「本物」と「偽物」

「ああ、来てくれたンですね、平田サン」


 この前の件から一週間後、平田サンはまたここに来てくれた。


「来てくれたもなにも、僕も週末はだいたいここだしなぁ」

 平田サンはそう言いながら「今日のコーヒー」をテーブルに置く。


「で、早速だけど、『本物のニセモノ』って、どれ?」

 平田サンは珈琲を一口喫むと、訊いてくる。


「ああ、これなんですけど……」

 そう言って僕はポケットから1つの腕時計を出す。

 それは、オリーブドラブのキャンパーそっくりの時計。

 バンドもオリーブドラブに銀の留め具が付いたNATOバンドだ。


「わぁ、僕のとソックリ」

 その時計を見た瞬間、平田サンは驚いた様に自分の腕に嵌めているキャンパーを外して、隣に置く。

 オリーブドラブの「偽物」の横に黒い「本物」が置かれた。

 慥かに見た目は近しい。

 文字盤が外周に大きく時、内周に分が印刷されているのも近い。


「そう、でも、これ、なんと550円だったんですよ」

「えぇ?550円……?」

 平田サンは驚き、僕が持ってきた「偽物」を手に取って眺める。

「なんか、ショックだなぁ……」

 そう呟く。

「まあ、ショックなのも解りますが、今から何が違うか説明しますね……?」

 何を隠そう、僕自身、これが550円で100円ショップで売られているのを知った時は驚いた。

 いや、100円ショップなのに500円と云う言語矛盾はもう誰しもが知る所だが、これはそんな事ではなく、見た目上の出来は良かったからだ。

 しかも、ムーブメントは「日本製」らしく、誤差も大して無く、下手な機械式時計を買うより余程実用的だ。

 その上パッケージまでビニールを手で破く形式で、寧ろこの方が米軍の官給品らしさすらあった。

 そう、見た目上は完璧だったのだ。

 見た目上は——


 ここがこの時計が「本物のニセモノ」である所以である。

 先ず、実際に持ってみると、想像以上に軽い。

 いや、慥かにキャンパーも軽いのだが、それ以上に軽い、「スカスカ」な印象さえ与える軽さだ。

 次に、軽くケースや風防に触れてみる。

 一度触れただけで解るヤワヤワさ。

 ケースの樹脂は非常に軟らかく、指で曲げるだけでラグ幅が変わりそうな程だ。

 透明部分の風防の透明度も、本物と比べてみると透明度が低く、合成樹脂の密度が低い事も目で判る。

 風防の曲率も、本物のキャンパーは斜めから見ても時間が読取りやすいのに対し、こちらは完全に光が歪んでしまって全くよ見取れやしない。

 さらに、数字や針が蛍光グリーンなので蓄光塗料なのかと思い、試しに文字盤を手で覆い、暗くして見ると、何も見えない。

 そう、トリチウムでないのは勿論、スーパールミノバや蓄光塗料ですらなく、ただたんに蛍光色の塗料が塗られているだけで発光はせず、当然暗闇では役に立たない。

 NATOバンドも見た目はともかく、実際に触ってみると明らかに密度は薄く、金具部分もメッキを施された樹脂製だ。

 どれもこれも、外見だけは立派なのだ。


「そう、外見だけは、ね」

 僕は先ず、ここまでを大まかに説明して、「偽物」を平田サンから受け取る。


「うぅん……言われてみればそんな気もするけれど……」

 平田サンが珈琲を一口喫み、腕を組みながら天井の方を見ている間に、僕は「偽物」を裏返すと、バンドを外す。

「そう、で、ここからが更にスゴいですよ?」

 そう言って家の鍵でケースの裏蓋を外す。

 裏蓋は軽い音を立てて、簡単に外れた。

「あ、そうやって外すんだ」

 平田サンはそこに感心する。

 裏蓋がただたんにはめ込み式になっているのは別に珍しい事ではなく、寧ろスクリュー式になっている方が少ないは少ない。

 そもそも一定以上の防水性を考えなければ、わざわざメンテナンス性の下がるスクリュー式を採用する必要も無い。

 防水性を持つ物でも、3気圧防水程度だとはめ込み式にラバーリングを付けたり、ラバーシートを挟んでいるだけの物も多い程だ。

 ただ、それにしても簡単に外れ過ぎるのはそうだが——

 そして、当然ながら防水性等考えていない「偽物」には、当然そんな物は無い。


 開けたケースの中には、樹脂製の歯車が動く、小さなクォーツムーブメントにボタン電池が入っているだけだった。

「え?中身これだけなの?」

 初めて中を見た平田サンは驚いた様だった。

「クォーツなんて、だいたいこんなモノですよ。だから逆に小さくて薄いケースでも10気圧防水にできたり、クロノグラフやデイトの位置を調整しやすく、デザイン性が良かったりもするンですけど」

 僕は平田サンの方は見ず、時計の電池を外しながら話し続ける。

「で、本当に見せたいのはここで……」

 そう云いながら、ピンセットでムーブメントを掴むと、ケースから引き出し、針の方を上に向ける。

 そこには、合成樹脂の上に数字が印刷されただけの厚紙が乗っていた。


「えぇ?時計の中身って、こんななの?」

 平田サンは大分ショックを受けた様だ。

「いえ、これが特別に『安物』なだけで、平田サンのはちゃんと防水用のラバーシートが有ったり、文字盤も別の部品で組み立てられてますよ。他にも、文字盤が金属製でインデックスが別パーツなのも多いです」

「あ、そうなんだ」


 そう、外見だけは立派なこの時計は、本当に外見を取り繕っただけ——

 素材も造りも何もかも安物——


 正しく、外見だけ似せて作られた「ニセモノ」である。


「でも、大丈夫なの?こんなの売ってて?」

 平田サンが突然の疑問を呈する。

「大丈夫?何がです?」

「いや、だって、外見だけでもこんなにそっくりだったら、外見しか気にしない人は安いこっちを買っちゃうじゃない?」

 そう、慥かにこの「偽物」はすこぶる人気が高い。

 実際、僕もこのバンドを別の時計に嵌めたりして活用している。


「それに、ほら、『著作権』?とか『特許』とか、あのへんも最近ウルサイじゃん?」

 これも、当然の疑問である。


「ああ、大丈夫ですよ?」

「大丈夫なの?」

 平田サンは首をかしげる。

「ええ、もしこれが『TIMEX』とか『キャンパー』と云って売っていたら大問題ですが、これは別にそんな事は一言も云ってなくて、ただ単に『ミリタリー風』と名乗っている、ただの腕時計です」

 平田サンはまだ得心がいかなそうだった。

 この辺りが「贋作」問題を難しくしているポイントでもある。

「こう云うので問題にされるのは『著作権』ではなく、『商標権』なンですよ」

「『商標権』?」

 そう、「贋作」が「贋作」になるのは「本物」を騙ったときだけなのである。


「ほら、よくゴッホとかの『贋作』が問題になったりするじゃないですか。あれはゴッホじゃない人が『ゴッホ作』と偽って売っているから詐欺の大問題になる訳で、例えば僕が僕の名前で『ゴッホ風』に描く分には『盗作』とは云われても『贋作』とは云われないですよ」

 そう。作者やメーカーの名を騙ると、それが「贋作」になるのだ。

 更に云えば、僕が僕名義で「ゴッホの絵をゴッホよりもゴッホらしく描きました」と云い、そう云うタイトルを付けたら、もうそれは「そう云う作品」として「本物」になってしまう。


「だから、逆に云えば『本物』よりも良い素材を使って、『本物』より高い技術力で作られ、『本物』よりも高値で取引されていたととして、『本物』の名を騙ったら、それは『本物より良くできた偽物』なンですよ」

「へー。『本物』より良くてもダメなんだ……そんな事、あるのかい?」

 平田サンはこの手の話を結構好む。


「普通は損するだけだからそんなバカな事は滅多にありませんが、一部例外もあります」

 僕もこの手の話をするのは好きだ。


「例外?」

「ええ、例えば、さっき上げた『アート』関係、特に『現代アート』では、結構そう言う事をして、その行為自体を『作品』にする場合もあります。この場合はその後にネタバラシをして、半ばドッキリみたいな形にする事が多いですが、もう一つ、絶対にネタバラシしないものもあります」

 平田サンも食いついて来る。


「絶対に?」

「ええ、絶対に。寧ろ、したら命に関ります」

「命に?」

 いよいよ「引き」が強くなる。


「ええ、それは、贋札です」

 ここで僕は一口、店長自慢のブレンドを喫む。


「こちらはそもそも『本物』の原価が安く、元々利幅が大きいのもあり、それより高い材料や技術力で作っても元が取れるのもありますが、それ以上に国家反逆罪、詰まり死刑か終身刑が当たり前の重罪なので、先ずネタバラシはしません」

 そう、『本物』より上等な『偽物』は実在するのだ。


「ただ、これにも例外があって、例えばある種の情報テロを行う思想犯の場合、敢えて『贋札』の製造を発表して政府の信用を落とそうとしたり、或は、これも面白い事に紙幣の印刷技術の『芸術性』を弘める為に、敢えて贋札を造ってみせる『芸術家』もいたりします」


 そう考えると、『芸術家』と云うのは遠回りな自殺をしたがる狂人の事なのかも知れない——

 僕も人の事は云えないか——


「まあ、この様に、『本物』と『偽物』というのは、実際社会では創作の対価としての『著作権』の問題ではなく、社会的信用を担保する『商標権』の問題なンですよ」


 そこに使われた技術や材料の良し悪しではなく、「別の者の名を騙る事」が「贋作」や「偽物」として問題にされるのだ。

 つまり、「詐称」する「詐欺」、それが「贋作」の本質なのである。

 他に、盗作や剽窃もあるが、これも他者の作風やアイディアを「自分がやった」と云うから問題になるのであり、最初から元ネタが明らかならば、それは唯単に「引用」や「パロディ」、「オマージュ」になってしまう。


 例えば、この「ニセモノ」の時計も、外見こそそっくりだが、その他は何も騙していない。

 最初から堂々と「ミリタリーっぽい時計」と謳い、中身もまあ、日本製なのだろう。

 だから、何も「騙して」いないのである。

 ただ、外見を寄せただけ。


 そして、これこそがこの時計の人気のポイントでもある。

 例えば「少しミリタリーテイストを入れたい」と云う人や、或はサバイバルゲーム等で「20世紀半ばの米軍風にしたい」と云う人、或は、本当にバンドだけ欲しい人にとって、この簡単に壊れても良い気安さの時計は大変助かる物なのである。

 何もかもが外見だけの気安さ。

 それを実現する為に、どこまで安くできるか、550円でどこまで満足させられるか。

 それを徹底する態度や実現する企業努力は本物である。



「そう、だからこそ、これは『本物の安物』、『本物のニセモノ』なンですよ……」

 そう言って、僕は珈琲を一口喫む。

「そうなると、何が『本物』で、何が『偽物』なのか、訳が判らなくなるね」

 平田サンもそう言って、珈琲を一口喫む。


 最近では、きちんと豆を挽いたコーヒーがそこら辺のコンビニで100円かそこらで飲める。

 その企業努力は本物だろう。

 他にも、有名メゾンが発表するプレタポルテがその当初、如何に刺激的なデザインであっても、半年もすればそのコピー品が量販店に並んでいる。

 これも、創作の努力も、或は量産し流通させる労力、どちらも本物だろう。


 ただ僕が、創作の努力の方を好むだけで——


「それでも僕は、きちんと手でローストされて、手で挽かれた、何故それをするのか一々考え抜かれ、深みがあって気難しい『本物』の方が、満足感が高くて、好きなんですけどね……」

 そう呟く。


 平田サンは、怪訝な顔をして、こちらを見ていた。

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