発注書の箱へ取りに行くと既に何枚も紙が入っている。ちょっと多すぎないか?と暁蕾は思った。後宮では米や油や蝋燭をそんなに大量に使うのだろうか?


玲玲リンリン、まとめた発注書を皇城へ持っていくね。悪いけど発注書のまとめ作業をお願いできる?」


「わかった……暁蕾が書いてくれたお手本がある。見ながらやってみるよ」


 バラバラの発注書を1枚の綺麗な発注書へまとめる作業はかなり手間がかかる。暁蕾はまず1枚のお手本を書き、そのお手本に記入する上での注意事項を書き入れたものを作った。昨日、礼儀作法の授業で玲玲リンリンが教えられたことをそのまま実行できる能力があると思ったからであった。


 後宮に入る時は西側にある星虹せいこう門から入ったのだが、そこから皇城へ向かうと一旦通りへ出なければならず遠回りになる。かといって皇帝陛下や位の高い貴族がいらっしゃる宮城の近くをあまり通りたくない。暁蕾は後宮の南側にある通用口を使って皇城へ行くことにした。この通用口を使うことは、はしたない下品な行為とされていたので女官は使うのを避けていたのだが、無駄なことはしないというのが暁蕾の信条だった。


 通用門は通常の門と比べてとても小さい。木製の粗末な片開きの扉で背も低い作りなので背の高い暁蕾は少しかがんで通り抜ける必要があった。


 辺りを見回し誰もいないことを確認してから通用門をくぐる。昨日見た左右対称の建物が眼前にひろがると予想していたのだが暁蕾の予想は裏切られた。


 なぜなら門を出た真正面に誰かが立っていたからだ。目の前に立っていたのはとても背の高い男だった。線の細い中性的な雰囲気を持つその男に暁蕾は見覚えがあった。美しい琥珀色の瞳が驚きで見開かれているのが見えた。


「うわっ!」


 暁蕾は思わず間抜けな声を上げてしまった。


「あなたはあの時の……!」


 男の正体は暁蕾に後宮入りを命じた花鳥史かちょうしの男であった。服装は暁蕾の自宅を訪れた時と変わっている。丸えり袍服ほうふくを身につけ、幞頭ぼくとうと呼ばれる帽子をかぶっているのは溏帝国の決まりにのっとったものだ。


 問題は袍服ほうふくの色だった。男は紫の袍服ほうふくを身に付けていたのだ。溏帝国の統治制度は九品制という仕組みをとっている。最上位の一品いっぴんから九品きゅうひんまでの位があるのだが、一品いっぴんと二品は、皇族か最上位の貴族である。実際は三品以下の役人が実務をになっていた。


 男が着ている紫の官服は、三品以上の役人にしか着用が認められていなかったのである。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る