第14話

 週末、俺は有愛と喫茶店にいた。今日は準備だけなので女装は無しだ。


 有愛と両親に相談した結果、赤字にならない程度の数字が出るならオッケーということになった。オリーブの集客力を見ていたからか、話はすんなりと進んでしまった。


「まだ来ないのかなー? 小出さんってどんな人? 女の人なんだよね? 趣味は何? 友達になれるかなぁ?」


 店内にあるふかふかのソファに座って足をバタバタさせながら店主である父親の代理を任せられた有愛が尋ねてくる。


「いや……普通の人……あー……中身以外は普通の人だよ。優しいけど独特?」


「へぇ……気になるなぁ」


 有愛の両親がそろばんを弾いたところ、店に配置するのはバックヤードに二人、接客に二人が限界らしい。そんなわけで俺は有愛と接客を担当し、前のお嬢様喫茶にいた小出さんに調理担当として声をかけた。性格に難があるとはいえ、その仕事は確かなものだからだ。


 小出さんは店を辞めたあともフラフラしていたらしく、そんなに高くもない給料なのに話に食いついてきた。


 そろそろ約束の午前十時。ボーンボーンと店内に設置してあるレトロな時計が時刻を知らせるチャイムを鳴らすと同時に、店の扉につけられた来客を知らせる鐘がカランカランと鳴った。


「ちぃーっす」


 猫背で、髪を雑に後ろで結んだ小出さんが入ってくる。この人のいつものスタイルだ。


 キョロキョロと店の中を見回した小出さんは俺たちを見つけてこちらへやってきてテーブルを挟んだ向かい側に座った。


 小出さんは有愛をじっと見て目をパチクリとさせる。


「小出です」


「糸魚川有愛です。小出……何さんですか?」


 有愛は当然の疑問をぶつける。


「それは秘密です。もし有愛さんがデスノートを持ってたら私死んじゃうじゃないですか」


「も、持ってないですけど……」


 有愛は苦笑いしながら「こういう人か」と言いたげに俺に視線をよこす。


 そういえば俺も小出さんの下の名前は知らない。


「俺も小出さんの名前知りませんよ」


「おや? そうでしたか? まぁ世の中は知らないこと、分からないことだらけですからいいんすよ」


 小出さんはそう言ってキッチンの方へと向かった。俺達も何かやらかしそうなので心配になってその後をつける。


 棚を開けて中にあるコーヒー豆を物色したかったようだ。


「おっほ〜! 良いお豆ちゃんが揃ってますねぇ」


「お父さんがこだわってるんです」


「でもこんな良いものを揃えてこの価格は……結構きつくないですか?」


「ここはあんまり儲けるためのお店じゃないらしいんです。ぜーきんたいさくとか言ってましたけど」


「へぇ……ま、お仕事をさせてもらえるならなんでもいいっすよ」


「じゃ、採用!」


「あ、有愛さんが店長なんすか?」


「ううん。でもお父さんに事前に話は通してあるから大丈夫ですよ……あ! コーヒー飲みたい! 小出さん、淹れてみてくださいよぉ」


「えぇ、良いですよ――っと。誰か来ましたね。今日ってお休みなんじゃ?」


 小出さんは入口からキョロキョロとこちらを見ている人に気づいた。


 物陰でよく見えないが女性のようだ。


 有愛がその人を迎えに行き、扉を開けた。


「あー……すみません。今日はお休みなんです」


「中に小千谷君っていませんか? その人と話したいんですけど……」


「あぁ! はい! どうぞ!」


 有愛は無警戒に人を招き入れた。物陰から出てきたのは津南さん。前の店で俺をクビにした店長だ。


「つ、津南さん!?」


 なんでここが? まさか小出さんが? 俺は小出さんの方を向く。だが小出さんは「私は知りませんよ。ガチっす」と弁解した。


 小出さんも津南さんに嫌気が差して辞めたのだから二人が繋がっているということはないだろう。


「SNSでここの店にオリーブがいるって見たの」


 津南さんはつかつかと俺の方へ向かってきて、すぐ目の前で頭を下げた。


「お……お願いします! うちの店に戻ってきてください!」


「……え?」


「そ……その……小千谷君がいなくなってからその有難みに気づいたというか……店の子達、オーダーは間違えるしお客さんの名前は覚えないしで私が謝ってばっかで、常連さんも来なくなるし散々で……エリマネにも毎週売上が落ちてるって詰められるし……もうつらくて……」


「辛いから……なんなんですか?」


 だから何なんだ。自分のことばかりじゃないか。


「お願いします! 時給増やすから! 100円……いや、200円! どうかな?」


「無理です」


 俺は即答する。金の問題じゃない。


「な、なんで?」


「俺、キモいんですよね? 女装してるから。ぶ……ブスな女装男なんですよね?」


 その言葉を思い出して心に突き刺さっていたトゲがまた疼く。それどころか、ずっと刺さっていたトゲの傷口は膿んでいたようで、前よりもキツく傷んでしまう。


「そ、それは……イジりだって!」


 津南さんはヘラヘラとしながらそう言う。


 イジり? 理解できない言い訳に固まってしまう。


 そんな俺のかわりに小出さんがキッチンから出てきて津南さんを店の出入り口に押しやった。


「津南さん、もう帰った方がいいっすよ。いい大人がしていいことじゃないです」


 津南さんは小出さんの腕を振り払う。


「アンタもアンタだって! バックレたくせに! いい大人がバックレてんじゃないよ! 25にもなってさぁ!」


「そ、それは……」


 小出さんは痛いところを突かれたのか、途端に黙ってしまった。


 とにかくこの人に早く帰ってほしい一心で俺が代わりに前に出る。


「津南さん、しばらくしたら私はここで女装して働きますのよ。この前も女装して友達と遊びに行きましたわ。こんな私はキモいですか?」


 俺はお嬢様の声を作って津南さんに尋ねる。


「き……キモくない……です」


 その表情は言葉とは裏腹に俺を見たくもないと言いたげだ。この人はこんな簡単な踏み絵すら出来ないらしい。それがまた心のトゲを深いところへ送り込む。


「嘘はおやめください。何を言われようと、どれだけお金を積まれようと、私は戻るつもりはございません。エリマネに詰められる? 良いではないですか。ガンガン詰められてくださいな。身から出た錆ですわね」


「わ、私は――」


「お引取りください」


 俺はトゲの痛みに耐えながらピシャリと言い放つ。


 それを最後に小出さんによって津南さんは店から連れ出された。


 それを見届けた俺は痛みに耐えきれずバックヤードに駆け込む。


『皆が可愛いと言ってくれていたのは気遣いなのか? やっぱり俺は気持ち悪いんじゃないのか? そもそも秘密にしている時点で自分がキモいと自覚している証拠なんじゃないのか?』


『いや俺は普通だ。キモくない。世界一可愛い。じゃないとあんなに人は来てくれない。オリーブのアカウントのフォロワーの数を見てみろ。人気があるのが可愛い思われている証拠だ』


 部屋の隅にうずくまり、脳内でネガティブな自分とポジティブな自分が言い争いを始めるのを真ん中でじっと見つめる。だけどこの議論はネガティブ派が勝つという結論ありきのもの。いずれポジティブな自分は口を閉ざされる。


「う……うぅ……」


 涙が止まらなくなる。有愛だって、他の人だって実は気遣ってくれているんじゃないか。内心は俺のことを気持ち悪がってるんじゃないか。


 あっという間にネガティブ派閥がポジティブ派閥を駆逐する。


 もうだめだと思いかけた瞬間、不意に背後から抱きしめられた。ふわっと淹れたてのコーヒーの匂いがする。


「奏君はキモくなんかない! 世界一可愛い! なれるものなら私だってなりたいんだが!? 変わってほしいんだが!? 頭ぶつけたら入れ替われるかな?」


 声の主は有愛。有愛は背後からゴツン、と俺に頭突きをしてきた。


「いだっ……」


 結構な勢いだったので声が出てしまう。


「いだいよぉ……はっ!? 入れ替わった!?」


 俺は有愛の方に向き直る。有愛は額を抑えて顔を歪めている。


 だが、頭の痛みで俺は現実に戻ってくることができた。心に君臨していたネガティブな俺を有愛は一撃で葬ってくれた。


「入れ替わってないよ。あるわけ無いじゃん、そんなこと」


「ふっ……あははっ! そうだよねぇ!」


 気づけば心に刺さったトゲはなくなっていた。有愛の手術はトゲを優しく引き抜くなんて優しいものじゃなく、患部も膿んだ部分もまとめて切除する、そんな荒療治だったけれど、それが今回は功を奏したのだろう。


 俺は気づくと有愛を思いっきり正面から抱きしめていた。有愛は「ひゃ……ひゃあ」と変な声を出していたのだった。

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お嬢様喫茶で人気No1伯爵令嬢の俺、「女装とかキモッ」と言われクビになったので新しい店に移籍したら常連が皆ついてきてしまった。経営が傾いたから戻って来いと言われてももう遅い 剃り残し@コミカライズ連載開始 @nuttai

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