REAL - FAKE

@Pz5

ちゃんとした時計

「山田君……時計、詳しかったよね?」


 そう訊ねてきたのは、同じ喫茶店の常連の平田サンだった。


「詳しい……と云うか、まあ、好き、と云う程度ですが……時計に関して何か?」

 いつもの週末のいつもの喫茶店。

 話しやすいが偏屈なマスターが夫婦でやってる、家具も器具も拘った独特な喫茶店。

 その中で、いつもの「今日のコーヒー」を喫むいつもの平田サンから、いつもとは違う話題を振られ、僕は困った。


「ああ、これなんだけどね……?」

 そう云って平田サンが見せてきたのは、左手首に嵌めた腕時計だった。

 黒い樹脂製ケースに樹脂の風防、アナログ文字盤にスーパールミノバ蓄光塗料つきのインデックスと針。

 黒いナイロンのNATOバンド。

 音からするに、クォーツ。

 何と云う事のない「普通の時計」。


「ああ、TIMEXのキャンパーですね」

 そうとしか云い様がなかった。

 非常にスタンダードな、良い時計である。


「あ、これ、キャンパーって名前だったんだ。知らなかった」

 平田サンは時計の文字盤をみながらそう言う呟く。

 平田サンの四角い眼鏡に反転したTIMEXのロゴマークが映る。

 

「良い時計じゃないですか」

 僕は訝しんで平田サンの顔を見る。

「その時計が何か?」

 本当に何と云う事のない時計である。

 そのシンプルさ、気軽さがこの時計の良さでもあるのだが。


「あ、いやね?ほら、僕、娘がいるって言ったじゃん?」

 そう言えば、この前そんな話も聞いた気がする。

 こちらに向き直った平田サンはそのまま続ける。


「でね?まあ、もう中学生にもなって、何と言うか、少し難しい年頃になってきたんだけど」


 だから何なのだろう——?

 まあ、平田サンなりに話す順序があるのだろう。

 平田サンは少し笑いながら話を続ける。


「でね?まあ、その、休みとかに一緒に出るでしょ?」


 独身の僕には解らないが、まあ、一緒に出かけたりするのだろう。


「そしたら、ね?この時計を見てこんなこと言うんだよ。『お父さん、そんなんじゃハズカシイから、もっとちゃんとした時計して』って」

 娘サンの処は、口まねでもしたのか、少し口調やトーンを変えている。


 「ちゃんとした時計」——?

 キャンパーは歴史も由来も確りした、れっきとした「ちゃんとした時計」なのに——?


「『ちゃんとした時計』?」

 僕は思わず訊き返してしまう。

 眼鏡の位置を直し、もう一度平田サンのキャンパーを見る。

 使い込まれ、所々疵はあるが、そんな「恥ずかしい」様な時計じゃない。


「そうなんだよ。『そんな100円ショップで売ってそうなのじゃなくて、もっとちゃんとしたのにしてー』って……」

 平田サンは、ここでも娘サンの口まねをする。

「酷いよね?これ、気に入ってるのにさぁ」

 そう云いつつ、娘サンの話をする平田サンは楽しそうだ。

 何だかんだで仲は良いのだろう。


「ああ……成程……」

 僕は首の後ろで溜まった髪を手で解しながら、平田サンの言わんとしている事が何となく判ってきた。


「で、なんか『ちゃんとした時計』を教えてもらおうかな、と思ってね?」

 平田サンは笑いながらこちらを伺う様な上目遣いをしてきた。


「それは……大変ですね……」

 僕は自分の中の気持ちの混乱を抑える為に、一息入れる。


 それにしても、TIMEXのキャンパーをして「100円ショップで売ってそうな時計」とは……

 慥かに、キャンパーはのケースは樹脂製で、見た目の高級感こそ無いが、それはこの時計の出自の関係でもある。

 そもそも、この時計はベトナム戦争の時に米軍が兵士に配る使い捨ての時計として開発された。

 水晶時計はこのベトナム戦争の期間中に日本のセイコーで実用化されたから、当時はまだクォーツなんて無いか、高価で、安価な機械式のムーブメントが使われていた。

 それこそ100円ショップでもクォーツが買える今考えると、使い捨ての機械式時計なんて、随分と豪奢に聞こえるが、当時はその方が安かったのだ。

 官給品なのだから、コストは抑えられるだけ抑えた方が良い。

 ただ、それでもムーブメントはそれなりに正確だったし、高温多湿で衝撃の多い戦場で使われる事を前提としているから、当時としては先進的な防水性と対衝撃性をもっていた。

 ケースや風防が樹脂製なのはその為でもある。

 実に合理的だ。

 バウハウスデザインの時計、例えばユンハンスなんかも、今でもアクリルの風防を使い、三次元曲面の合理性を示している。

 ベトナム戦争当時、アポロ計画の宇宙飛行士用のスピードマスターにもNATOバンドは使われており、ナイロンをバンドに使うのは実に未来的でもあったのだ。

 当時採用されたばかりの樹脂製の突撃小銃M-16に樹脂製の時計。

 これは、当時の米国が如何に先進的だったかを見せている。

 今では余ったバンドを束ねる部分に金具が使われているが、当時はその部分も同じ素材で、そこは違うが、それとムーブメントがクォーツになった以外は、今でも同じ形で造られる、れっきとした「ちゃんとした時計」、それがこのキャンパーなのに。

 戦場で生まれた、と云う意味では歴史的にみてもロレックスやパネライ、オメガにだって退けを取らない。


「それ位、『ちゃんとした時計』なんですよ。それは」

 僕は先ず、このキャンパーの氏来歴を平田サンに伝える。


「で、更に云えば……」

 平田サンは配管や配電の設計技師をしている。

 直接肉体労働をする事はないとは云え、作業着になる事が多く、現場で監督作業をしたり、車での現場回りも多い。

 仕事の関係上、照明や空調が設置される前の建物にいる時間も長く、夏場等は汗がスゴい事もあると云う。そんな環境では樹脂製で錆ず、軽く丈夫で、蓄光で視認性が高く、バンドの交換・洗浄が容易なこの時計は適任である。

 その上、最近のアナログ文字盤のG-SHOCKの様に厚デカの流行に流されていないので、その場で筆記作業をするのに邪魔にもならないし、営業でジャケットを羽織っても違和感は少ない。

 しかも、海外メーカー故に多少値段は乗るが、クォーツ式でどこでも簡単に電池交換ができるのも、メンテナンスに拘らない平田サンにはピッタリの時計だ。


 ここまで伝えた処で、平田サンがぽかんとしている顔が目に入る。

「ああ……えぇっとぉ……」

 何の話だったか。

「ああ、そうそう、『ちゃんとした時計』でしたね……」


 キャンパーの良さを解さい人の云う「ちゃんとした時計」——?

 そうなると、逆にパテックフィリップの96《クンロク》やノーチラス、ランゲ&《ウント》ゾーネのランゲ1《アイン》等、それも18Kやプラチナケースの物を着けていても「つまらない」と云われてしまう可能性すらある——

 フランクミュラーやジャガールクルトの三軸トゥールビヨン……いや、派手だな——

 ロレックスかグランドセイコーなら先ず間違いは無いが、恐らくそう言う事ではなく「ジャケットに似合うドレスウォッチ」程度の意味だろう——

 となれば、IWC程いかなくても、ミドーやティソ、ラコやオリス辺り……いや、セイコーのプレサージュやシチズンのエクシードの方がメンテナンスやサポートは楽か……オリエントのバンビーノとかでも良いのかも知れない——

 そもそも、機械式である必要すらなく、クォーツでも、いや、寧ろたまにしか着けないなら、クォーツの方が良いかも知れない——


 そんな事を平田サンに伝え、幾つか候補を挙げる。

 ふと、その途中、思い出す。


「ああ、そう言えば、『本物の安物』を持っていたなぁ……」

 ふと、100円ショップで買ったキャンパーのコピー品を思い出す。

「え?」

 平田サンが不可思議な顔をする。

「ああ、そうだ、来週のこの時間、またここに来て下さい。『本物のニセモノ』っていうのを見せてあげますよ」

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