ばあちゃん、それは違うよ!

Jack Torrance

ばあちゃん、それは違うよ!

僕のばあちゃんは福岡県中央区警固の老人ホームで余生を送っている。


ホームの名は〈余暇人生〉


博多弁の「よか」と人生と余暇を賭けて上手い事言っているみたいに見せかけてるが実際のホームの運営は杜撰だ。


「よか」という博多弁は「いいよ」とか「大丈夫だよ」みたいな意味合いを含んでいるがホームの運営は全然、大丈夫じゃないし「このホームは、とってもよかよ」とは人には推奨出来ない。


ただでさえ介護施設は人材不足なのに、ここに来てコロナによる追い打ち。


紙おむつの交換は間に合わず、いつもホームは糞尿の臭いが充満している。


食事の介助も杜撰で、人材不足を理由に風呂の介助も週1という悪衛生極まりない管理状態だ。


入居老人の家族は経済的に余裕があれば違う施設へ転居させているみたいだが僕のようにお金に余裕がない人間は他にあてもなく仕方なくばあちゃんを預けているという顛末だ。


死臭が漂っているホームに出来る事なら行きたくないが父方のばあちゃん、邦子ばあちゃんが入居しているので僕は仕方なく月に2回くらいは慰問している。


邦子ばあちゃんは僕にとってたった一人の肉親だからだ。


父さんと母さんは15年前に商店街のくじ引きで当たったハワイ旅行でハワイに行ったはいいもののキラウェア火山をヘリコプターで見学するツアーに出てヘリは見事なまでに火口目掛けて墜落してくれた。


言うまでもなく搭乗していた9名は全員死亡。


その9名に父さんと母さんも含まれていた。


くじ引きで夢のハワイ旅行なんて話は夢の話で実際には貧乏くじを引いてキラウェアの火口へまっしぐら旅行となった訳である。


父さんも母さんも一人っ子。


僕も一人っ子。


父方のじいちゃんは僕が4歳の時に他界していて母方のじいちゃん、ばあちゃんも父さんと母さんがヘリと心中する前に他界していた。


だから、邦子ばあちゃんは僕のたった一人の肉親なのである。


お金の無い僕は日曜にスーパーで桜餅を1個買って邦子ばあちゃんのホームに向かった。


あっ、言ってなかったけど、父さんと母さんが死んだ時に多額の保険金と慰謝料が僕の口座に振り込まれた。


だけど、何故お金が無いかだって?


それは、僕がギャンブルで散財してしまったからだ。


だから、邦子ばあちゃんには死臭が漂っている、このホームで余生を送る羽目にさせてしまっている。


申し訳ない想いで一杯だ。


だから、この桜餅は僕の精一杯の謝罪の気持ちだ。


あわよくば、邦子ばあちゃんが、この桜餅を喉に詰まらせて昇天してくれればという淡い気持ちも含まれている。


すると、ホームへの支払いは無くなり、邦子ばあちゃんに掛けている僅かばかりの保険金が僕の口座に振り込まれるからだ。


邦子ばあちゃんが90歳までに黄泉の国へと旅立ってくれたら僕の口座には200万振り込まれる予定だ。


僕は、その200万を握って一世一代の大ばくちへと小倉競馬場に向かう。


失われた僕の人生を取り戻す為に…


邦子ばあちゃんが90歳になるまで後3年。


僕には残された時間は少ない。


邦子ばあちゃんへの慰問も回数を増やして桜餅、きな粉もち、わらびもちと喉に詰まりやすい和菓子を与えて90歳までには黄泉の国へと一歩踏み出してもらわなければならない。


僕はファイナンシャル プランナーにでもなったかのように邦子ばあちゃんの慰問に向かう。


ホームに入るといつもの死臭が僕の鼻孔を不快なまでに刺激する。


邦子ばあちゃんの部屋は4人部屋で邦子ばあちゃん以外は老斑が至る所に表れている寝たきりのばあちゃんばかりだ。


邦子ばあちゃんは車椅子だが寝たきりではなく食事もベッドの上で座って食べている。


邦子ばあちゃんは天然ボケなのか認知症の兆候が出ているのか判然としない時がある。


一応、僕の顔と名前は忘却の彼方には葬られていないみたいだ。


僕が部屋に入ると邦子ばあちゃんは座って咲き始めたばかりのホームの庭の桜を眺めていた。


「邦子ばあちゃん、僕だよ」


僕が声を掛けると振り返りざまに邦子ばあちゃんが言った。


「おや、敦、来てくれたんだね」


僕は邦子ばあちゃんに桜餅を手渡す。


「これ、邦子ばあちゃんの好きな桜餅だよ」


「おや、まあ、敦、ありがとう」


敢えてお茶は用意しない。

万が一にも喉を詰まらせた時にお茶で飲み下されたりでもしたら僕の今までの苦労が報われないからだ。


僕はプラスチックのケースを開けてやると邦子ばあちゃんは桜餅を摘んで一口齧った。


よし、邦子ばあちゃん、そのまま噛まずにゴックンだ。


僕は固唾を呑んで見守った。


桜餅を咀嚼して呑み込む。


チッ、今日もしくじったか!


邦子ばあちゃん、丸呑みしなきゃ駄目だよ。


僕に残された時間は後3年。


よし、次は、わらびもちでチャレンジだッ!


僕は気を取り直す。


別に邦子ばあちゃんと会話する話題も無いので僕は昨日のワールド ベースボール クラシック準決勝、日本対メキシコでサヨナラヒットを打ったヤクルトの村上様の話をした。


「邦子ばあちゃん、村上様って知ってるかい?」


邦子ばあちゃんの表情がパッと明るくなって答えた。


「ああ、勿論知ってるよ。あの『必殺仕事人』に出てた人だろ」


「邦子ばあちゃん、それは、村上 弘明だよ」


邦子ばあちゃんが表情を曇らせて言う。


「えっ、違ったのかい?あの役者は良い役者だったのにねえ。死んじゃったのが残念だよ、まだ若かったのに」


「邦子ばあちゃん、あの人まだ生きてるよ。違うよ、邦子ばあちゃん、今、話題の、あの村上様だよ」


邦子ばあちゃんが眉間に皺を寄せて少し思案した。


数秒の沈黙。


邦子ばあちゃんの表情がパッと明るくなって答えた。


「ああ、あの人だろ、『ドゥーン』って言う人だろ」


僕は即答した。


「違うよ、邦子ばあちゃん、それは、ショージだよ」


やはり、邦子ばあちゃんには認知症の兆候が表れているみたいだ。


2回続けて間違えた邦子ばあちゃんは、どうやら会話に興味を失くしたようだ。


「フワァー」と欠伸し邦子ばあちゃんが言った。


「敦、湯呑に白湯を入れて来てくれんかね」


僕は言われた通りに給湯室へ行って湯呑に白湯を入れて来てやった。


ベッドテーブルに湯呑を置いてやると邦子ばあちゃんはシートの錠剤を1錠、湯呑に入れて上下の総入れ歯をカポッと外して湯呑に入れた。


そして言った。


「あたしゃ、ちょっと横になるよ」


そういうと邦子ばあちゃんは横になった。


数分もすると邦子ばあちゃんは高鼾を掻き出した。


僕は、邦子ばあちゃんがベッドテーブルの上に置いた錠剤のシートを見た。


その錠剤はポリデントじゃなくてバファリンだった。


通りで邦子ばあちゃんの口臭は臭い筈だ。


僕は頭が痛くなってきたので、そのバファリンを1錠貰って給湯室に行き白湯で飲み下した。


早く邦子ばあちゃんには餅を喉に詰まらせてもらわないと…


僕は帰りにコンビニで日刊スポーツを買って家路に就いた。


最終レースに間に合ったが貴重な500円を失ってしまった。


僕のファイナンシャル プランナーとしての日々は続く。


僕に残された時間は後3年だ…

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