俺は空から降ってきて

山吹弓美

俺は空から降ってきて

 はっと気がついた次の瞬間、俺の身体はごうっと落下を始めた。

 多分、落下、だろう。

 一体何が起きたのかよく分からないけど遠くに見える山が逆さまだし、なんか全身に風感じてるから間違いない。


 って、えええ!?


「……、──!?」


 驚きすぎて、声なんか出るか。

 俺から見て上に見えるのは一面の森らしく、俺はまっすぐそっちに落ちていっている。バンジージャンプを、ロープ無しでやっているといえばいいんだろうか。まだやったことがないから知らないんだけど。

 このまま落下しても森ならクッションになってくれるか、と一瞬思った。

 だけどこの速度じゃ無理。多分無理。


 と思ったんだが無理、でもなかったらしい。


 ざざざざざ、と木の葉が激しくこすれる音がする。こする相手は俺の身体。小枝や葉っぱが身体のあちこちに当たって、痛い。細々と痛い。たまに太い枝に腕とかぶつけてこれもものごっつ痛い。きっと後であざになる。


「だああああ! いでででででででっ!」


 スピードが落ちたところで声帯が仕事をし始めた。出てくるのがマヌケな悲鳴なのはしょうがないだろう、痛いもんは痛いんだから。

 そうしてばさばさばさ、と折れた枝やら木の葉やらがどうにかこうにか受け止めてくれて、着地できた。よく生きてたな、俺。


「……えーと、だ」


 木の梢の向こうに見える青空を眺めてぼさっとしてるとどうにか気分も落ち着いてきたので、改めて自分の今の状況について考えることにする。

 まず、俺はいきなり空中に放り出された。で、森の中に落っこちた。


 さて、この森はどこの森だろう?


 そもそも、俺が歩いていた場所ではない。舗装した道路も電信柱と電線も立ち並ぶ店やら住宅やらも、この森には影も形もなさそうだしな。第一俺の住んでた家の近くにこんな森、ないし。

 そういえば、コンビニで買ったはずの雑誌もスナック菓子も、ついでに言うと財布も今手元にはない。もしかして森の中に落っこちてるか?


「……あー、えーと」


 さあ、困った。

 ここはどこだか分からない。

 先立つもの、金もない。いや、あったところでどうしろという話だが。そもそも、日本円が通用する気がしない。

 結論。


「どうすりゃいいんだよ……」


 俺はそうつぶやいて、頭を抱えたくなった。


「ん?」


 不意に人の声が聞こえたような気がして、顔を上げる。俺から見て左側、人影は見えないから木々の向こうから響いてきたらしい。通りがかりか、まさか俺を探しに来たのか。


「ってーか、誰だ! 座標ミスったのは!」


「シュアですよ! あーまったく、卒業試験まで面倒起こしやがって!」


「どうせ今、教官から説教食らってるだろ!」


 森の中から騒がしい声が近づいてくる。周囲が静かなせいか、ここまでよく聞こえてくるよ。もしかして、責任者が出てきやがったか。

 つーか、俺に理解できる言葉だ。具体的に言うと、実際に何語しゃべってるかは置いといて、俺には聞き慣れた日本語に聞こえる。助かった。

 少しして、木々の隙間から人影が見えた。ぞろぞろと出てきたのは……ざっと十人くらいか。

 その姿を見て俺は、つい口走った。


「わあ、分かりやすい魔法使い系……」


 だって、登場したのはそんな風に言いたくもなる連中だったから。

 黒っぽい色のゆったりしたワンピースっていうのか、ともかく衣装を着てる集団。森の中を急いで抜けてきたせいか、落ち葉やら枯れ枝やらくっつけてきてるのが目立つ。虫みたいのがついてるのもいるな、後で払っとけ。

 つばの広い大きなとんがり帽子……は思ったより大きくないけれど、かぶっているのは最初に出てきたやつだけだな。あれがリーダーか。よく木の枝とかに引っかからなかったな、と思う。

 それ以外の連中は何もかぶってないから、茶色やら金髪やら灰色やらの髪がよく見える。うむ、アニメみたいな派手派手な色はなさそうだ。

 そして全員が手に持ってるのが、木を磨いて作ったような杖。帽子が持ってるのはバトンくらいの小さいやつで、それ以外は木刀や竹刀くらいの長さがある。偉いやつほど小さいけど高いとか、強いとかなんだろうか。


 ともかく。

 どこからどう見ても、あれは魔法使いだ。さらに先ほど聞こえた台詞からして、俺をいきなり空中に放り出して墜落死させかけた張本人どもらしい。


「ふむ、彼に間違いないな」


 大きな帽子をかぶった奴が、背後の部下ども? 卒業試験つってたから生徒? まあどっちでもいいや、そいつらを振り返って頷いた。やっぱり責任者らしいが、今聞こえた声は高い。もしかして女か。

 ともかく、魔法使い一同が探しに来たのが俺であるらしいことは分かった。さて、どうしてくれようか。


「すまない。言葉は分かるかな」


 と、責任者が、俺をまっすぐ見てそう聞いてきた。いや、実際に見たかどうかは分からないんだけど。だってこいつ、深々と帽子かぶってて顔見えないんだもんな。

 ただし、女性であることははっきりした。声もそうだけど、物腰が男っぽくない。後、だぶだぶのワンピースの上からでも分かるレベルで胸がでかい。これは間違いなく女だ。

 で、聞かれたことには「大丈夫」と頷いてみせた。そうしたら、俺と同じ黒い髪を、俺よりずっと長く伸ばしてる相手はほっと胸を撫で下ろす。


「ならばよかった」


 ……そっか。

 向こうとしても、探してるこっちと言葉が通じない心配があったんだな。

 翻訳こんにゃくじゃねえが、その手の魔法とかあるのかね。


「では申し訳ないが……っ!?」

「でっ!?」


 話を進めようとした彼女が、何かに気づいたように振り向いた。同時に俺のポロシャツの襟を掴んで、そのまま地面に引き倒す。おい、えらく力あるなお前。地面に顔、ぶつけたろうが。幸い草だったけど、それはそれで青臭い。

 で、どうにか顔を上げた俺の視界には杖を構えた彼女、その向こう側にこれまた分かりやすい盗賊だか山賊だかの一団がわらわらと出てくるのが見えた。

 まあ、住んでる場所とかを考えると獣の皮で服とか防具とか作るのは当たり前か。森の中にいるんなら、木々を切り倒すために斧を使うのは当然だろうし。身だしなみに気を使わないから、ひげも伸ばしっぱなしなわけだ。

 なお、ここまで物事を冷静に考えていられるのは、逆に俺の脳みそが展開についていけてないからである。話にはついていけないので、ぱっと見で分かる盗賊どもの外見に思考が向いたわけで。


「貴様ら、どこから嗅ぎつけてきた」

「ヘヘ、そんなもんどうでもいいじゃねえか。俺たちゃお宝の匂いには敏感なんだよ」


 そんな俺を置き去りにして、周囲で話は進んでいた。どうやら盗賊の頭らしい中年の親父が、杖を構えたままの彼女をにやにやと舐めるように見ている。うわ、何か俺見られてるみたいで気持ち悪い。何でだ。


「そこの坊主を渡してもらおうか」

「どこで情報を仕入れてきたのやら。院内部を洗う必要があるな」


 そこの坊主。

 なるほど、盗賊どもも狙いは俺らしいな。それで魔法使い組と取り合い……何でだよ。本気でワケ分かんねえ、後で彼女に説明してもらうぞ。

 彼女と、彼女が連れてきた生徒たちが構えた杖から光がジワリと溢れてきた。

 責任者が腕を振ったのに従ったのか、生徒たちは俺を守るように取り囲む。その内の一人、短い金髪の気の強そうな兄ちゃんが俺をちらっと振り向いた。ふん、と鼻であしらわれたのが分かる。

 そうか、お前は俺のこと気に食わないか。俺もだ。初対面でそんな態度取られて好きになれるかってえの。


「たかが魔術院の講師ごときが、俺らにかなうとでも思ってんのか。魔術なんざ物の数じゃねえぞ」


「そう言ってお縄になった賊共がどれほどいるか、お前は知らんのだな。モノ知らずとは愚かなことだ」


 魔法使い組と盗賊の言い合いは、俺の話からどっちが強いかという方向にシフトチェンジしていた。何やってんだあんたら。

 まあ、自分の使える能力が一番だって思い込むのはこのへんの悪い癖、なんだよな。魔法使いの姉ちゃんは魔法が一番、盗賊軍団は力が全てってな。

 と言っても、生徒を従えて俺探しに森ん中までやってくるんだから、あの姉ちゃんがそれなりに力のある魔法使いだってのは事実なんだろうけどさ。


「殺しゃしねえが、ちょい痛いぜ!」

「うそつけ!」


 ノータイムで返してもいいよな。何しろこいつ、思い切り斧を振り上げてるし。ちゃんと刃を俺の方に向けて。

 これで殺意がないとか、通じるか!

 腰が抜ける。いや、さっき空から降ろされた時に抜けてるから、回復してない。


 ああ、そうだ。

 魔法使いだの盗賊だの、まるで小説やゲームのキャラクターのような人間がいる。


 ってことは、この世界はこういう世界だってことだ。

 俺がいきなり投げ落とされた世界は、簡単に血が流れる世界だってことだ。


 ぴっと、赤い血が飛ぶ。さっき俺を鼻であしらった金髪の兄ちゃんが、俺の目の前で腕を抱え込んでうずくまった。

 もしかして、俺を庇ったから。


「ひ……」


「くそっ……」


 あ、無事だったみたいだ。ごつい杖でうまく刃をずらしたな。

 だってそうしなきゃ、兄ちゃんは斧で自分の頭割られてたから。


 必死に、生きようとしたんだ。


 理解しろ、俺。

 いや、理解しなくてもいい。


 この世界がどうとか、俺が狙われてるとか、そこら辺はとにかく。


 この盗賊どもは、許せない。


「だああああ!」


 思わず叫んだ。というか、勝手に声が出ていた。


「わけ分かんねえけどなあ! いきなり殺し合いとか、してんじゃねええええええっ!」


 ──────おおおおおおおおおあああああああああああっ!


 俺の叫びに重なるように、何故か姉ちゃんが甲高い雄叫びを上げた。それは何というか、猛獣が吠えるようなすさまじい咆哮で。

 いや、きっと音ですらない。衝撃波が、広場を一気に包み込んだ。




 ……あー。ひどい有様だ。

 多分さっきの衝撃波のせいだろう、広場の草がぺたーんと寝てしまっている。あれだ、大雨が降った後の田んぼみたいな。

 で、責任者の姉ちゃん以外の魔法使いと、あと盗賊は全部ひっくり返っていた。

 俺の耳も、どうにか回復したところだ。


「なんと……喚ばれたばかりで高度な術をこなすとは」


「うわあ……」


 あっけにとられた顔の皆さんはともかく、うわあってなんだよ金髪兄ちゃん。俺が一番うわあって言いてえよ、こういろいろありすぎて。


「ライザス、腕はどうだ?」


「はい、先がかすめた程度です。解毒は自分で済ませました」


「そうか。まあ、念のため後で診てもらえ」


「はい」


 生徒たちの様子をひと通り見終わったのか、責任者姉ちゃんがこちらにやってきた。

 ライザスって名前らしい金髪兄ちゃんの傷も大したことなさそうで、俺もひとまず安心する。第一印象は最悪だけど、目の前でえらいことになられちゃ気分が悪いもんな。


「済まなかった。突然のことで、何が起きたか理解できていないんだろう」


「いやまったくで」


 責任者の姉ちゃん、さすがにご理解いただけて何よりである。何しろ俺、世界観から何からまったくわからない状況だからなあ。ほんと、説明してくれ頼む。

 ……分からない、といえば。


「あ、えーと。あんたら、名前何て呼んだらいいんだ? そっちの兄ちゃんがライザス、ってのは今聞いたけど」


「ああ」


 お互いの名前を知らない、ということに気づいてくれた姉ちゃんは、なるほどと頷いて答えてくれた。


「私のことはセイラン、と呼んでいただきたい」


「は?」


 思わず目が点になった。古めの言い方だと思うけど、今の俺の気持ちを実に分かりやすく表していると思うんだが、どうだろう。


「いかがした?」


「いやだって、俺もセイランって言うんだよ。四季野青嵐」


 慌てて自分も名乗る。日本じゃいくら何でも珍しい、キラキラネームじゃないけど中二病とは言われるレベルの名前だ。ゲームに使うにはかっこよくていいんだけど、普段使いはさすがになあ。

 で、俺と同じ名前のセイランさんは、俺の名前を聞いて少しだけ口元をゆるめた。


「……名前まで同じだったのか。さすがというべきかな」


「名前、まで?」


 まるで、他の何かが同じである、という感じ。今の言い方だと、つまりそういうことだからな。

 けど、セイランさんは女性で俺は男で、同じなのは名前くらいの気がするんだけど。


「では、改めて名乗ろう。私はセイラン、魔術院の教官を務めている」


 魔術院の教官……つまり魔術学校の先生、ってとこかな。で、他の連中が生徒か。そりゃ、責任者だよな。

 で、そこまで自己紹介してくれたセイランさんは一度ふかーく頭を下げて、それから帽子のつばに手をかけた。


「あなたとは、世界を隔てた双子の関係にある」


 帽子の下から現れたのは、どことなく鏡の中で見たような顔。

 俺を性転換させたらこんな感じだろう、と思える黒髪の女がそこに立っていた。

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俺は空から降ってきて 山吹弓美 @mayferia

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