重谷 幸伸
バタバタと廊下と階段を駆け抜けて、俺は息も絶え絶えになりながら、屋上へと続く扉の前に到着する。ドアノブをひねると、想像通り鍵が開いていた。あまり開閉される機会がなく、若干錆びているその扉を開けて、俺は屋上へと足を運ぶ。
扉を開けると、上空から降り注ぐ太陽の光が眩しくて、思わず左手で俺は顔を覆った。そうしながらも辺りを見渡すと、フェンスを乗り越え終えた女子生徒の姿を発見する。
「君。そんな所にいると、危ないよ」
自分の口から出た言葉は、自分でも驚くほど平凡なものだった。今どきのドラマなら、もっといいセリフを役者に言わせるだろう。でも生憎これは現実で、俺の目の前には今まさに死のうとしている女子生徒の姿がある。
俺は深呼吸をしながら、彼女の方へと一歩近づいた。すると、そんな俺のことを見て、その女子生徒は口を開く。
「来ないでください!」
ポニーテールの髪を風になびかせながら、フェンス越しに彼女は俺に向かってそう叫んだ。どこか幼さは残しつつも、キリッとした美しい顔立ちが、今は死への渇望と恐怖で揺れている。
……あんなに美人なのに、何で死にたいだなんて思うんだろうな。
本当に、人間というものはわからない。楽しそうにしていた翌日、ふっと、ロウソクの炎を消すような静けさで、時に誰かの命は失われていく。それも、自分で自分のロウソクの火を消す形で。
俺は深呼吸した後、再度彼女に向かって口を開いた。
「初めまして。俺は高二の重谷幸伸。君の名前は?」
「……一年の、乃上美心です」
「乃上さんね。よろしく」
「はい、よろしくお願い、って、違います! 私、これから死のうとしてるんです!」
俺は内心、舌打ちをしていた。このまま会話の主導権を握って時間を稼ごうと思ったけれど、どうやらそうは上手くいってくれないらしい。時間が稼げれば乃上さんの悩みも聞き出せるし、教室に戻って来ない乃上さんに気づいた誰かが警察に通報してくれるかもしれない。
……通報してる間に飛び降りちゃいそうだったから、後先考えずに屋上まで来ちゃったけど、とにかく今は喋って時間を伸ばすしかないな。
ここまで駆けてきた分と、一歩間違えたら乃上さんが飛び降りるかもしれないという恐怖に、俺の心臓は一向にその伸縮するスピードを緩めようとはしていなかった。
真っ青な晴天の中、太陽がジリジリと俺の額を焼いて、そこから汗が零れ落ちる。その雫を拭いつつ、なんとか時間を稼ごうと、俺はまた口を開いた。
「うん、そうみたいだね」
「そうみたいだね、って」
「いやぁ、びっくりしたんだよ? 窓からフェンスを登っている所が見えて、慌てて教室を飛び出してきたんだ」
「……何で、屋上まで来たんですか? 私たち、今日、初めましてじゃないですか」
「じゃあ乃上さんは、初めましてもしてない人が飛び降りる所って、見てみたいと思う?」
「それは、嫌ですけど……」
「うん、つまり、そういうことだよ」
「……じゃあ、もっと違う時間にすればよかったですね。そうしたら、重谷先輩にも気づかれずに飛べたかもしれないですし」
「でも、乃上さんは、この時間がよかったんじゃないの?」
「え?」
不思議そうな顔をする乃上さんに、俺は少しだけ苦笑いを浮かべた。
「だって、死のうとするなんて、よっぽどのことじゃない? だから、死のうとする時間と場所は、ここがいい、これがいいって、自分で納得したものを選んだんじゃないかな? ってさ」
「そう、ですね。私が今ここで飛ぼうとしたのも、そんな感じです」
乃上さんの表情から、少し緊張の色が抜けたように感じた。このまま話を続けていけば、彼女の緊張を解きほぐせるかもしれない。一番いいのは俺と会話することで自殺を思い止まってくれることだが、世の中そこまで甘くないだろう。今はとにかく、時間を稼ぐことに集中しよう。
「これも何かの縁だし、よかったら教えてくれないかな?」
「え?」
「何で今、この場所、このタイミングで飛ぼうとしているのかをさ」
そう言うと、乃上さんは少し黙って、顔を下に向けた。
……少し、踏み込みすぎたかな?
「ごめん。やっぱり、嫌だよね、言うの。こんな、初めましてをしたばっかの人に話すのは」
「……いえ、いいんです。これもきっと、何かの縁でしょうし」
そして乃上さんは、ポツポツと話し始めた。
「空が、綺麗だったから」
「空が?」
「はい。だから、空を飛ぼうと。最後に大好きな売店の焼きそばパンを食べた後に死のうって、そう思ったんです」
その言葉を聞いて、俺は上空を見上げる。透き通るような青空が広がっていて、確かに空は、美しい。
空が、綺麗だったから。
そんな理由で、人は死に方を決めれるものなのだろうか? 幸いにして、俺は今まで自殺をしようと思ったことはない。だから自殺したい人の気持は、正直良くわからない。わからないけれど、そんな理由で死に場所を決めてしまえるぐらい、自殺をしたい人にとって死に方を決める事は、今日着ていく私服を選ぶような気軽な行為なのかもしれない。
だから吹けば、乃上さんは本当に簡単に屋上から飛んでしまいそうで、俺は改めて自分の気を引き締め直した。
「焼きそばパン、好きなんだ」
「はい。売店のは、出来立てで美味しくって」
「俺もたまに、あそこで菓子パン買って食べるよ。クリームが入ってるやつが好きなんだ」
「あ、わかります! あれも美味しいですよねぇ。悩んだんだよなぁ」
……それなら、明日は菓子パンを食べればいいじゃない。
そう言おうとして、俺はどうにか自分の言葉を喉仏より上に出さずに引っ込めることに成功した。それを言ってしまえば、きっと彼女は飛んでしまう。悩んだと言うことは、最後に食べるものを決めた後だということだ。
死ぬ決意を、もうし終えたということだ。
その決意に、乃上さんの意識を向けては、きっとだめなんだ。
そう思っていると、乃上さんが寂しそうな顔をしながら、言葉をつぶやいた。
「私、フラれちゃったんです」
「え?」
「大好きだった彼氏にフラれて。だから、死のうと思ったんです」
それは。
その理由は。
俺には正直、死ぬほどの理由じゃないとしか思えなかった。
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