第3話 暁蕾、同僚に会う

 鳳凰門の門番に声をかけて花鳥史から渡された証書を見せる。門番の男は証書を受け取ると暁蕾を頭からつま先までジロジロと見たあと「ここで待て」と言った。しばらく待っていると門の通用口が開き、中に入ることができた。


 門の奥にひとりの女性が立っていた。歳のころは30ぐらいだろうか? 薄緑色のじゅに水色のくんを身につけ髪はひとつの大きなもとどりとしてまとめられている。額には花をあしらった花鈿かでんと呼ばれる紋様が描かれており、細く切れ長な目と尖った輪郭が冷たく厳しい雰囲気をかもし出している。


「あの……」


 鋭い視線に射すくめられて暁蕾は固まった。


拱手きょうしゅの礼はどうしたのです?」


 よく響く声が飛んできて、暁蕾は我に返った。慌てて左手で胸の前に拳を作り右手のひらでその拳を包むようにして差し出す。溏帝国における伝統的な挨拶の儀礼だった。


「本日から、後宮に参内さんだい致します、曹 ツァオ傑倫ジェルンの娘、暁蕾シャオレイと申します」


 女性は、暁蕾が門番に渡した証書を手に持っている。証書と暁蕾を交互に見比べると少しだけうなずいた。どうやら本人と確認できたのだろう。


「私は後宮の教育係をしているシェン氷水ビンスイと言います。今日からお前が後宮で生きていくための礼儀作法を教えます。いいですか、ここにいる女性のほとんどはお前より身分の高い方々なのです。先ほどのように挨拶すらできないようではお前の居場所はすぐになくなると思いなさい」


 氷水ビンスイの言葉は鋭い刃のように暁蕾の心をえぐった。自分より身分の高い相手には自ら進んで挨拶を行う、もちろん知識としては十分わかっていたし普段の生活でもできていたつもりだった。だが後宮の女官を前にしてそれが出来なかった。自分の知識が行動として生かされなかった、それが猛烈に悔しかったのだ。


「後宮へ案内します、ついてきなさい」


 氷水ビンスイは、背をむけると歩きだした。暁蕾も遅れないように後を追う。今、暁蕾たちが歩いているのは皇城こうじょうと呼ばれる安慶の中央官庁が集まった場所だ。


 暁蕾の父、傑倫ジェルンは尚書省に勤めている。尚書省は、審査を通った法案を実際に国で使えるようにする役所だ。かなりの激務で、いつも家に仕事を持ち帰っていた。


 皇城の建物は敷地に左右対称に作られている。石造りの台の上に鮮やかな朱色の柱が何本も建てられ美しい曲線を描いた瓦屋根を支えている。建物の壁には細かい装飾が施されまるで異国に来たような雰囲気が漂っていた。


 皇帝の手足となって国のまつりごとを行っているのは三省六部さんしょうりくぶと呼ばれる組織で、この皇城に設置されている。建物の廊下を紙の巻物を持った役人が忙しそうに行き来する姿が見えた。氷水ビンスイ宮城きゅうじょうへ続く大きな通りを真っ直ぐ進んでいく。通りの正面に鳳凰門よりももっと立派な門が見える。真っ青な空を背にして朱色の柱や門戸がくっきりと浮かび上がっている。宮城の南からの入口――青龍門せいりゅうもんであった。


 (この中に皇帝陛下がいらっしゃるのね)


 皇帝陛下を自分の目でみたことはない。たが帝国の安定に力を注いでいる真面目な皇帝という印象はあった。


 氷水ビンスイは、青龍門の手前で西に折れて進む。宮城を囲む城壁に沿って西に進んだ後、突き当たった通りをさらに北へ進んだ。


 右手の城壁にやや小振りの門があり、その前で氷水ビンスイは立ち止まった。


「ここが後宮へ入口、星虹せいこう門です」


 氷水ビンスイが門番に目配せすると、ゆっくりと門が開く。門の中は暁蕾の想像を超えた世界だった。たった今歩いてきた皇城の建物も十分立派であったのだが、後宮の建物は更に色鮮やである。


 (これが後宮! なんて美しいんだろう)


 暁蕾が建物に見とれていると、氷水があきれたようにこちらを見ているのに気がついた。


「ぼっーとしてる暇はありませんよ、まずはお前の職場への挨拶です」


 季節は春の始めである。後宮の庭には白梅と紅梅の花が美しく咲き誇っている。紅白の花が並んで咲く姿は一枚の絵のようであった。


 氷水に連れられて暁蕾は、手前にある比較的、質素な作りの建物に入った。廊下で女官たちがせわしなく動き回っていたが、入ってきたふたりを見て動きを止める。


「あら、また田舎者がやって来たみたいね」


「パッとしない娘ですこと」


 どうやらここでは新入りは歓迎されないようだ。あざけりの目、敵意を込めた目、さまざまな視線が暁蕾に向けられるが、ひとつも好意的なものはなかった。


 (これでも帝都安慶の出なんだから!失礼ね!)


 こそこそと陰口をたたく女官どもに言い返してやりたい気持ちをなんとか抑える。


 氷水と暁蕾は、廊下の突き当たりにある薄暗い部屋に入った。部屋の中央には木製の机がひとつ。机の脇には書類の山が出来ている。椅子に座り、しかめっ面をしながら書類をめくっている女性が目に入った。


 ふたりが部屋に入っても女性は書類に視線を落としたままだ。こちらを気にしている素振りがまったくない。


コウ玲玲リンリン!」


 氷水のよく響く声が女性に向けて発せられた。ようやく女性はのろのろとした動作でこちらを見た。こちらに向けられた顔はまだあどけなさが残る少女のものだった。おそらく暁蕾と同じくらいの歳だろう。


 椅子に座っていても小柄なのがわかる。異国の血が入っているのだろう、ほりの深い目鼻立ちをしていた。薄桃色の襦(上着)に淡い水色の裙(スカート)が似合っている。丱角かんかくと呼ばれる頭の左右に2個のお団子を作った髪型が可愛らしい。


「う……これ全然終わらない」


 椅子から立ち上がり氷水と暁蕾に礼をとった後、玲玲リンリンは力無くうめくように言った。とても眠そうな目をしている。まだ午前中だがすでに眠いのだろうか?それとも元々そういう表情なのか暁蕾にはわからなかった。


玲玲リンリン、今日からあなたの同僚となる暁蕾です。暁蕾シャオレイ、あなたは今日からここで玲玲リンリンとふたりで働いてもらいます」


安慶あんけい出身のツァオ暁蕾シャオレイです。父は尚書省の役人です」


「……紗州さしゅう出身の……コウ玲玲リンリンです。えっと……父は紗州さしゅう郡の兵士です」


 玲玲リンリンの自己紹介は、たどたどしくどことなく恥ずかしそうだった。話をするのが苦手なのかもしれない。それにも増して、玲玲リンリンの出身地が紗州さしゅうと聞いて暁蕾は驚いた。紗州さしゅうは溏帝国が直接支配する地域としては最も西方に位置する。ここ安慶から少なくとも3,400里(1,700km)はある遠い遠い場所だったからだ。

 


 

  

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