晩秋

シンカー・ワン

秋の終わり

 とある地方都市の郊外にある老人介護施設。

 ふたつの棟に挟まれた中庭、落ち葉が作り出した鮮やかな秋色の絨毯が敷き詰められた中、古びた木製のベンチに老人がひとり座っている。

 すっかり禿げ上がった頭には申し訳程度の髪の毛が数房、それもほぼ白髪だ。

 着ている物は部屋着兼用のエンジ色のジャージで、その上に紺色のカーディガンを羽織り、下半身は茶系統の格子柄をしたブランケットに覆われていた。

 老人は、太陽が中天を過ぎたこの季節特有の青く澄んだ空を目を細めて見上げている。

 雲はまばらで高い位置にあり、秋の深まりを象徴しているかのようだった。

 施設の北棟と南棟をつなぐ廊下を通り過ぎようとしていた、四十過ぎくらいのふくよかな体型をした女性介護士――首から下げているネームプレートには遠山とおやまとある――が老人に気づき、声をかける。

大岡おおおかさん、日向ぼっこですか?」

 大岡と呼ばれた老人はその声に振り返り、人の良い笑みを浮かべて声を返す。

「ああ、遠山さん。ええ、今日は調子もいいし、何よりこの天気だ。部屋にこもっとくのは勿体ないですからね」

 大岡のそんな言葉に、遠山介護士はいくらか表情を引き締めてから、

「ですけど、気をつけてくださいよ。今日はいいからって、また悪くしたら元も子もありませんし……。それに暖かく感じるだけで、気温はそれほどじゃないんですからね」

 以前調子を崩したのであろう大岡に対して注意をし、更に小春日和の危うさを指摘する。

「わかってますよ。――ほれ、準備は万端、ってね」

 少しだけ罰の悪そうな顔をしてから、大岡は遠山介護士に暖かそうなブランケットを持ち上げて見せる。

「ジャージの下も保温下着でバッチリ。むしろ温もり過ぎて困るくらいだ」

 にこやかに言う大岡に対し、

「汗の掻き過ぎも良くないですからね。……いいですか、ほどほどで切り上げてくださいよ?」

 強く念を押してから、遠山介護士は南棟へと消えていった。

 その肉付きの良過ぎる後ろ姿を見送って、また視線を秋空へと戻す大岡。

 細い雲が流れていき、高い位置でトンビが舞っている。

 そんな空を見上げながら、ひとつため息をこぼし、静かに物思いへと更けていく。

 長かったこれまでを思い返す。

 

 あと数年で米寿を迎える。が、祝ってくれる肉親たちはもう居ない。

 父が逝き、それを追うように母が逝くのを見送って、もう四半世紀が過ぎている。

 ひとり息子でありながらこの歳まで独身で通し、子をなさなかった自分を悔やむ。

 自らの家系が自分で絶える事を、親に、祖先に、申し訳ないとも思う。

 だが、けして無為な人生ではなかった、それは誇れる。

 掛け替えの無い友も作れた。皆、気のよい連中だった。

 中には若くして自ら命を絶った者もいた。

 予期せぬ事故で、難病でこの世を去った者達もいた。

 ほとんどの者達が、自分よりも先に旅立っていった。

 だか、皆輝いていた。まばゆく生きていた。

 自分も、そうであったと思いたい。

 ――そして何より思い出すのは、結ばれなかった恋。

 あの時、一歩踏み出していれば、何かが変わっていたのかもしれない。

 こうして後悔することも、無かっただろう。

 ……しかし、今はもう全てが感傷だ。

 自分と別れたあと、彼女は嫁ぎ、子を生し、孫に囲まれて天寿を全うしたと人伝えに聞いた。

 それもまた善き人生だと、心から思う。

 

 高く青い空を見つめていた目をゆっくりと閉じる。

 まぶたの裏に浮かぶのは若かりし日の友たち、そして彼女の顔。

 一番眩しく輝いていた季節の顔だ。

 肩を組み、笑顔をかわしながらバカばかりをやっていた。

 何でも出来る、何かが出来ると、未来を可能性を信じていた、あの頃と変わらない懐かしい顔。

 そんな友たちがゆっくりと自分から離れていく、高く遠い空へと。

 笑いながら、"待っているぞ" と声を投げかけてくる。

 去ってく彼らへと手を伸ばす。手は届かず、彼らの幻も消えていく。

 いつかは……そう遠くないいつか、彼らの元へと行くだろう。

 また会えたとき、笑って話せるようにたくさんの思い出を作ろう。

 自分にはもう少し時間がある。

 それを、大切に使おう。

 

「あぁ、本当にいい天気だ……」

 そうつぶやくと、大岡は静かに寝息を立て始めた。

 ゆっくりと、穏やかに眠りに入り、そして――。


 用事を終え、南棟から戻りかけていた遠山介護士が、日が傾く時間になっても日向ぼっこを続けている大岡を注意すべく、中庭のベンチへと近づいていく。

「大岡さん、あれほど言ったのに――」

 覘き込む様に声をかける遠山介護士だが、その言葉は続かなかった。

 ――このような施設で働く身である。こういった状況は初めてではない。

 穏やかな顔をした大岡の様子を確認すると施設責任者の元へと報告へ向かおうとする遠山介護士。

 その前に、一度大岡へと振り返り、

「大岡さん、少し待っててくださいね。すぐに戻ってきますから。――ごゆっくり」

 軽く目を伏せてそう一声掛け、慌てることのない、それでいて速い足取りで事務所へと向かうべく、北棟内へと消えて行く。

 ベンチで眠るようにその生涯を終えていた大岡を、傾きかけた陽射しが柔らかく包んでいる。

 秋がもうすぐ終わろうとする、そんな季節の変わり目の、静かな午後の出来事だった。

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