十五話
深夜――私は西地区内の人気のない空き地にやって来た。月明かりだけが照らす周囲には民家もなく、暗く殺風景な景色が広がっている。雑草がはびこる中を歩きながら、私は姿の見えない彼の名前を呼んだ。
「アレク! アレク!」
ここで会う約束をしたアレクはどこにもいない。そうして空き地内を見回しながら呼び続けていた時だった。
足音が聞こえて振り向くと、そこには四人の見知らぬ男達がいた。格好からしてここの住人……。
「あいつは来ねえよ。……悪いが、死んでもらう」
そう言うと男達は突然走り出し、私に向かって来た。驚いた私はすぐに逃げた。けれど瞬く間に追い付かれ、後ろから羽交い締めにされそうになる。それに抵抗した拍子に身体が傾き、私は雑草の生い茂る地面に倒れ込んだ。
「助けてっ! 誰かっ!」
恐怖のまま私は叫んだ。けれど声は誰にも届くことはなかった。男達の拳や足が容赦なく私を苦しめる。それでも声の出る限り助けを呼び続けたが、男達の攻撃にあらがう術はなく、私はとうとう力尽き、目を閉じた。
動かなくなった私から男達が離れて行く気配を感じる。それと入れ替わるように、また誰かが私に近付いて来る足音がした。それはすぐ側で止まると、私を見下ろしているようだった。
「しっかり息の根は止めたの?」
「あんたの要望通りにな」
私を襲った男の一人が答えている。
「それにしては、随分と綺麗な姿のままだけれど……」
そう言って側に立つ人物はかがみ込み、動かない私の手を握って脈を確認し始めた。
「……ちょっと! この娘はまだ死んで――」
その瞬間、私は反対の手で相手の腕をつかんだ。
「ええ。私はまだ死んでなどいません。お義母様」
「ヒイッ!」
短い悲鳴を上げたお義母様は私から手を離すと、弾かれたように後ずさった。フードをかぶった顔が焦りと驚愕を見せているのを眺めながら、私は静かに立ち上がった。
「どっ、どういうことなの! これは!」
お義母様は男達と私を交互に見ながら慌てるように聞いた。
「それはこちらのセリフ……お義母様、なぜ私を殺そうなどとお考えに?」
私の問いにお義母様の表情が気まずそうに歪む。
「……お前達、何をぼーっと見ているの! その娘を殺すのが仕事でしょう! 早くやりなさい!」
離れたところに立つ男達に怒鳴るが、四人はまるで聞こえていないかのように無反応なままだった。これにお義母様の怒鳴り声がますます大きくなる。
「う、裏切ったのね! いいわ。ならばお前達もろとも殺すまでよ! ジュノー! こちらへ来なさい! あなたが雇った者にここの全員を――」
「呼んでるのは、こいつらのことか?」
暗がりから突然現れたアレクに、お義母様は怯えたような目を向ける。その視線の先には、両腕を縄で後ろ手に縛られた、あの追い剥ぎの二人組がいる。そしてその横にはジュノーの姿もある。
「……ジュノー! こ、これは……」
状況がわからず唖然とするお義母様に、ジュノーはおずおずと話す。
「王妃様、申し訳ございません。私は、もうこれ以上ご協力をさせていただくことはできません……」
「何を……何を言っているの! あなたには毎回十分な礼を渡しているではないの。それでも不服だと言うの?」
「これまで私は、姫様がお慕いなさるお方とお幸せになれるのであればという思いだけでご協力をして参りました。しかしその進展が見られないと知るや否や、姫様のお命を奪おうとする凶行に走るなど……いくら王妃様のお頼みであっても、さすがにそれはできません」
「王妃様、あんたの計画はこの占い師を通じて、全部ばれてんだよ」
「全部……ジュノー、あなたは私を騙したの……?」
「申し訳ございません……ですが、王妃様に罪を犯してもらいたくは――」
「そんなことをして、ただで済むと思っているの? 恩を仇で返すような真似……何を言われようとも許さないわ!」
目を吊り上げて怒るお義母様に、ジュノーは完全に畏縮して口を閉じてしまった。大きな恩があることを突かれては、ジュノーはもはや自由を奪われたも同然なのだろう。そうして長いこと独り葛藤していたのだ。
「お義母様、ジュノーはお義母様を重罪人にしないために、私にこの計画を話してくれたのです。お義母様に恩を感じているからこそ、間違いを正したかったのです。その気持ちがわからないのですか」
「親の私に説教をするつもり? エレオノール……あなたは、どこまで知っているの」
「すべてです。私を玉座から遠ざけるために、最初はおとしめようと、次は王族から抜けさせようと、そして最後は城下の賊に殺させようと……。そこにいるアレクに協力してもらえなければ、きっと私はお義母様のもくろみ通りになっていたでしょう」
ジュノーからお義母様が私を殺そうと計画していると聞かされたのは二週間前。アレクの名を出し、城下で待ち合わせをさせたところで、雇った賊に私を殺させるというものだった。その実行を任されたジュノーは恐怖を覚え、すぐに私に明かしてくれた。そして私はアレクに相談した。お義母様が言い逃れできない状況を作ろうと細かく計画し、私は殺された演技をすることになった。その甲斐あってお義母様の殺意は言葉としてはっきり聞くことができた。
「あんたはもう終わりだ。観念して罪を認めるんだな」
アレクに睨まれたお義母様は怯む素振りを見せたものの、その口に不敵な笑みを作って言った。
「……ふっ、何が終わりだと言うの? 私はエレオノールを殺してなどいないのに」
「この期に及んで悪あがきか? あんたはエリーを殺そうとした首謀者だろが」
「そんな恐ろしいこと、私は知らないわ。全部そこの者達が勝手にやったことよ。私は所用で偶然ここに居合わせただけ」
「お義母様、そのような言い訳が通用するとでも? 私達はお義母様の話した言葉を聞いているのですよ? 素直にお認めください」
「私が何を話したというの? あなた達の作り話でしょう」
「その態度も含め、すべて父上に申し上げます」
「ええ、言ってみなさい。あなた一人だけの声を果たして聞いていただけるか、大いに疑問ではあるけれど」
お義母様は余裕の笑みを浮かべながら言った。言う通り、お義母様の裏の顔を知らない父上では、こんな計画を立てていたこと自体、簡単には信じてくれないだろう。まして信用を下げている私が言ったところで真剣に取り合ってくれるかわからない。でもそれはすでにわかっていたことだ。だから私はこうなることをあらかじめ予想して準備をしてきた。
「……ならば、そうさせてもらいます。この子と一緒に」
私はアレクへ目で合図を送る。それを受けたアレクは背後の暗がりへ手招きをした。そこからゆっくりと現れた姿を見て、お義母様は瞠目した。
「……なぜ、ミシェルが、ここに……!」
愛する息子ミシェルに、お義母様は明らかな動揺を見せた。まだ七歳の弟をこんなことに巻き込みたくはなかった。けれどお義母様を止めるには、この最大の〝武器〟を使うしかなかった。
「母上……姉上に、ひどいことはしないで」
「ミシェル、そ、それは間違いよ! 母上はそんなことはしていないわ」
「でも、さっき息の根は止めたかって……それって、殺しちゃうことなんでしょう?」
「……っ」
「母上、お願いだからやめて。姉上に謝って、仲直りをして!」
ミシェルはお義母様に歩み寄ると、その手をぎゅっと握り締めた。
「ジュノー、私、そしてミシェルの三人が同じ話をすれば、さすがの父上も無関心ではいられず聞いてくれるでしょう。娘と息子、その二人ともが証言するのだから」
お義母様は全身をわなわなと震わせながら歯を食い縛り、ミシェルが握る手をじっと見つめていたが、やがて両目を静かに瞑ると、表情と全身から力を消した。
「本当に、もう終わりね……」
溜息混じりの諦めた声が言った。
「お義母様……あなたは玉座を血で汚してまでも、ミシェルを国王にさせたかったのですか?」
「させたかったわ……けれど、玉座のためではないわ」
「え? では何のために……?」
抜け殻のような眼差しが私を見据えた。
「私とミシェルの、居場所を作るためよ」
わからず私は首をかしげた。
「居場所など、いくらでも――」
「将来の話よ。いずれあなたは王位を継ぎ、国王になる。その時、邪魔な私やミシェルは追い出されかねない。だからあなたを城から消そうと思ったのよ」
「私はお二人を邪魔などと思ったことは――」
「ミシェルはそうかもしれない。でも私は違うでしょう? あなたは私の顔を見るたび、怯えたり、嫌悪を見せたり……こちらがそれに気付いていないと思っていたの?」
「それは、お義母様のことが、何だか怖かったからで……」
「怖かったのは私のほうよ。母親らしく接しようとしても、あなたは私に対して常に壁を作っていた。少し注意でもすれば怯えた表情を見せ距離を取ってしまう。本当の母親でない私は所詮、あなたにとって赤の他人でしかないわ。将来あなたが国王になれば、そんな他人など邪魔な存在。一言いって城から追い出すなど造作もないことでしょう。私は、あなたの時代が訪れることが怖かったのよ。そこで私やミシェルの居場所がなくなってしまうのが心底恐ろしかったの。だから、私を嫌うあなたを、消しておかなければと……」
私は呆然とした。まさかお義母様も私のことを怖がっていたなんて……。こちらを見る目にいつも感じた何かは、おそらく私に対しての疑念や警戒だったのだ。なかなか心を開かない娘にお義母様は不安を募らせ、やがて自身の立場に危うさを覚えてしまった。身を守るためには私を国王にするわけにはいかない……そんな思考に陥り、そしてこのような凶行に行き着いて――これは、私が招いてしまったことでもあったのだ。お義母様が犯そうとした過ちはひどいけれど、私が継母という偏見を取り除き、素直に家族として接していれば、お義母様もここまで思い詰めることはなかっただろう。私が避けたことでお義母様も私を避け、結果お互いの気持ちは誤解したまますれ違ってしまった。私は嫌っていたわけではない。ただ怖かっただけなのだ。何も知らない人が母親になったことが……。
「……私達は、もっと話すべきでした。怖がらず、お互いを知ろうとするべきでした。そこへ今、やっと思い至りました」
そう言うと、お義母様は力なく笑った。
「ふっ……もう、遅すぎるわ。……さあ、私を陛下の前へ連れて行きなさい」
覚悟を決めたお義母様に、私はアレクをちらと見てから言った。
「先に、お戻りください。ミシェルとジュノーと一緒に。私はまだ用があるので」
「私から目を離してもいいの? 逃げてしまうかもしれないわよ」
「それはありません。王妃の居場所は国王のいる城なのですから。そうでしょう?」
何か言おうとしたお義母様だったが、薄く微笑むとミシェルの手を引いて立ち去った。ジュノーも私に、城でお待ちしておりますと一言いってから追い剥ぎの二人を引き連れ、その後を追って去った。
「……俺らの仕事は、もう終わったな」
私を襲うふりをした四人の男達がアレクに聞いた。
「ああ、これで店を襲ったことはチャラにしてやる」
「後で蒸し返すなよ」
「心配するな。これは親父も了承済みだから。あ、賠償金の支払い、絶対忘れるなよ。安くしてやったんだから誠意ぐらいは見せろ」
「わかってる。ボスは約束は破らねえ」
「金に目がくらんで襲って来たやつだ。どうだかな。まあ、破らないと信じて待ってるよ」
四人の男達は仏頂面を見せながらも無言のまま去って行った。お義母様がジュノーを通じてグルーシー一家の人間を雇ったと聞き、アレクはすぐに彼らと接触し、ベルトロ一家と全面対決したくなければ今回の計画に協力しろと脅した。勢力で劣るグルーシー側は力での対決になれば不利になるため、ほぼ選択の余地はなかった。そもそも何の大義もなく襲撃をしたことはグルーシー自身も後ろめたいことだったのかもしれない。それをなかったことにしてくれるのなら協力への躊躇などなかったようだ。賠償金を支払う条件で全面対決は回避され、二つの一家での問題は解決された。これでアレクやそのご家族も平穏を取り戻せたわけだ。もう誰も心配することはなくなった。私も、これで――
「考えた作戦、上手く行ってよかったな」
アレクは笑顔で言った。
「一緒に考えてくれたおかげです。ありがとう」
「ほとんどエリーの案だ。俺はちょこっと付け足した程度だ。だけど、お袋さんがやけでも起こすんじゃないかって身構えてたけど、案外素直に認めてくれて助かったよ」
「ミシェルにも見られては、もう認めざるを得なかったのでしょう。最愛の息子の前で取り乱した姿など見せられないでしょうから」
「弟を連れて来たのは大当りだったんだな。まあ、本人は衝撃を受けてるかもしれないけど」
「ミシェルのことは私が守ります。お義母様の代わりに。あの子には何の罪もないのだから」
「ああ、そうだな……」
話が途切れて沈黙が流れた。お互いが言わなければいけない言葉をためらっているようだった。名残惜しい。けれど言わなければいけないと、私は口を開く。
「……では、そろそろ私も帰ります」
「あ、ああ。途中まで送るよ」
「いえ、大丈夫です。ここからなら隣の地区までは近いので。アレクも、今回の計画に関わり通しでお疲れでしょう? 早く休んでください」
「別に疲れてなんか……逆に楽しかったよ。エリーとお袋さんを騙す作戦考えるのはさ」
「ふふっ、実は、私も少し楽しかったです。アレクがいろいろな案を上げてくれると、とてもワクワクしてしまいました。お義母様には申し訳ないのですが……」
「申し訳なくないって。エリーを殺そうとしたんだぞ。気を遣うことなんかない。そう言えば、グルーシーのやつらにボコボコにされて死んだ演技、なかなか上手かったよ」
「そ、そうでしたか? 何か、ぎこちなくはなかったですか?」
「いやいや、叫び声も迫真の演技だった。もし知らずに聞いてたら、俺だったら絶対に助けに――」
そう言うとアレクは急に言葉を止めてしまった。
「……どうしたのですか?」
「あ、はは、俺はもう、エリーのことを助けることはないのかなって、ふと思ってさ……でも助けることがなくなるってことは、エリーが安全で幸せなわけで、いいことなんだよな」
お義母様のたくらみを暴き、私への危害はこれでなくなる。こうして城下へ来る理由も、もうなくなってしまった。ここに運命の人はいなかったのだから。けれど、運命と思わせてくれた人はいた。とても優しく、私を助けてくれた人。こんな出会いは二度とないように思えてならない。やはり私はアレクのことが好きだ。結ばれないとわかっても、心は言うことを聞かずにアレクを求めている。でもこれが永遠の別れというわけではない。これからも会おうと思えばいつでも会うことはできる。ただ少し距離が離れてしまうだけのこと……そう。その気になれば、アレクに会いに来ることはできる。
「……また、会いに来ます。だから――」
そう言った私の言葉を、アレクは片手を上げて止めた。
「俺なんかに会いに来るな。それよりエリーは立派な王様になる勉強をしろって。俺は、そっちのほうが嬉しい」
「……そう、ですか……」
そうだった。アレクの望みは私が国王になり、貧しい民を救うこと。私など会いに行っても――
「でも行き詰まったり、何か悩み事にでもぶち当たったら、その時は会いに来いよ。俺でよければ話、聞くから。そのための席と時間はいつでも用意しておく。まあ、単なる息抜きで来てもいいけどな。城の中ってお硬い連中ばっかりで息苦しそうだし」
「アレク……」
少し照れたようにアレクは笑う。
「エリーのことは、ここからずっと応援してる。だから……へこたれずに頑張れよ」
「……ええ。頑張ります」
おそらく、アレクとは当分会えない。会いに行ってはいけないのだと思う。お互いの決意がぶれてしまいそうだから。好きな人に会えないのは辛いけれど、私はアレクの期待に応えたい。できるのはそれだけ……。
「では、ここでお別れです」
「ああ……元気でな。あんまり無理し過ぎな――」
私はアレクに近付くと、不意を突くように頬へ口付けた。その瞬間、アレクは目を見張って私を見つめた。
「エリー……!」
「アレクも、元気でね」
一言いって私は立ち去った。顔など見れなかった。見ればきっと足が止まってしまうことだろう。最後に私の名を呼んだ声の響きを胸に刻み、好きな人との別れを終えた。刻んだ響きは、いつまでも私の中で切なく反響し続けていた。
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