大っ嫌いな彼女
空一
大っ嫌いな彼女
大っ嫌いな彼女
僕は橘天音(たちばな あまね)が嫌いだ。理由はまだない。
そんな某「猫」みたいな考えを持ちながら、僕はひっそり彼女を見ていた。教室の朝日を受けて、中心でネイルをしているギャル。それがいつもの彼女の姿だ。
彼女の周りには男女問わない塊ができていて、その枠は僕のような影の、コケ植物人間の範囲を侵略している。だから嫌いなのかもしれない。非常識で、僕みたいな陰の人物をそこら辺の小石としか思ってないような彼女のことを。
大きく笑う彼女を僕は、いつもと同じく、睨むような目つきで見た。これはささやかな小石の抵抗だった。しばらく見るとチャイムが鳴り、彼女の周りの人物は次々と自分の席へと戻っていく。こいつらの弱点は先生なのか、そう頭の中でメモしようとすると、
一瞬、橘天音と目があった。合ってしまった。なんせ僕は今、怖い表情で彼女を見ている。きっと、『なんだこいつ。睨みつけてくんなよ陰キャが。』とか思っていて、次の日から壮絶ないじめが始まる。コケ植物が、朝日に照らされた瞬間だった。
雲が太陽を食らう頃、つまり放課後になり、橘天音は声をかけてきた。
「ねえ、今から屋上、来てくんない?」語調は強めだった気がする。記憶がない。なんせ今日から、いじめが始まるとは思っていない。昼休みにまた橘天音軍団は集まっていたが、その時笑っていたのは僕のことだったのか?そんなことを憂鬱に嘆きながら、屋上の扉を開けると、夕風になびく彼女がいた。ただ一つ、不自然だったのは、彼女が一人でいたことだった。
「た、橘さん、何かな?」決してこれは声が震えてるわけじゃない、風で音が途切れるからだ。
「えっとね、何君、だったっけ?」名前すら覚えられていなかったとは、まだ一学期とはいえ、さすがの太陽だ。
「…星影、です」「おー星!私ね、星が好きなんだ!」だから何なんだ。早く本題を言ってくれ。また僕は睨めつけそうになった。どうせこの言葉は社交辞令だ。みんながみんな、僕と名字の親和性が合ってないことを心のなかで笑っている。僕も、先祖を心のなかで呪った。
「こ、こほん。ついつい、星で話が広がっちゃった。」え?そうなの?全然話聞いてなかった。
「では、本題を言います。」
彼女は、言いにくそうに首元を気にしながら、僕に向かった。
「私と、付き合ってください。」
……は?彼女は首を傾げながら、でもさも当然のように、夕日に笑った。
「ど、どういうこと?」決してこれは、以下略。
「あ、えとさ、あのさ、絶対混乱させちゃったと思うし、突然で申し開けないけど、簡単に言うと、彼氏のふりをしてほしいんだよね。」彼女は頬を赤らめ、ピアスをブンブン振り回しながら続ける。一方僕は、混乱していた。彼氏の、ふり…?あ、分かった、きっとこいつはしつこくつきまとっている男を振るために、一番無害で、何もしてこなさそうな僕を仮彼氏にしようと企んでいるのだろう。そして用が済んだらポックリ捨てる。やっぱり僕は、こいつが嫌いだ。次こそは睨んでやった。
「あ、ち、違うの!」僕の機嫌メーターがどんどん下がっていってることを感づいたのか、橘天音は必死に否定した。
「え、えと、あたし実は、
病気持ち、なんだ。」
次は悲しそうに微笑んだ彼女に、僕はまた、思考が止まった。
その時見えた彼女の表情は、この世界で一番、咲いてないように思えた。
その表情で彼女は続ける。
「あたしはね、中学校から、この病気に悩まされているんだ。」中学校から?今が高校三年だから、結構長い期間だ。
「もしかして、重い病気なのか?」知らないうちに植物は、声を出していた。その気にさせたのは、太陽の光の乏し火だった。
「あ、いや、寿命持ちとか、そんな映画みたいなことではないんだけど、もしかしたら、寿命で死ぬよりも辛い病気。」
一呼吸おいて、彼女は言葉を込めて言う。
その時、西から風が、静かに吹き込んだ。
「誰からも愛されないんだ、あたし。」そのとき作られた彼女の笑顔は、今吹いてる小さな風でも消してしまいそうな、そんな、脆く、儚く、淡い笑みだった。
夜に浮かぶ星々の中、ベットに飛び乗った僕は、自分の枕に悩みを沈めた。埋もれてしまいたかった。あのとき彼女が発した言葉を、映画のラストシーンのように覚えている。
___彼女は無理に笑い続けながら言った。
「あたしはさ、家族以外の、血の繋がりを持っていない、あたしを大切だと思う人から忘れられてしまう。ただ上辺だけ繕った思いやりじゃなくてさ、本当にあたしが人として好きだ〜って、あたしの本質を知ってくれた人だけが、あたしを忘れてしまう。」
「ね、こう言ってるあたしバカみたいでしょ?でもね、あたしを遠くから客観的にみた君からなら分かるよね。あたしの今のグループは、みんな上辺だけだもん」キャハッっと言って、彼女は場を濁す。でも、それがどれだけ辛いことかは、嫌いな僕でも分かった。自分の周りは、自分を見てないんだ。ただ、彼らは、その場にいる自分自身の立場しか考えていない。太陽系の一種に入れたことに、酔っているだけ。
そんな事実を笑って受け流す彼女に、哀れみを通り越して、嫌悪を感じた。なんだか全て笑って済ます姿が、僕と似ている。僕は、僕も嫌いだ。
一周回って、靴べらでタイルをクルってして、何かを吹っ切ったように、橘天音は続けた。
「多分、星影くんは、あたしが嫌いだよね」え…いきなり本音をつかれて、体がビクッとする。それに気づいたのか、彼女は少し微笑んだ。
「普通にわかるよ?だって、いつもあたしのこと、睨めつけてきてんじゃん!」そう言って、彼女はゲラゲラ笑った。何だ、バレてたのか。今日のやつが、その確信に当たってしまったんだろう。少し反省する。
じゃあ、だからか。彼女が言わんとすることが分かった。君を嫌いな僕が彼氏になって、愛されないけど忘れられない人が隣にいてほしいのか。きっと橘天音はもう、人から愛されることを諦めたのだろう。誰でもいいから、隣にいてほしいんだ。そして、考えた結果が僕か…
…少し長考して、別になってあげてもいいと思う自分に驚いた。僕は彼女のことがとてつもなく嫌いであるはずなのに、さっきの話を聞いて、断りづらくなっている自分がいる。橘天音を可愛そうだと思う自分がいる。
どうせ表面上の関係だ。人助けだと思って…そうして僕は、出す答えを決めた。
「僕は、君が嫌いだよ。」僕は、少し自信を込めて言った。あくまで自分の意志で決めたと、彼女に主張するように。
明らかな嫌悪をぶつけられても、彼女はニヤニヤ笑っていた。
「じゃあ、もう一度言うね。あたしの彼女になってください。」首を横に傾げて、彼女は言う。
「いいよ。」僕も同じように首を傾げた。僕と彼女の目が合う。
「絶対にあたしを好きにならないでね?」初めて小悪魔のように、彼女は笑った。
僕は心置きなく、了承した。
暖かいぬくもりの中で、僕は今日の自分を悶絶した。勢いに任せて、簡単に了承してしまったが、ほんとに大丈夫だろうか?そんなとき、窓の外に見える星空は、いつよりも光っていた。
次の日、椅子に画鋲がないかを確認した僕は、安心して自分の席に座る。昨日、栄えある仮彼女となってしまった橘天音を見る。すると、彼女もこちらを向いていて、思わず目をそらしそうになった僕に、何やら合図を送っていた。
『机の中、みて!』指示どおり、机の中を確認する。一枚の折られたルーズリーフがそこには入っていた。
”今日の放課後、図書館へ!→”
そう書かれた紙を見て、僕は察する。さてはこいつ、仮彼氏だからといって、僕には話しかけるのが嫌だな??まあ、僕もそんな親しく話しかけると嫌だから、ウィン・ウィンではあるのだが。彼氏彼女というのも、表面上の関係に過ぎない。だけど、ここまで避けられると、何故か僕はいい気持ちはしなかった。
放課後、新緑に囲まれた渡り廊下を行き、レンガ上の階段を登った先にある、由緒正しき図書館で待っていたのは、似つかわしくないギャルだった。
「ごめんねー星影君。わざわざこんなところまで来てもらって。すまないね」
「まあ、うん…」
「いや、思ってるんかい!」橘天音が、腰を大きく曲げながら、盛大にツッコミをした。正直、このノリにはついていけない。
「君は、頑張り過ぎないほうがちょうどいいよ」僕は、昨日の元気がない彼女を知っている。あちらのほうが、僕も正直扱いやすい。
「え?そう?…えへへーそっか。」何故か彼女は嬉しそうにニヤついた。
「って、そんなことより、今日は放課後デートをしよう!」
「え?」…そこから僕らは、街の商店街に向かった。少し学校から離れた地域なため、僕らと同じ制服の人達はいなかったが、高校生はいた。カップルの。
満足そうにきゅうりを食べている彼女に聞く。
「ねえ、これ他の人から見たら、僕達まるでカップルじゃない?」
「カップルでしょ?」
「…仮の、だよ」
「あははー、そっかー。」そしてまた彼女は、きゅうりに夢中になる。そんなこと、一ミリも気にしてないみたいに。
もういいや、この際、それっぽい感じにしよう。
「ねえ、僕は君のこと、なんて呼べば良い?」限界が、これだった。
彼女は、きゅうりを左手に、右手で首を撫でながら考えている。
「うーん。天音?」
「おっけー、橘さんね」彼女はケラケラ笑った。
「ふふふっ、あはっ、じゃあ、間を取って、天音さんは?」
「ま、まあ…」「あ、でもそれだと、なんだか新婚さんみたいだね!」「橘さんで」「アハハー、嘘だよー」そうして、天音さんは、いや、彼女は、きゅうりをポキっと折ってしまった。
二日目は、カラオケに。三日目は、デパートに連れて行かされた。なので、四日目の今日の朝は、物凄く足と腕と全身が痛い。
教室に入ると、また司令が届いていた。
”今日の夜、学校の屋上で!”
どうやら彼女は、僕に犯罪を犯させるらしい。
受動的な植物人間の僕は、陽の光に釣れられて、夜の校舎階段を登っていた。
扉をそ〜っと開ける。意外とセキュリテイは薄かった。
そこに静かに佇んでいたのは、夕方と変わらない、彼女だった。
「来てくれたんだね、星影君。」彼女は笑ってそういった。月に幻想的に照らされている彼女は、昨日僕をパシった人物だとは到底思えない。
「今日はね、二人で星をみよう。」いつもより優しく、いつもより楽しそうに応えた彼女は、僕を小さいシートへ手招きした。
彼女が先に座り、僕があとに、彼女と距離をおいて座る。星影くんは、やっぱりあたしが嫌いなんだね、と言われてしまった。間違ってない。好きになってはいけないのだから。
「あれがアルタイルで、あれがペガ。そしてデネブで、夏の大三角形だよ!」彼女は少し興奮気味に、早口になって言う。太陽までもが、好きなことを話すときは早口になってしまうのか。
「あれがさそり座のアンタレスで、その左にはいて座だよ!あっ、ちなみにあたし、いて座!」聞いてない、そんなこと。まず、いて座が何月生まれかもわからない。それでも、目を輝かせて話す彼女は、病気になってない、一人の女の子のように見える。
「天音さんはまるで、セルフプラネタリウムだね。」
「おっと〜?惚れんなよ〜?」惚れない。…そうやって、彼女と僕の時間は、流れ星のように、流れていった。
「はー!星はいつまで見てても飽きないね!」
「僕はもう、飽きたんだけど。」ずっと心の奥に閉まっていた言葉がついに言葉に出てしまった。かれこれ一時間、彼女の星のお話を聞かされている。夜だし、眠くならないはずがない。
「じゃ、あたしに質問タイム〜!」
もっといらんのが来た。
「質問なんて、君のこと嫌いだからないよ、僕。」
「まあまあ、そう言わずに、何でもござれ!」
「…じゃあ、これは…」一応、僕はこの話題を彼女に尋ねていいか迷った。でも、何でもござれだし、僕は彼女が嫌いだし、いいと思った。
「君は昔、誰かに忘れられたことはあるの?誰か、大切な人に。」
「……」
そう思い切って訊ねると、無言の時間が流れた。やっぱりこういったディープな話題は、避けたほうが良かったのだろうか。そう思って、話を切り替えようとすると
「あるよ。」彼女がまた、世界一悲しそうな顔で、応えた。
___あたしはね、中学校の頃、大親友がいたの。それはもう、みんなが認める大親友で、いっつも放課後は遊びにいってた。
でも、その時だった。あたしの病気が分かっちゃったんだ。あたしを好きな人が、あたしのことを忘れてしまう病気。そして、その初めての症例が、その子だった。
どんどん忘れていっちゃうんだよ。あたしの問いかけに反応がなかったり、あたしより先に帰っていっちゃったり。それがどんどんエスカレートしていって、そして全部、あたしのこと忘れちゃった。あはっ、今もそのことが忘れきれないんだ。だからこうやって思い出すと、いつも泣いてしまう…。
そうして彼女は、袖で涙を拭った。目は赤くなっていて、それが、彼女の親友がどれだけ大事に思われてたのかを物語っていた。
「ごめんね、あたし泣いちゃって。でもね、その後にもう一度傷ついっちゃったの。その子以外、あたしのこと忘れてなかったんだよ。誰も私のことを大切になんて思ってなかった、って分かったの。それがまた、きつかったんだ。」
だからね、と会話を続ける。
「あたしは、偽物の友情を作ることにしたの。浅くて脆い、そんな偽物を。だから、君は、君だけは、
あたしの真実でいてね。」
そう言って彼女はクスッと笑うけど、数秒後には彼女の目には涙が浮かび、僕の袖を掴んで泣き崩れてしまった。
「…これが、君が僕を選んだ理由か…」
独り言のように呟いた僕は、彼女の震える肩を見てどうしようもできず、白く光るアルタイルを見ることしかできなかった…
「じゃあ、また明日。」
「うん。」僕は橘天音のことは嫌いだけど、挨拶を交わすくらいにはなっていた。男は女の涙に弱いというが、あれは本当なのかもしれない。
彼女が、扉を開けようとしたその時
「天音さん!」なぜか僕は、彼女の後ろ姿を呼び止めていた。彼女は何かと振り向く。…僕は何をしているんだ。掛ける言葉が見つからない僕が、彼女に何を言えるんだ。でも、彼女にとって真実の僕は、僕の本音を伝えなきゃいけないと思った。
「天音さんも僕に、真実の自分を与えてほしい!僕の前では、素直になっていいから!」
…何を言っているんだろう。でも彼女にこれだけは言わないとダメだと思った。息が荒い。久々に声を出した。久々に必死になった。
彼女は僕の言葉に驚いて、そして大きく微笑んだ表情を見せて
「うん!」とだけ答えて、早足にこの場を去っていった。
_彼女がいない星空の下なのに、僕の鼓動は収まらなかった。
五日目。学校に続く道を、燦々と照らす陽を浴びながら、いつもの通りしおれて登校していると
「テイッ!」横から天音さんが飛び出してきた。やはりこいつ、変わってないじゃないか。僕が不機嫌そうにすると、「いやいや?これがふつうだけど?」と言って、僕の腕にも巻き付いてきた。
「やめろ」僕は全力で拒絶した。こいつ、僕が嫌いなこと忘れてないか?ギャル、恐るべし。
「冗談だよー」そう笑って、彼女はまた、一定の距離を保った。わけではなかった。
教室に入っても、彼女は僕の腕に巻き付いて来ることはなかったが、かなり僕と密接していた。
クラスの奴らが僕を見て、隠さないほどの奇怪な目になっている。
「おい、離れろ」僕は小声で囁く。
「ねえ天音、いきなりその子と仲良くなってどういう関係?一緒に登校してくるとか
、恋人かよ。」彼女の取り巻きの女一人が嘲笑うように言った。
「そうでーす!あたしたち、付き合ってまーす!」「おい!」僕は慌てて、この意味不明なことを言うやつの口をふさいだ。
「おい、お前なに言ってんだよ!」
そう僕が声を押し殺して訊ねると、彼女はフフフ〜と満足そうな笑みで答えてきた。
「だって、間違ってないでしょ?」確かにそうだ、確かにそうだけど!
いじめ待ったなしだ。
案の定、僕と橘天音は一人になった。僕の環境はさほど変わっていないが、彼女の周りの環境はガラリと変わった。
噂というものは広まるのが早くて、またたく間に彼女を一人に仕立て上げた。『陰キャと付き合っている物好き』『男遊び』『ビッチ』ひどい噂が彼女につけられていった。それも全部、僕関係の。
それでも彼女は、それが全然苦でもないように、休み時間は僕に話しかけてきた。
僕はまた、変な噂が立てられないようにと、気を使って毎時間席を立ったのだが、彼女はいつまでも僕に話しかけてきた。
そして放課後。
僕は彼女に呼び出されて、屋上に来ていた。
吹き通る風、掛け声のうるさいグラウンドと、ジメジメした梅雨模様にさらされていた空の真下。その中で凛と立つ彼女に、僕は詰め寄った。
「どうして君は、あんなことをするんだ!」
「それは君が言ったとおり、真実しかみたくなくなったの」
「はあ?!」
僕は怒っていた。こんなに怒ったのは多分人生で初めてだ。
「それでも、あんなに君の友達が離れて…」
「あんな偽物、いても一緒だよ。」
「偽物って…ひどいじゃないか、君!」
「だって、私が忘れられてない時点で偽物だもん」
「…だったら、僕も偽物だ。」
「違う。君は真実だよ。」
「なにが!」
「あたしにとっての、真実。
…あたし、君が好きなんだ。」
「…え?」
彼女は、今言った衝撃な言葉を、気にも止めないように微笑む。
「君は、どうなの?」
「…ぼ、僕は…」
どうなの?と真面目に聞かれて、戸惑う。喉の奥がなにか熱い。望んでないものが出てしまいそうだ。でも、それでも僕は…
「嫌い、だよ…」そう答えるしかなかった。
「だよね、良かった。」彼女は振られたにも関わらず、心底安心したような表情で、肩をおろした。僕は、何故かそれが気に入らなかった。
「君は、ずるいよ…。もう僕、帰るから」
そう言って僕は、へそを曲げて帰って行った。後ろでは声がしない。呼び止める音も、撤回する言葉も聞こえない。
それがまた、橘天音が嫌いな理由だった。
僕がもし君を好きになったら、僕は君といられないから…
夜になって、僕は夕食の間についた。僕は母子家庭で、母の代わりに僕がいつも食事を作っている。
「ねえ蒼士(そうし)。あなた女の子と何かあった?」
「ブっーーーーー」初めて僕は、お茶を吐き出すという行為をした。
「なんで知ってるんだよ!」
「学校の屋上で星を見に行くなんて、男同士でしないでしょ?」確かにそうだ。というか僕は、そんなことまで母に言っていたのか?どうしてか、僕は母に嘘はつけない。
「別になんにもないよ…」お茶を拭きながら、お茶を濁す。
それでも母は寛大に、僕を包み込むように言った。
「まあ、あなたのことだし、私はあんまり干渉しないけど。」
緑茶を両手ですすりながら比較的穏やかに言ってきた。
「一時の感情に、騙されちゃだめよ?感情なんて変わっていってしまうものだから。あなたが1番大事にしたい感情を、忘れないようにね。」
………母と言うもんは、どこまで子供を見抜いているんだろう。僕の知りたかったことを、僕に行動する糧をくれた。
急いで部屋にもどろう、そして…
階段を登ろうとしたとき、母が呼び止めた。
「全部よ」決めポーズをみせて、僕にウインクする。これはシンプルに怖いと思った…
彼女は来てくれるだろうか。防寒着にカイロ。季節は夏だと言うのに、外は寒かった。夜の空気は美味しくない。一度深呼吸をしたときに、それは気づいた。
ガチャ 扉の開く音が聞こえ、パッと顔を上げる。彼女もまた、厚手だった。
「どうしたの?星影君。あたしをメールで呼び出して」そう言って彼女は、僕のメールの稚拙な文章を僕に見せる。
”また、あそこで星をみよう。”
なんとも簡潔で薄い文章。でもこれが、僕の示す、”真実”だった。
「告白の返事は聞かない。聞きたくないし、忘れたくないから。」彼女はやっぱり分かっていた。でも、
「違う、僕はそんなことを言いに来たわけじゃない。」
「え?」それじゃあ、何というのか。そんな表情で僕を見る。
「星を、見よう。」僕は少し、穏やかな表情で言った。
「あれがアルタイルで、あれがペガ。そしてデネブで、夏の大三角形だね。」
「え…もしかして、覚えて来てくれたの?」
「そしてあれがさそり座で、その左がいて座だ。ちなみに、いて座生まれの天音さんは、11月か、12月生まれだね」
「わー!!すごいすごい!君も星が好きだったんだね!」
「ちがうよ。」
「え?」僕は微笑んで、彼女は不思議そうにしていた。
「まだ僕、星はさっき勉強し始めたばっかで、付け焼き刃でしか知らないし、よくわからないんだ。良さとか。」
「えー…」彼女はすごい残念がる。でも…
「これから好きになるよ。」
「え?」
「…これからたくさん勉強して、君からたくさんのお話を聞いて、僕は星が大好きになるよ。きっと、君を超えちゃうくらいの星マニアに。」
「…それはないんじゃないかなー」
「いや、きっとなるよ。」
彼女が驚いて頬を赤らめ、僕は至極真っ当に続ける。
「僕は君を好きにならない、絶対に。でも、君専用のプラネタリウムにはなれる。絶対、きみを超えて星マニアになって、君をいつまでも楽しくさせ続ける。
これが僕が見つけた、真実だよ。」
すこしきざになったけど、僕はやっと、誰かの前で本音を言うことができた。そして、これは言わなかったけど、多分僕は最初から、橘天音が嫌いだったわけじゃない。羨ましかったんだ。あんなに人前で、自分をさらけ出せる人間が。でも、彼女の真実を知ってから、彼女に対する印象が180度変わった。でも、それでも僕は、彼女が嫌いじゃない。好きでもないし、嫌いでもない。尊敬してるとか、言うんだろうか。好みという定義で、僕の彼女に対する感情は図ることはできなかった。
彼女は何故かそっぽを向いて、立ち上がる。そして、入り口の方へ戻っていった。「ねえ、どこに行くの?」僕は少し、出過ぎた真似をしてしまっただろうか。
でも、それは違った。
振り向いた彼女は、目を物凄く赤くして、鼻水ダラダラで、顔の原型が分からないくらいなきくじゃれていたけど、僕が見た中で、彼女の一番の笑顔だった。
「ふぐ、うっう”う”、グスッ…ズッズズズ」彼女はなにか言いたげだったが、涙が全然引っ込まない。
涙が引っ込まないうちに、彼女は言った。
「うっぐす、あたしね、まさか、まさかほんとに、グスッ…こんなお話のようなことが起きるなんて、夢にも思ってなかった!」彼女は、めいいっぱい目を擦って、また満面の笑みで言った。
「まさかアルタイルが、ペガを迎えにきてくれるなんて!」
その時の彼女の顔はまあ、見れたもんじゃなかったけど…
_どの星よりも、輝やいてるように思えた
「せーんせ!」
「せーんせ!」
「せーんせ!」そこからの僕たちの日常は、あまり前と変わらなかったけど、時々彼女が、僕を「せんせー」と呼ぶようになった。正直これは、色々なところに火種が飛ぶのでやめてほしい。
毎日放課後は、僕達は屋上で星を見る。彼女とのプラネタリウムは、本当に楽しかった。
時々、山まで星を見に行った。海まで行った。川まで行った。湖まで行った。…家まで行った。
別にやましいことなど一つもなかった。僕の彼女に対する”尊敬”の気持ちは変わらなかったし、僕もそうしまいと努力した。
でも、尊敬が別の気持ちに変わるのは、そう遠くはなかった…
今日は、またあの屋上で星を見るらしい。今日は色々なところを履修してきた。今日は、夏の大三角形のそれぞれの語源を調べて来たつもりだ。
ワクワクしながら扉を開けると、そこには誰もいなかった。
「え?まだ来てないのか?珍しいな。」
少し待つか、そうしよう。よし、その間に別の星の由来でも…
一時間待った。来ない。
二時間待った。来ない。
三時間待った。来ない。
一向に彼女が来る気配はなかった。空はもう星が見えない。
失望した。まさか彼女が、約束をすっぽかすようなやつだったなんて。明日、いや今日、怒ってやろう。
案の定その日登校すると、彼女はそこにいた。でも、何故か彼女も暗い顔だった。一瞬咎めるのがためらったが、言わなきゃいけないと思い、問いただす。
「君は昨日、約束をすっぽかして何をしていたんだ。風邪とか、頭痛とか、そういうのがあったんなら、連絡しろ。」
「あたし、病気じゃないよ。」
「え?」僕は困惑し、彼女は悲しそうにこちらを見る。
「あたし、昨日ずっと屋上にいたよ?」
「………」考えたくないケースだ。
「じゃあ、さようなら」
呆然と立つ僕を横目において、彼女はその場を離れていった。
教室の木材に落ちた水の結晶は、自分のか彼女のものなのか、わからなかった。
今日も僕は屋上で待った。でも、彼女は来なかった。それは多分、意図的に来なかったのだろう。
それでも僕は、待ち続けた。
来ないと分かっていても、来ても無駄だと分かっていても、彼女を覚えている限りは大丈夫だと思っていた。
それが、一週間も続いた頃、星がくっきり見える日、ようやく屋上のドアが開いた。いや、開いてるように見えた。
「天音、さん…」
「あたしが、みえる?まだ、みえる?…よかった。」
彼女と僕は、意外にも落ち着き払っていた。久しぶりにあったくせに、見えて本当は嬉しいくせに、何故か僕は落ち着いていた。落ち着きを保っていた。彼女の前では、真実の僕であり続けたかったから。
「じゃあ、今日も星を見ようか。」声は震えていたけど、レジャーシートに僕は彼女を促した。でも、彼女は首を振って動こうとしない。
「ど、どうしたの?」僕の声は、風ではなく、本当に震えていた。
「星影君。もう、お別れしよう。」
彼女の口から、彼女の笑顔から、一番聞きたくない言葉だった。
「違う!僕達は星を見るんだ!」
「ダメ。見れない。」
「アルタイルや、ペガの由来を話し合うんだ!」
「ううん。しない。」
「なんで、なんでだよ…」僕の声はどんどん小さくなっていった。
「だって…」
彼女が声を発した。すぐに顔をあげる。彼女はなぜか、笑顔だった。
「だってあたしは、君がすきなんだもん」
「…え?」思っても見なかった答えに、僕は混乱する。
それでも彼女は、
寂しさを言葉ににじませながら、答えていく。
「あたしは、きみと出会った頃はまだまだ未熟で、どうしようもない人間だった。」
ちがう、どうしようもないのは僕だ。
「上辺だけで友達作って、自分は傷つかないようにしてさ。」
そこに憧れたのは僕だ。
「結局あたしは、恐怖から逃げたいだけだったんだって、気づいて。」
逃げているのは、いつも僕だ。
「そんなとき、君の言葉があたしを救ってくれた。」
………ちがう
「あたしをどん底から救ってくれた」
………ちがうよ
「君がアルタイルで、あたしを天の川の向こう側へ連れて行ってくれるみたいに…!」
違うんだ
「だからあたしは、キミが好き。」
…
「今更どうしようもないくらい、キミが好き。」
……
「…大好きだよ、蒼士くん。」
「ちがう!」
「…!」
…僕の人生で一番の大声に、彼女は物凄くびっくりしたけど、それでも僕は続ける。
「…ほんとに救われたのは僕だ。僕なんだよ。いつも隅っこで、日光を浴びないようにしていた僕に、日光を被せてきたのが君だった。」
「いきなり彼女にしてなんて言われて、僕をいつも困らせてきたのは君だった。」
「それでも、それでも君は、僕に光を与えた!与え続けてくれた!どんなときもいつも笑顔で、君は、僕しか真実を与えないと言ってたけど、それは僕も同じだった。僕も、君はいつまでも真実だったんだよ!」
「あっ…」彼女の体が消えていっている。僕の記憶から、彼女という存在が無くなろうとしている。それでもお構いなく、僕は続けた。もう、時間はない。
「僕は、星が好きな青年。星影蒼士!そんな僕を、真実と向き合える僕を作ってくれたのは君だった。」
もう、半分以上、彼女の姿は見えない。
「大好きだった、君との星の観察。プラネタリウム、君との時間、この屋上。そして、そして…」
もう、言う言葉は決まっていた。彼女の姿はもうすぐ見えなくなるのに、僕はそれを言うのをためらった。言ってしまえば、全てが終わってしまうと思ったからだ。
今更だ。もちろん今更だ。でも、でもなかなか、声に出そうとすると喉が震えない。
言うんだ、言うんだ星影蒼士!いわないと、全てが無駄になってしまう
「ぼ、ぼくは…」
その時空を見上げると、アルタイルがいつもより大きな光を放って空を舞っているように見えた。
僕に、勇気をくれるのか?
_がんばって。
そう聞こえた。確かに聞こえた。
うん、わかったよ。僕は、勇気を出すよ。
「…天音、君が大好きだ!!!」
やっと、やっと言えた…。ああ…泣いてしまう…泣かないと、君と別れるときは泣かないと決めていたのに…
そんな姿を見て、彼女は少し微笑んで…
「…うん、あたしも大好きだよ。」
光の中に消えてしまった。
最後に笑った彼女の笑顔は、一瞬のうちに忘れてしまって。彼女の姿は、分からなく‥
…何が分からなくなったんだろう。
頭が痛い。頭が痛い。頭が痛い。なにか大事なものが抜け落ちていっているようなきがする。
「ぐあ、ぐあ、ぐあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ
ここは、どこだ?屋上か?なんで僕は学校の屋上にいるんだろう。
そしてなんで僕は、こんなにも泣いているのだろう。
「うわああああああああああああ」その日はなぜか、膝から崩れ落ちて、星が消えるまで泣き続けた。
その後の僕の生活は、虚無だった。
何故か寂しい。何故か恋しい。何故か待ち遠しい。何故か僕は、放課後屋上へと向かってしまう。別に、そこに何かが”いる”わけでもないのに。吸い込まれるように、何故か。
不思議な自分に嫌気が差してきた。でも学校へはちゃんと行った。いかないと、約束を忘れてしまうから。…約束?僕はまた、何を言っているのだろう。
季節は冬になり、12月に入った。雪で前が見えにくい。積雪で、どこが道路か区別がつかない。寒さと虚無感で、僕の脳はほとんど働いていない。
「あれ、もう青か…」
寒さで頭が働いてなかったけど、雪を踏みしめて横断歩道を渡る。
その時誰かの助ける声が聞こえたが、それに気付けなかった僕は、雪の上に血を流していた。
_気づいたら僕は病院だった。
看護師さんが、僕の意識が戻ったのを見て、慌てふためく。
母も呼ばれて…ああ、久しぶりに母の顔を見たかもしれない。
母から事情を聞くと、どうやら僕は生死を一週間ほどさまよってたらしく、その場に居合わせた女子高生と、その子の勇気ある輸血の決断で、なんとか僕は一命をとりとめたらしい。
本当に感謝だ。でも、それでもやっぱり今は眠い。もう一度僕は眠りに落ちた…
_起きたら外はどうも夜らしかった。部屋の照明が全て落とされている。でも、その暗闇に、一つだけ光が見えた。
その方角を向くと、女の子が窓から星を見ている。どこか懐かしかった。何故か泣きそうになった。
『”血の繋がり”を持っていない、あたしを大切だと思う人から忘れられてしまう。』
いつか聞いた言葉を思い出す。
そして、彼女が振り返った。
振り返り、僕の視線、完璧に彼女の目に焦点が合っている僕の視線に気がつくと、彼女は目に涙を浮かべた。
そして、僕も涙を流していた。
「迎えに来たよ!アルタイル!」
そう言って、彼女はいつものように笑った。
Fin._
大っ嫌いな彼女 空一 @soratye
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