第5話 暁蕾、仕事に励む

 振り向くと女官がひとり立っていた。上下とも鮮やかな赤の襦裙じゅくんを身に付けている。いやくんの方はより深い赤色なので、もしかしたら柘榴ざくろで染めたものかもしれない。


 目は切れ長で鼻も尖っている。美人には違いないのだが八の字の眉がキツイ印象を与えている。手には1枚の紙を持っていた。


「あなたたち、そこで何をしているの?」


 詰問するような強い調子で言う。


「私たちは、後宮の備品を調達する係です。ここにある発注書を取りに来たんです」


 暁蕾は目の前の女官の服装と、ひとりで歩いていることから自分と同じ身分だと判断した。


「あら、誰かと思ったら田舎者の玲玲リンリンじゃない。それともう1人は見ない顔ね。新入り?」


 あざけるような調子で女官は言う。田舎者と言われた玲玲リンリンはその場で固まっている。


「私は今日から後宮で働くことになった、暁蕾シャオレイと言います」


「私は紅玉こうぎょく宮の侍女、青鈴チンリンよ。新しい発注書を持って来たわ。あれ? 箱に発注書が溜まってるじゃない!ちょっと見せなさいよ」


 青鈴チンリンは暁蕾と玲玲を押し退けて、発注書入れの箱に歩み寄る。パラパラと紙をめくると、わざとらしくため息をついた。


「どういうことかしら? 私が数刻前に入れた発注書がまだ残ってるじゃない!」


 青鈴チンリンは紙束から1枚抜き取ると暁蕾と玲玲の眼前に突き付ける。数刻前という曖昧な言い方からして箱に入れてからまだそれほど時間が経っていないのではないか?と暁蕾はいぶかしんだ。


「ねえ、新入りさん。私の仕える翠蘭スイラン様はね、皇帝陛下からも度々わたりを受けられている素晴らしい貴妃様なのよ。その翠蘭スイラン様が必要とされている品物がすぐに届かないなんてあってはならない事なの、分かるわよね」


 翠蘭スイラン妃の名前は暁蕾も聞いたことがある。この安慶に隣接する黒河こくが州を治めるりゅう家の娘であり、教養と美貌を兼ね備えた貴妃だとの噂だった。また、りゅう家は皇族に匹敵する権力を持っており皇帝と言えども気を使わないとならない存在だったはずだ。


「ご注文は箱に入れられた順番に処理させて頂いてます。少々お待ち頂けますか? その発注書はこちらでお預かりします」


 キッパリとした暁蕾の言葉に青鈴チンリンは不快そうに眉をひそめる。


「順番? そんなものあなたの判断でいくらでも変えられるでしょう。翠蘭スイラン様はお急ぎなの!最優先で持って来てちょうだい。それにあんたの横にいる田舎者なんだけど、仕事が遅くてみんな迷惑してるの。あんたがそいつの分までちゃんとやってもらえるかしら」


 予想外に言い返されたことで自尊心を傷つけられたのか、青鈴チンリンの八の字眉はさらに吊り上がっていた。矛先を玲玲リンリンにまで向けてくる。


 (自分のご主人様の威光を傘にきて天狗になっているのね。めんどくさいな)


 青鈴チンリンから発注書を受け取った暁蕾は、箱に入っていたもうひとつの発注書と素早く見比べる。さらに部屋に山積みになっていた発注書の中にあった紅玉宮分の発注書の内容を記憶から呼び出す。


 (やっぱり、そう言うことか……)


 暁蕾は青鈴チンリンの方を向き直ると、静かにしかしはっきりとした口調で言った。


青鈴チンリン様、先月、皇帝陛下より宮城に対して倹約令が出たのをご存知でしょうか?」


「えっ! 何それ?」


 ――宮城倹約令、それはどんどん豪奢ごうしゃになっていく宮城内の設備や調度品、食事の大量廃棄、備品の無駄遣いに対して歯止めを効かそうと皇帝自ら発した勅令であった。もちろん後宮もその対象に含まれるので貴妃付きの侍女であれば知らないはずはなかった。


「紅玉宮様からは今月すでに6枚の発注書が提出されています。そのいずれもが、米、油、蝋燭の発注ですね。合計で米5俵、油15升、蝋燭500本となっています。これだけの量になりますと、今回の倹約令にのっとり、確かにお使いになったのかどうかお調べしないといけません。それと私の名前は暁蕾です」


 青鈴チンリンの表情が見る間に青ざめていく。


「あ……えっとおー……そう言えば、お米や油はまだ倉庫に在庫があったわね。そうそう蝋燭もまだ足りそうだわ。その発注書返して頂けるかしら、えっと……暁蕾さん」


 早口で言い訳じみた言葉を発したかと思うと暁蕾の手から発注書をひったくり、足早に立ち去っていった。


 (やれやれ、なんとか追い返せたわね)


 小さくため息をついた暁蕾の隣で、玲玲リンリンが眠たそうだった目を見開いて呆然と立ち尽くしていた。


「暁蕾……すごい……尊敬する」


「たまたま陛下の勅令を知ってただけだよ。青鈴チンリンの言うことなんか気にしなくていいからね。玲玲リンリンはひとりで頑張ってたんだから」


 玲玲リンリンにはそう言ったものの、仕事が遅れ気味なのは事実だろうと暁蕾は思った。なんとか対策を考えねば、また難癖をつけられるかもしれない。部屋に戻ると仕事の進め方についてしばらく思案する。


「倉庫を見に行こうか」


 玲玲リンリンに案内してもらい後宮の倉庫へ行く。倉庫は後宮への入り口、星虹せいこう門から入って向かって右側、つまり後宮の南側にあった。玲玲リンリンが持っている鍵で倉庫の門を開けて中に入った。女官たちが生活している建物とは違い単色の質素な建物だった。


 明かり取りの窓が建物の上部にいくつもあるため、倉庫の中は思ったよりも明るかった。壁面には背の高い木製の棚が設置してあるのが見えた。


「あれっ! ええっと……品物はどこ?」


 暁蕾は思わず声を上げた。棚には何もなかった。全て取りに来た侍女によって運び出されたのだろうか?


玲玲リンリン、発注した品物は一旦ここに運び込まれるのよね?」


「そう、ここで貴妃宮ごとに仕訳されるの」


 確かに、棚は仕切り板で区画を分けられており、それぞれの貴妃宮あてに届けられた品物を置いておくような仕組みになっている。


「ここに届けられた品物の確認は誰がするの?」


「それが……少し前に宦官がやって来て品物の確認と貴妃宮への伝達は自分達がやるから、お前たちはやらなくてよいって言われたの」


 (宦官か……なんかイヤな予感がする)


 暁蕾と玲玲リンリンは一旦、自分達の仕事部屋へ戻ることにした。

 

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