エピローグ 真相
山の麓の茶店に寄ると、店の女性は「あれまあ」と目を丸くしていた。もうとっくに立ち去ったものと思っていたようだ。その上、来た時にはいなかった少年を連れているから、物珍しそうに見てくる。
椅子に腰を下ろして、荷物を横に置き、団子とお茶を注文する。昨日の雨の名残は少しもなく、空はすっきりと晴れていて、心地よい乾いた風が吹き抜ける。
小石を敷き詰めた河原の先に、浅い川が流れていて太陽の光をはね返していた。
悠月は袖や裾を巻くって、川の中に脚を浸している。お昼ご飯の魚を捕るのだと、すっかり張り切っているようだ。けれど、魚の方も鈍くはないから、そう簡単に捕まるはずがない。
女性が団子を運んでくると、玉蘭は瞳を輝かせ、さっそく串を取って頬張る。村を出たら、ここの茶店の団子を食べるのだと言い張って聞かなかった。
「あんまり急いで食べると、喉に詰めますよ?」
雲秀は肩肘を机について、脚を組みながらお茶をすする。「お年寄りなんだから……」と言いかけると、机の下で膝を蹴っ飛ばされた。
「誰が年寄りだっ! だいたい、私はだなっ!」
「はいはい、かの有名な泣く子も黙る幽玄医仙様でしょう?」
軽く受け流すと、玉蘭は不満そうに唇をへの字に曲げる。その顔はすっかり拗ねている子どものようだ。
「そもそも、お前には師に対する尊敬の心が足りないのだ!」
「それはあいすみませんねぇ。それより、師匠……いい加減、どういうことなのか、僕にもわかるように話してくれませんか?」
雲秀は眉根を寄せ、お茶をもう一口すすった。昨晩の出来事の後、廟に戻って寝ながら考えたものの、さっぱりわからなかった。
悠月が村に残っていたのは、真相が知りたかったからのようだ。それと、自分まで村を離れてしまえば、村人の供養をする者もいなくなってしまうと、生き残ったことへの責任を感じていたからだ。供養ならまた来ればいい。誰もいない村に一人、子どもが残っていては、彼の母親も、面倒を見てくれていた長老も、親しくしてくれていた人たちも、心配で安らかに眠れないに違いない。
悠月を村に一人置いておくのは危険だ。義円は深手を負ったが、命を落とすほどではないだろう。だとすれば、また彼を連れ去ろうとやってくるかもしれない。村の生き残りがいることを、どうやら快く思わない者たちがいるのは確かだ。一緒に連れて行くほうがいいと、話し合って決めた。もちろん、悠月も承知の上だ。
「察しの悪いやつだな」
団子を口いっぱい頬張りながら、玉蘭が呆れた顔をする。それからすぐに、奥の厨房に引っ込んでいる店の女性に団子を追加していた。まったく、小さな体のくせによく食べるものだと、雲秀はその様子を感心しながら眺める。
「なぜあの義円が、皇帝の密使だとわかったんです?」
「あやつの手は僧呂の手ではなく、武芸者の手だった。それに、いくら旅の僧とはいえ、各地の寺で寝起きをしていれば法衣に香の匂いはまといつくものだろう」
「そう言われてみれば、確かにそうだ……けれど、それだけで密使とはわからないでしょう? 旅の僧の恰好をした盗人かもしれない」
「そうではないかと思っただけさ。村人が亡くなったのは、祭りで酒を飲んだからだ。その酒の瓶には呪詛の紋様が描かれていた。あれは、宮中で度々使われてきた禁術だ。証拠が残らない上に、犯人を特定することが難しい。なにせ、飲んだ酒の瓶に呪詛がかけられていたなんて分からないからな。その術法に精通する者が事件に関わっていたというということだ。となれば、宮中の何かしらの者が関与していると考えるのが筋だろう」
玉蘭は団子の串を軽く揺らしながら話し始める。
「あんな辺鄙な村に、なんだって宮中の人間が関わるんです?」
まして、村人全員を殺すなんて、よほどの理由があるからだ。雲秀は「まさか、村人が謀反を企んでいたとでも?」と眉根を押せる。そうでなければ、反乱を行おうと画策していたとか、そんなところだろうか。けれど、ただの平和そうな、ごく普通の村だった。皇帝の治政に不満を抱いていたとは思えない。抱いていたところで、あんな小さな村の人間が蜂起したところで、すぐに鎮圧されて終わりだ。驚異になどなり得ないだろう。
「考えてみろ。村人が呪詛された毒酒を飲んで倒れた後、悠月は長老に言われて役人を呼びにいこうとした。となれば、長老は少なくとも、この時点では役人を信頼していた。村長として当然の役割を果たそうとしていた」
「そうですね……だけど、呼びに行く途中で、役人たちはすでに事件のことを知っていて村に向かっていた」
雲秀は湯飲みのお茶が冷めていくのを見ながら、悠月の話を思い出す。となれば、この日の事件に役所が関与していた。少なくとも、それは承知の上だった。役人たちが村に向かったのは、『後始末』のためだ。
残された長老と、そして子どもを連れて行き、山中で始末した。子どもと老人一人なら、抵抗する力もない。まして、自分たちが殺されるなんて思いもしていなかっただろう。役人の言われるままに集められ、そして殺された――。
なんとも残酷なことをすると、雲秀は眉間をギュッと寄せる。だが、役人たちにはそうしなければならない理由があった。中央の権力者、もっと上の高官の命令であったのなら、従わないわけにはいかなかっただろう。小県の役人が、理由や事情を詳しく知っていたとは思えない。
「あの村にまだ一人、生き残りの子どもがいたことを知り、あの義円という人は口封じにやってきた……ということか。けれど、そこまでして全員を……」
雲秀の言葉を、「違うな」と玉蘭が遮る。何本目かの団子をとり口に運んでいる師匠を見て、「どういうことです?」と首を捻った。
「最初から始末したかったのは、あの子だよ……」
そう言って、玉蘭は団子の串の先を悠月に向ける。まだ魚は一匹も捕れないのか、悠月は真剣な顔をして川面を覗いていた。
「悠月を……?」
「あの子の存在を、村ごと消し去ろうとしたんだ」
「どういうことです……?」
「十三年前、この村に赤子を連れた身よりのない若い女がやってきた。その者は親戚もおらず、天涯孤独の身だと言う。訳ありなのか、父親のことも話さない。それとも、身を売っていて父親が誰なのか最初からわからないのかもしれない。村人は彼女の身の上に同情し、村に住まわせてやることにした……としよう」
「師匠の想像ですか……」
雲秀は拍子抜けして苦笑いする。
「だが、概ね外れてはいないはずさ。その女は、薬草の知識があり、刺繍が得意で、村の者たちに多いに重宝がられ、尊敬されるようになった。博学な女性だったのだろう。村にもすぐに受け入れられ、子どもと共に平和で穏やかな日々を送っていた」
玉蘭は頬杖をつきながら、悠月のほうに目をやる。雲秀も同じように彼を見ていた。
悠月は魚を何度か取り損ね、疲れたように濡れた手で額を拭っている。
だが、母親は流行病で、村人の看病をし、自らも病に倒れて亡くなってしまう。残された子は、村の長老に育てられることになり、村人は彼女の像を廟に祀った。守り神としてなのか、あるいは疫病を鎮める神としてなのか――。
「悠月の母親はやはり追われる身だったのでしょうか……」
「十四年前、起きた事件のことを覚えているか?」
そう問われて、雲秀はハッとする。
「夏妃の投獄事件、ですか?」
それは今の皇帝が、まだ皇太子であった頃に起こった事件のことだ。その当時、皇太子には正室の黄妃がいたが、彼女は跡継ぎとなる男子が生まれなかった。だが、かわりに則室だった夏妃が男子を生んだ。その上、彼女は皇太子に寵愛されていたようだ。
当然、黄妃とそれを支持している派閥の高官たちは、これを危ぶんだ。
そんな時、夏妃の叔父である胡重君が、皇帝の暗殺を企んでいると密告する者があった夏妃の両親も一族もろともこの謀反に関わっているとされ、連座して誅殺され、夏妃も生まれた子とともに投獄されることになった。夏妃も加担していることが分かれば、当然彼女も処刑は免れない。
だが、夏妃に協力していた者の手引きで、彼女は子どもとともに獄から逃れ、行方をくらました。追っ手はかけられたが、彼女の行方はわからず、そのまま月日が流れて世間を騒がせていた事件も忘れ去られていった。
以前から体を悪くしていた皇帝が崩御し、皇太子が即位したのは二年前だ。
「まさか……悠月の母親が、その逃亡の身の夏妃だったと?」
悠月は驚いて尋ねる。だとすれば、悠月は皇帝の子――ということになる。
だが、確かにそう考えると父親の名を明かせなかった理由もわかる。素性を隠し、こんな辺鄙な村にやってきた理由も。
「証拠はないさ。けれど、他に皇帝の密使が関わる理由があるか?」
「義円は、夏妃とその子どもがこの村に隠れ暮らしていることを突き止めて、皇帝の命令で連れ戻しに……いや、殺しにやってきたってことですか? けど、あの謀反事件は冤罪だったと再審議で明らかになったはずですよ?」
皇帝は即位して間もなく、十四年前の事件の再審議を命じている。謀反を密告した者が、獄中で真相を記した書き置きを残し、自殺したからだ。その結果、夏妃の叔父であった胡重君はまったくの無罪であったことが判明し、当時誅殺された一族の者も含めてその名誉が回復され、没収された資産も戻され、手厚く法要が行われた。
結局、夏妃の叔父や彼女の一族を陥れた犯人は分からずじまいだ。もっとも、分かっていても明らかにはできなかったのだろう。おそらく、黄妃とその派閥の者たちが関わっていただろうから。証拠も残さなかったため、罪にも問えなかったに違いない。
「悠月が夏妃の子だったとしても、もう捕まえる理由も、殺そうとする理由もないはずだ」
「ある一部の者にとっては、不都合だったんだろうな」
「一部の者……そうか、そういうことか……」
雲秀はようやく腑に落ちて呟いた。黄妃にはようやく待望の男子が生まれた。けれど、その子は一年前に、不運にも落馬が原因で亡くなっている。他の宮妃には男子が生まれていない。ようするに、今の皇太子位は空席になっている。そして、夏妃の罪が晴れた以上、その資格を持つものはこの世でただ一人だ――。
「だけど、あの義円という人は皇帝の密使だ。皇帝の命令で殺そうとしたと?」
「主が一人だけとは、限らんさ」
なるほど、その通りだと雲秀は納得する。あの義円が皇帝の命令で悠月を連れて行こうとしたのか、あるいはそれ以外の者の命令で秘密裏に始末しようとしたのかは、今となっては確かめようのないことだ。
皇帝は唯一の子である夏妃の子を探し出し、皇太子にしようとしたのかもしれない。
けれど、それを快く思わない者たちは、これを阻もうとした。先に夏妃とその子の居場所を突き止め、そこで暮らしていた事実を含めて、村人とともに消し去ろうとした。夏妃が過去の陰謀事件の真相の証拠を、何か握っているかもしれないと危惧したのかもしれない。宮中にいる者は、夏妃が亡くなっているとはおそらく知らなかっただろうから。
「皇帝陛下は、夏妃の事件が冤罪であったことを知っていたのかもしれませんね……」
だが、皇太子では、事件の真相を追及することができなかったのかもしれない。皇帝になって改めて審議を命じたのは、夏妃のことを忘れてはいなかったからだろう。あの事件で彼女を貶めた者たちを、暴き出したかったのか――。
雲秀はふっと表情を曇らせる。見つめた湯飲みの湯に、もう久しく会っていない女性の笑顔が過ったような気がした。
大切だとわかりながらも、選ぶことができなかったものはある。
夏妃は、投獄された時、自分は愛する人に見捨てられたのだと恨んだのだろうか。
恨んで、復讐を胸に、子どもを抱えて逃げ出したのだろうか。
そうではないのだろう。ただ、我が子とともにただ平穏に生きることを願ったはずだ。
だからこそ、あの小さな村にやってきた。嫉妬や陰謀渦巻く後宮ではなく、あの静かな村で、ただ慎ましく日々を過ごすことが望みだったはずだ。
けれど、それすら欲に目が眩み、権力にしがみ付こうとする者たちは許しはしなかった。
自分のせいで村人や子どもたちが殺される様を、墓の下で見ていた彼女はきっと悔しくて、いたたまれなかったのだろう。
幽鬼として姿を現し、村人の亡くなった日のことを自分たちに見せようとしたのは、真実を知らせたかったからか。護ってほしいと、言われているように思えた。大切な、この世に残した彼女の宝である子を――。
「いいのか? 本当に……」
「……何がです?」
「悠月をともに連れて行くことだ。お前は……渋るのかと思った」
玉蘭は湯飲みを取り、視線を落として尋ねる。いつもより、真面目な顔つきになっていた。
「……仕方ないでしょう。他に頼れる者はいそうにないんですから。一人で旅をさせるわけにもいかない……」
また、いつ狙われるかわからない。そうでなくても、世間慣れしない子どもを誑かそうとしたり、利用としようとする者は世の中にいくらでもいる。旅をするとなれば、金も必要だ。悠月はまだ自力で稼ぐ力はない。だとすれば、保護者は必要だろう。これも何かの縁だ。
「あの子を狙う者は後を絶たないだろうな。一緒にいれば巻き込まれる。誰か、信頼できそうな夏妃の親族に預けてしまうことだってできるだろう。本来はそうするべきところだ」
「そうかもしれません……」
夏妃の親族は、十四年前の謀反でほとんどが誅殺されてしまったが、母方の遠縁ならまだ生きているだろう。あるいは、皇帝が我が子を捜しているのでは、連れて行き、保護してもらうほうがいいのかもしれない。だが、宮廷内に悠月の存在を快く思わない勢力がいる以上、それも安易には選べない。
「今は、あの子は自分の素性を知らない……けれど、いつかは知るはずだ。その権利が、あの子にはある。その時がくれば、自分で選びたい道を、自分の意思で選べばいい……」
それはきっと、そう遠い日のことではないだろう。数年も経てば、立派な大人だ。
だが、今、なにもわからないままに、大人たちの意思に左右されて、望まぬ道を選んでほしくはなかった。あの子の母親はきっと、自分の子が権力を貪る者たちの餌食になることを望みはしなかっただろう。
己の素性を知り、自らの意思で、宮殿の龍の階をその重い責務を背負いながら登っていく覚悟ができた時には、胸を張って堂々と戻ればいいのだ。
「その時まで、そばにいてやる大人も必要でしょう?」
雲秀は軽く肩を竦めて答える。
きっと、これも何かの縁か導きなのだろう――。
「お師匠様、魚捕れましたよ!」
悠月が両手で捕まえた大きなフナを高く上げて見せる。ビチビチと跳ねるものだから、すぐに手を離してしまい、また川の中にポチャンと落としていた。逃げていくフナを、悠月は水をかきわけるようにあわてて追いかけていく。
「どっちがお師匠なんだ?」
「それは、あなたでしょう?」
「できの悪い弟子は一人で十分だ」
頬杖をつきながら、玉蘭は大きなため息を吐いていた。
雲秀は目を細めて笑う。
『…………私と一緒に来るか?』
あの日、世の中の何もかも絶望して、生きる意味すらないと思えていた自分に、この人はそう言って手を差し伸べてくれた。
だから、すべてを捨てる決意ができたのだ。
大切に思っていたものも、己が役割も、重荷をすべて。
ただ、あなたのように『自由』にこの世界で、生きてみたいと思った。
他にはなにもいらないと、そう思うほどに。
恋い焦がれたのだ――。
幽玄医仙 ~人界を旅する童仙とその弟子~ 春森千依 @harumori_chie
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