井内 良吉(いない りょうきち)

ふひひっ、と引き攣る様に、僕は笑った。

 校舎の四階。物理、科学実験室などが並ぶこの階の男子トイレ。この時間帯は、人気が全くないトイレの一番窓に近い個室が、お昼休み中僕の指定席になっていた。

 ずれた眼鏡をもう一度押し上げて、僕はまたふひひっ、と笑う。だって、今日は本当に良い日だからだ。何故なら今日、僕はこの暗黒の高校生活に終止符を打てるのだから。

 トイレの個室の中、僕は一人、弁当箱の蓋を開ける。弁当の半分は白米で、いつものようにふりかけもセットでついている。ふりかけの種類はしそや鮭、明太子など様々だが、今日は僕の好きなのりたまだった。おかずの方は、シュウマイにきんぴらごぼう、アスパラの肉巻き。さらにブロッコリーが入っている。僕はその、緑の野菜を見て、思わず眉をひそめた。

 ……母さん、またブロッコリー入れてるよ。

 どうにも食感が苦手で、僕はブロッコリーが好きではない。弁当箱が傾いてもいいように、マヨネーズがブロッコリーの下に敷かれているが、味が変わった所で食感が変わらないのでは、苦手意識も変えようがなかった。

 ……ブロッコリー以外は、全部僕の好きなものなんだけどな。

 せっかく色んなものを全て終わらせる事ができる日なのに、これでは気分が台無しだ。どうせなら、気持ちよく全て終えたかったのに。とはいえ、僕はまず最初に箸をブロッコリーへと伸ばしていく。嫌いなものは最初に食べてしまおうと思ったのだ。全て終えた後にブロッコリーだけ残していたというのも格好がつかないし、せっかく作ってくれたものを残すのも母さんに悪い。

 僕はその緑のつぶつぶみたいなものが無数に生えた物体を箸で掴むと、口の中に放り込み、咀嚼する前に水筒のお茶で飲み込んだ。喉が詰まったような感覚が少し残るが、それもお茶を何口か飲んでいる間に消え去っている。顔を顰めながら、僕はふりかけをご飯にまぶして、アスパラの肉巻きに箸を伸ばした。肉巻きの香ばしいタレの味が口一杯に広がった所で、ようやく僕は口角を吊り上げる。

 ……この弁当を食べ終えたら、計画を実行に移そう。

 ふひひっ、ともう一度笑って、僕は教室から一緒に持ってきて、足元に置いてあるカバンへと視線を下ろす。クラスメイトたちは、僕が教室からいなくなったことについても、僕のカバンが教室にないことについても、何ら関心を持っていないだろう。

 別に、誰かに虐められているというわけじゃない。誰か仲が悪かったり、一緒にいるのが気まずくなったクラスメイトが教室にいるというわけでもない。

 それでも僕には、この学校で居場所なんてどこにもなかった。

 ……何でだよ。何で、三年間、本当に何にもないんだよ。

 高校に進学した当時、僕の胸は期待で満ち溢れていた。待ちに待った、高校生活。そう、僕は高校生活を送れることを、死ぬほど楽しみにしていたのだ。

 新しい教室で隣になった女の子と話したり、訳アリの可愛い女の子が転校してきて一悶着起こったり、通学途中に美少女とラッキースケベ的な出会いで第一印象が最悪になって痴漢呼ばわりされたり。けれどもそんな女の子たちとは、最終的に仲良くなるような、そんなマンガやアニメでは当たり前に起こっているイベントを、当たり前のように求めていたのだ。

 ……でも、結果はどうだった?

 入学時に振り分けられた教室の座席。僕の周りには男子しかいなかった。

 可愛い転校生はやってこない。そもそも、転校生自体この三年間で一人もいない。

 通学途中女の子とぶつかることもなく、男子生徒とすら殆ど会話せずに三年間が過ぎていった。

 ……はぁ? 何でだよ。何で僕には、何も起こらないんだよ!

 こんなの、絶対おかしいじゃないか。マンガやアニメでは当たり前に起こっているのに、僕にはイベント一つすら発生していない。

 ……っていうか、何で他の奴らは何も言わないんだよ!

 空想と現実は別なのは、理解している。しているが、何で自分だけ何も起こらないんだ? 何で他の奴らはあんなに楽しそうにしているんだ? 僕の知らない所で何かイベントが発生していたのか?

 いや、そんなはずはない。転校生は来ていないし、この学校の生徒が痴漢呼ばわりされたこと言う話も聞かない。女子生徒と席が隣になった奴も、全員が全員、仲良く話している様子もなかった。

 それなのに、何で他の奴らは、あんなに眩しそうに高校生活を送れているんだろう? 一人や二人、そういう人がいるのなら、まだわかる。でも、殆どの奴らには友達がいて、昼休みには一緒に御飯を食べて、下校時にどこかに寄り道して、高校生活を謳歌しているように見える。というか、実際謳歌しているのだろう。

 意味が、さっぱりわからない。

 部活に入っているから? いや、帰宅部の奴だって、その環に入って楽しそうにしている。そもそも部活に入ることが高校生活を輝かしくさせる必須条件になるんだろうか? 僕は体の線も細いし、運動部には入れない。かと言って、文化部も全く興味がない。楽譜が読めないので吹奏楽部は論外だし、絵を描くのも下手なので美術部には入れない。科学の実験にはそもそも興味が無いので科学部にも入る必要性を感じない。高校生活を謳歌するのに部活に入った方がいいというのであれば、僕はそもそも高校生活を謳歌する資格がないということになる。

 ……差別じゃないか、こんなのっ!

 この国は、自由と平等の名の下に運営されているのではなかったのだろうか? 何で僕が、僕だけがこんな想いをしなければならないのだろう? 高校三年間、友達も出来ず、気づけば一人便所飯をするのが当たり前になっている。こんな暗黒の高校生活を、僕はぶっ壊してやろうと思ったのだ。

 そして今日、僕はそれを実行に移す。全てを、粉々に破壊してやるのだ。全てを、終わらせるのだ。暗黒を、吹き飛ばすのだ。

 そして僕はもう一度、ふひひっ、と引き攣る様に笑った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る