十六話

 あの時予感した通り、お義母様の計画を阻止した夜の別れ以来、私はアレクと一度も会うことはなかった。あの後、お義母様が自白したことで城内は一時大騒動になり、私はその経緯の説明や騒動を静めるためにあちこちへ動き回ってしばらく休む暇もなかった。けれどこのことで一番疲れを見せたのは国王である父上だろう。まさか自分の妻が娘を手にかけようとしていたなど思いも寄らないことだ。最初に聞かされた時の父上は冗談だと思ったようだけれど、証言する私達やお義母様の自白を聞き、次第に悲しみと怒りを湧かせた。命を奪うまでには至らず、自白もしていることで極刑には当たらないはずだったが、厳格な父上は身内が犯した罪ということでお義母様の罪は極刑に値すると判断した。しかしそれはさすがに行き過ぎだと周囲から、そして私からも言い、結局父上はお義母様から王妃の肩書きを取り上げ、監獄塔へ幽閉した。一生を狭い塔の部屋で過ごせと言われ、お義母様はそれに従った。けれどミシェルと会うことだけは許されたため、絶望はしていなかった。それが唯一の救いであり、父上の見せた慈悲だった。


 そんな一連の騒動から十七年が過ぎた。数年前から身体に不調があった父上は、歳を重ねるごとにそれを悪化させ、六十歳を迎えた直後にこの世から去った。私は悲しむ間もなく王位を引き継ぐこととなり、臣下や民衆に祝われながら国王の座に就いた。王女の時とは比べものにならないほどの公務の量で、それをこなすには側近に助言を貰わなければまだできないなど、私にはわからないことばかりではあったけれど、それでも国王になり、自分のすべきことは一つ、頭に明確に刻まれていた。父上は果たさなかった、貧しい者達への救済政策――アレクの願いはわずかも忘れたことはない。そして国王という立場になった今、その願いのために大きく動く時が来た。私はアレクの期待に応えたい。応えて、いつかまた、どこかで会えた時までに立派な国王になっておかなければいけない。アレクにがっかりされたくはないから。そんな日を想いながら、私は忙しい日々を過ごしている。


「――判決を下す。三軒の民家に放火をした上、その住民を焼死させた罪はあまりに重く、犯行に酌量の余地は微塵もない。また反省の態度も見られず、懲罪金で済ませればまた同じことを繰り返す恐れもある。よってお前には死罪を与える」


 玉座から離れた正面で膝を付く男に私は言った。両脇を兵士につかまれ、手枷をはめられた罪人は、伸びた前髪の隙間からこちらを睨むように見ていた。人の命をいくつも奪っておきながら不服とは……自業自得だ。


 国王の仕事にはこうした裁判もある。けれど私が裁くのは重罪人のみだ。なので月に何度もあることではないけれど、殺人犯とは言え、やはり死罪を言い渡すのは気分のいいことではない。しかし罪人に対して優しい態度を取れば、判決を知った遺族や民に生易し過ぎると批判されかねない。心苦しくても国王としては厳しい態度を貫く必要がある。


「何か言いたいことはあるか」


「ふんっ、殺したきゃ殺せよ。それで満足するならな!」


「……連れて行きなさい」


 罪人は不気味な笑みを見せながら兵士に引っ張られ、広間を出て行った。国王は時に恨まれるもの。言われたことをいちいち気にしていたら心が持たない。こういうことにも慣れていかなければ。


「次……連れて来なさい」


「はい。次が本日最後の裁判になります」


 宰相の合図で兵士につかまれ、手枷をはめた男が入って来た。うなだれたまま床に膝を付かされる。それを確認してから宰相は手元の情報を読み上げた。


「西地区在住、アレクシス・ベルトロ、三十五歳――」


「……!」


 私は耳を疑い、思わず宰相を見やった。


「……どうかいたしましたか、陛下」


「い、いえ……続けて」


 心臓が早鐘のように鳴っている。まさか、こんなことって……。


「罪名は貴族に対する詐欺罪。ビルヌーブ伯爵が金を騙し取られたと訴えております。……卿、こちらへ。陛下にご説明を」


 宰相に促され、広間の隅にいたビルヌーブ卿は静かに私の側へやって来ると、頭を下げて会釈をする。


「この罪人は貴族である私を、あろうことか騙したのです。私の持ち金を狙い、賭け事に興じる私を意図的に負けさせる八百長を働いたのです。そのせいで私は大金を奪われました。陛下、このような悪人は徹底的に懲らしめるべきです。どうか厳しい判決を下されるよう願います」


 ここでは王侯貴族に対する罪は、どんなものであろうと重罪になる。時には理不尽な罪もあったりするが、今回はお金を騙し取ったという詐欺行為。完全に犯罪と言えるけれど――私は恐る恐る正面に視線を移した。


「反論があれば、顔を上げて言いなさい」


 膝を付いた男の頭がゆらりと動き、その顔を見せた。茶色の髪の下から琥珀色の瞳がこちらをじっと見ていた。その目と合った瞬間に、私の心臓は一段と大きく跳ねた。身体は一回り大きくなり、年齢を感じさせる容貌に変わってはいるけれど、その顔には十代の頃の面影や印象が変わらず残されていた。やはりアレクなのね――様々な感情の波が押し寄せて来るのを、私は懸命に押し止める。今は国王として裁判を行っているのだ。それと無関係な話はできない。動揺しそうな自分を静め、私は改めてアレクと向き合い、返事を待つ。


「……俺に騙された? てめえの罪を棚に上げてよく言うよ。俺はお前に脅されてたけどな」


 低くなった声が、でもあの頃の口調のままでアレクが反論した。


「な、でたらめを言うな! なぜ私が庶民を脅す必要が――」


 私はビルヌーブ卿を制し、アレクに促した。


「脅されていたというのは、どういうこと?」


「そこの腐れ貴族は、俺達一家の賭場の稼ぎをよこせと言ってきたんだよ。断れば賭場が無許可で営業してることを役人に言って潰してやるって脅してきた」


「よくそんな嘘を……陛下、これはすべて作り話です。真面目に聞くだけ時間の無駄です」


「卿は、この者の賭場へ行ったことがあるのですか?」


「あ、あるわけがありません。違法な賭場など……この罪人とは別の賭場で――」


「嘘に嘘を重ねると自分の首を絞めることになるぞ。そう言えば先々週……カードで大負けしてやけ酒飲んだ挙句、他の客に絡んで暴れた拍子に懐中時計を落としただろ。あれ、うちで預かってるから取りに来てくれ」


「! なくしたと思ったら、お前の――」


 言いかけたビルヌーブ卿は、ハッと気付いてすぐに言葉を止めた。


「卿、やはりこの者の賭場へ行ったのですか?」


「いい行っていない! 懐中時計は、その罪人が盗んだのでしょう。詐欺だけでなく窃盗も働いていたとは!」


「では先々週、卿はどこの賭場で遊んでいたのですか?」


 聞くとビルヌーブ卿は引きつった表情で私を見た。


「な、なぜ、そのようなことをお聞きに……?」


「卿の主張を証明するためです。賭場の名を出せば、すぐに調査官を向かわせ確認することができるでしょう。……さあ、どこなのです?」


「……そ、れは……」


 消え入りそうな声と泳ぐ目。そして額には、じわじわと汗が滲んでいた。


「だから嘘を重ねるのはよくないって言ったんだ。多分そいつ、ここ一ヶ月は俺達の賭場しか来てないよ。毎日のように姿見せてたし、高い賭け金で遊べるのはうちだけで、他の店は安くてつまらないって言ってたから」


 私はビルヌーブ卿を見やる。


「……正直に答えたほうがいいのではなくて?」


 ビルヌーブ卿は赤くなった顔に汗を流しながら口を開いた。


「も、申し訳ございません。どうも私の記憶違いだったようで……確かに、私は違法な賭場へ行きました。ですが、今裁かれているのは私に対する詐欺行為であり、違法な賭場へ出入りしたことではないはずです!」


 確かにそうだけれど――私はアレクに聞いた。


「あなたは、あくまで詐欺行為はしていないと?」


「ああ。したつもりはない」


「つもりは……?」


 聞き返した私にアレクは肩をすぼめる。


「まあ、そんなふうに見えたかもしれないが、でもそいつは俺達を脅して稼ぎを奪ったんだ。最初は仕方なく払ってたが、次第に金額を吊り上げてきやがった。だから俺は、俺達の金を取り戻しただけだ。それの何が悪い? 払う必要のない金だったんだ。本当に悪いのはこっちの弱みに付け込んでたかってきたそいつだろ」


「ふんっ、開き直ったところで、お前の罪は変わらないぞ」


 お互いを睨む二人の間には見えない火花が散っている。


「……ではビルヌーブ卿、この者が詐欺行為をした証拠は?」


「証拠? そ、そのようなものはありませんが、しかし私がカードに興じている途中に、こやつが不自然に話しかけて来て、その直後、私は大負けしたのです! おそらく気をそらした隙にカードに細工をしたに違いありません。いえ、したのです! でなければあれほどの負けになるはずなどない!」


 ビルヌーブ卿は鼻息荒く訴える。


「わかりました。……あなたは、卿に脅されたという証拠は?」


「ないよ。残念ながらね。だがそいつが脅してでも金が欲しかった理由は知ってる」


「ほお、それは何?」


「借金の返済だ」


「なっ、何を、勝手な憶測で――」


 私は怒鳴ろうとしたビルヌーブ卿を視線で制する。


「……憶測ではないのでしょうね」


「もちろん。ちゃんと聞いた話だ。一緒に賭場に来てたそいつの従者からな」


「……っ!」


 視界の隅でビルヌーブ卿の顔が強張ったのが見えた。


「酒を飲んで気が緩んだんだろうな。そいつの愚痴をいっぱい聞かされたよ。賭け事に狂い過ぎて奥さんに何度も叱られてるのに、それでもやめてくれないって。誰彼構わず金を借りまくって家計は火の車。いつか破産するかもって怯えてたよ。可哀想に」


「本当なのですか、卿」


「う……」


「借金したこと忘れるぐらい賭け事に夢中なのか? なら調査官に調べてもらえよ。正確な額をさ。現実に戻れること請け合いだ」


「だ、黙れ! この罪人めが!」


「落ち着きなさい、卿。……二人の主張、訴えはわかりました。しかしお互い決定的な証拠がないということを踏まえた上で判決を下します」


「陛下、厳しい罰を、どうか……」


 ビルヌーブ卿は私に懇願し、アレクはうつむいて判決の言葉を待っている。そんな二人の顔を見やり、私は言った。


「アレクシス・ベルトロ、あなたには半年間の強制労働を科します」


 言い渡した瞬間、アレクは顔を上げてこちらを見据えた。


「へ、陛下、たった半年間の強制労働など、あまりに軽過ぎでは? こやつは貴族である私に詐欺を働いたのですよ? もっと重い罰にお考え直しを――」


「ビルヌーブ卿、あなたには三ヶ月間、教会での奉仕活動を命じます」


「え? お、お待ちください。訴えたのはこちら側ですよ? なぜ私にまでそのような――」


「では改めて卿が違法賭博を行った裁判を開きますか? その場合、さらに詳しく調査した結果が反映されると思うけれど」


「あ……そ、そういうことでしたか。ならば、陛下の貴重なお時間を取らせるわけにはまいりませんが……」


「納得したのならば命じた通りに――」


「しかしやはり、こやつの罰は軽過ぎる。貴族に対する罪は重罪のはず。厳罰を与えるべきではないのですか!」


「何も知らないのであれば、そうしていたでしょう」


 意味がわからないと言いたげな顔が私を見た。


「この者は西地区にあるバレリッツ教会へ、もう二十年近く寄付をし続けています」


「え……まさか、陛下はこやつを知っておいでで……?」


「バレリッツ教会はこの国で一番貧しい教会と言えます。けれど一番貧しい者を救っている教会でもあるわ。この者はその手伝いを長年していて、司祭からも頼られていると聞いています。しかしこの一、二ヶ月、この者からの寄付額が減り、あるいは寄付そのものが途絶えてしまったと司祭から報告がありました。この期間……卿が賭場へ入り浸っていた期間と重なるのでは?」


 アレクを見ると、その口の端は笑っていた。


「さすが、王様だな……」


「な、何を仰りたいのですか?」


「つまり、賭場での稼ぎは教会への寄付に使われていたということです。それが卿が通うようになってできなくなってしまった……一体、なぜでしょうね」


 私が軽くねめつけると、ビルヌーブ卿はまた顔を赤くし、視線を泳がせた。


「お、仰りたいことはさっぱりわかりませんが……し、しかし、こやつが気まぐれに教会へ寄付をしていたからと言って、軽い罰で済ます理由にはならないのでは? しかも寄付をした金は違法な方法で稼いだ金なのです。これをお許しになるわけには――」


「私は許すとは言っていないわ。ただ教会の司祭はこの寄付のおかげで助かっているという事実もあります。これは酌量の余地があると考え、だから私は厳罰を避けました。けれど違法な賭場を開き、不正と取られる行為を行ったことは反省してもらわなければなりません。半年間の強制労働の場で、自分の行動を見つめ直してくれることを望みます。……いいですね?」


「寛大なお心に、感謝します」


 アレクは深々と頭を下げた。


「へ、陛下、慈悲や優しさなどお与えになっても、このような男は付け上がるだけで――」


「卿も、自分の行動を見つめ直しなさい。これ以上家族を苦しませたくはないでしょう」


 ビルヌーブ卿は言葉を詰まらせ、気まずそうに目を伏せた。


「では、これにて裁判は終了とする」


 宰相の声に裁判に立ち会っていた関係者や高官達が私に会釈をする。それを見回し、私は玉座から離れて広間を後にする。その去り際、少しだけ振り返ってアレクを見た。両脇を兵士につかまれ、立ち上がらされていた。そのうつむいた顔が一瞬、こちらを見た気がした。このまま別れてしまっていいのだろうか。このような形でもせっかく会えたのに、何も伝えずに立ち去ってしまったら、きっと私は……。


「陛下、この後のご予定まで、まだお時間がございますが」


 ふと視線を上げると、そこには侍従長のヘレネが立っていた。


「何かご用事がおありでしたら、そちらをお済ませになられてはいかがでしょうか」


 こちらに向けられた穏やかな笑顔は、声には出さないもう一つの言葉を伝えていた。ヘレネは私を待ちながら裁判を見ていたのだろう。そして裁かれるアレクのことも。


「けれど、私一人だけでは……」


「ご心配なさらず」


 頼もしい声に振り返れば、すぐ横に親衛隊長のアダムがいた。


「私がお側におりますので、ご安心してご用をお済ませください」


 アダムもヘレネ同様、笑顔を浮かべて聞こえない言葉を私に伝える。若かりし頃の秘密の恋を知る二人だからこそ、こうして気持ちを察してくれたのだ。私がどうしたいのか、心の内は筒抜けらしい。でもそれがありがたい。


「ではアレクシス・ベルトロを隣の控えの間に連れて行きますので、陛下はお先にそちらでお待ちください」


「しかし、判決を下した者を、何と言って連れて来るの?」


「裁判での証言を詳しく確認したいとか、ビルヌーブ卿について聞きたいなど……まあ、そのようなことを言えば大丈夫でしょう」


 ニカッと笑い、アダムはアレクの元へ向かった。本当に大丈夫なのか……。


「陛下、参りましょう」


 ヘレネに促され、私は言われた通り控えの間へ向かう。


 窓から入る陽光に照らされた部屋には、質素な椅子や机、飾り棚などだけが置かれている。そこで私は心臓の鼓動を感じながらアレクを待った。まるであの頃に戻ったかのような緊張感。でももう、あの頃とは完全に違う。私は国王になったのだから……。


 五分後、部屋の扉が叩かれ、アダムが現れた。


「お連れいたしました。……さあ、中へ」


 背中を押されてアレクが入って来る。その目はすぐに私を見つけてとらえた。


「今だけ手枷は外してやる。が、これはお前という人間を信じているからだ。万が一陛下に何かしたら、その命に関わると知れ。いいな?」


「ここで暴れるつもりなら、素直に裁判なんか出てない。平気だよ。何もしないから」


 手枷が外され、自由になった両手をアレクは確かめるように軽く振る。


「私達は部屋の前におりますので、何かあればお呼びください」


 そう言ってアダムとヘレネは私に会釈をしてから部屋を出て行った。扉がパタリと閉まり、静寂の中に二人だけが残される。私はアレクを、アレクは私を黙って見つめる。どんな言葉をかけようか考えていると、先に口を開いたのはアレクだった。


「……裁判で言ったことは、本当だ」


「言ったこと? 証言のこと?」


「いや、エリーに感謝するって言葉だ。……あ、もうエリーなんて呼んじゃまずいか」


「構わないわ。今は呼びやすいように呼んで」


 頭をポリポリかくと、アレクは腰に手を置いて言う。


「俺も、もう一度エリーと話したかったんだ。だから、こうして話せてよかったよ。さっきの裁判も、普通ならもっと重い判決になってたはずだろ? だけどエリーはこっちの事情を考慮してくれた……バレリッツ教会や西地区の住人のこと、忘れずに見てくれてたんだな」


「アレクの願いだもの。忘れるはずないわ」


 国王に就いてから、私はバレリッツ教会に役人を送り、現在の状況や足りない物資など、細かな情報を伝えさせていた。アレクの寄付が途絶えたのを知ったのも、その情報のおかげだ。まだ少ないものの、国からの支援が正しく行き渡るように、苦しむ者を減らす努力を私はしている。臣下にはまだあまり理解はされていないけれど、何事も粘り強く続けなければ現状も人の気持ちも変えられはしない。西地区がいずれ貧困とは無縁の地区になるまで、私は腰を据えて取り組んでいくつもりだ。


「王様になっても、変わらず俺達のことを見ててくれてたんだって、すごく嬉しかったよ。やっぱりエリーは王様になるべき人間だ」


「私は、アレクが思う立派な国王になれているかしら」


 聞くとアレクは笑った。


「そう聞くにはまだ早いだろ。王様になって間もないんだ。今はまだお手並み拝見としか言えない。でも大いに期待はできると思ってるよ。俺個人としてはな」


「その期待を裏切らないよう、日々勉強に励むわ」


「王様でも勉強はするんだな。ならもっと期待できそうだ」


 お互いを見ながら笑い合う。何だか懐かしい心地だ。幸運のうさぎ亭でおしゃべりしていた光景が脳裏に浮かぶ。


「……でも、無許可の賭場のことが裁判で知られてしまって、アレクやご家族は大変になるのではない?」


「それは問題ない。昔、賭場が襲われたこと憶えてるか? あの時稼ぎが途絶えたのを教訓にして、また別の賭場を開いたんだ。だから今は三軒ある」


「そうだったの。それは知らなかった」


「全部無許可の違法営業だからな。一部の人間にしか知らせてない。でも、期待できる王様になって、いつまでも違法な稼ぎ方はしてられない。金が十分溜まったところで別のことを始めようかとも考えてるんだ。コソコソする必要のない仕事をね。西地区の住人を助けようとしてくれるエリーの邪魔にはなりたくないからさ」


「邪魔だなんて、アレクは寄付をして誰よりも役に立っているわ」


「だけどその金は違法な金だ。悔しいけど、あの腐れ貴族が言った通りなんだ。胸を張れることじゃない。それに西地区の治安をよくするなら、俺達みたいな違法者は消えなきゃならない」


「消えるって……まさか城下を離れるの?」


 聞くとアレクは明るく笑った。


「そういう意味じゃないよ。真っ当になるってことだ」


 ここを離れてしまうわけではないのね――私は安堵した。


「誰も法を破らず、平和に、満足に暮らせるのが一番だ。今の仕事から足を洗ったら、今度は堂々と寄付できる。まあ、いつになるかわからないけどさ……でもそれが俺のちっちゃな目標なんだ」


 アレクはずっと西地区について憂えている。役人や国王である私などよりも強く。そしてそのために自分が邪魔になると思えば、生き方を変えることもいとわない。会うことのなかった十七年の間に様々な心境の変化があったのかもしれない。その思いは十代の頃よりもさらに強くなっているように感じる。その根幹にある人を思いやる優しさは私が慕ったアレクそのもの……アレクは、あの頃から変わらずにいてくれた。そう思えただけでも嬉しさが込み上げてきた。


「……じっと見て、何だよ。意見とか感想はないのか?」


「あ、ごめんなさい。あまりにアレクが変わっていないものだから、何だかしみじみしてしまって」


「十何年も経って何も変わってないわけないだろ。顔をよく見ろ。年々親父に近付いてる」


「私も同じよ。亡き母上の年齢を越えてしまったわ」


「それでもエリーは変わってないよ。昔会ってた頃のままで綺麗だ」


 ドキリとしてアレクを見れば、その目を泳がせながら慌てて言った。


「い、いや、本当にそう思ったから……今さら口説いてるわけじゃないからな! エリーが幸せなのは知ってるから……」


 アレクが言った幸せとは、私の家族のこと――二十歳の時に私は結婚している。そして二人の子に恵まれた。父上に言われ、貴族の子息と夫婦になったのだ。初めこそアレクのことが忘れられず、乗り気になれなかったけれど、献身的に支えてくれる夫に今は愛情しかなく、子が産まれてからはさらに幸せを噛み締めている。アレクの言う通り、私は今幸せだ。


「アレクは、今、幸せなの?」


「俺のことなんか聞かないでくれ。毎日好きなようにやってるだけだからさ。それも幸せって言えば幸せだけど……」


 苦笑いを見せるも、急に真面目な表情に変わって言う。


「でも、ただ一つ、やり残したことがあって……」


「何をやり残してしまったの?」


「それは――」


 アレクがこちらに歩み寄って来たかと思うと、その顔は至近距離まで近付き、そして私の頬に軽く口付けた。


「!」


 驚いた私にアレクはいたずらっぽく笑う。


「あの時のお返し、やっとできた」


「あの時……?」


「俺達が最後に会って、別れた日……エリーは俺にキスをくれたけど、俺は驚きすぎて何もできなかった。でもエリーが帰ってからものすごく後悔したんだ。何で引き止めなかったんだってさ。引き止めて、俺もキスを返してたら、また違う幸せを得られたかもしれないって」


「でもアレクは、私の気持ちを……」


「ああ。好きになるなって言ったのは俺だ。エリーのためだと思ったから……。けど、本当はそんなの、やせ我慢だったんだ。好きで好きでたまらなかったけど、言い訳言って大人ぶって格好つけてた。だからあの時のことが魚の骨みたいにずっと刺さって残ってた。でもこれでようやく気持ちがすっきりできた。もう何も思い残すことはないよ」


「アレク……」


 呼ぶとアレクは微笑んだ。


「これでよかったんだ。エリーは国王になってくれた。後悔なんてするはずない」


 私はアレクの両手を取り、ぎゅっと握り締めた。


「ごめんなさい……ありがとう」


「こちらこそだ。じゃあ、俺は行くよ。エリーの下した判決に従わないとな」


 握る私の手をやんわりと解き、アレクは部屋の扉を開ける。待っていたアダムに出迎えられ、両手にまた手枷をはめられる。


「……じゃあな」


 笑顔で振り返ったアレクはそう言ってアダムに連れて行かれた。もし私が恋心を優先させていたら、もしアレクがあの時、キスを返していたら、私の人生はまったく違うものになっていただろうか。城下でアレクと暮らし、自由を満喫していた自分もあり得たのかも――そんな想像はこれまで幾度もしてきたけれど、そこに正解や不正解は存在しない。私が王位を継がず、アレクと生きることを選んでいたら、夫や子供達に会うことは絶対になかったのだから。その逆の人生を私は選んだだけ。何かを得ようとすれば、何かを諦めるしかない。だからどちらが幸せかなど言えない。けれど私は、私なりの幸せをこの身に感じている。アレクと同じように後悔などない。だから国王としてこの国を繁栄させ、貧しさに苦しむ民を一人残らず助けたい。アレクの長年の願いに応えるためにも。彼のために私ができることはそれだけなのだから――遠く離れて行く背中に、私は胸の中で強く誓った。

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偶然の運命 柏木椎菜 @shiina_kswg

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