ep.Ⅳ-6
「さすが勇者の息子だね。おかげで助かったよ」
エヴォルグは、むぎゅーっと少女に抱きしめられた。
いくら柔らかいとはいえ、押し付けられると息もできなくなる。少女の腕を叩きながらもがき、なんとか離れたエヴォルグは、大きく口を開けて息をした。
「し、死ぬかと思った……」
「おおげさなんだから。はやく魔法陣の続きを描いて」
「もちろんだよ。ちょっと待ってて」
エヴォルグは、すぐに取り掛かった。完成すると、正しく反転して描けているかを確かめていく。
「うん、大丈夫。これで元の世界へ戻れるはず」
エヴォルグは手を叩いて、白墨の汚れを落とした。
「検証実験は成功してるんだから大丈夫でしょ」
「でも、勇者召喚の魔法陣を反転させて同じように働くかは、やってみないとわからないよ」
「わたしはエヴォルグを信じる」
少女は魔法陣の中央へ向かおうと歩きだす。
「ちょっと待って」
エヴォルグは慌てて呼び止めた。
「なあに?」
少女は振り返る。
「勇者さまが元いた世界へ戻れるよう強く念じるから、名前を教えてくれますか」
「あー。そういえば、教えてなかったね」
少女は照れくさそうに頭をかき、元気に答えた。
「わたしは、アイ。如月アイ」
「如月アイさん、わかった。それじゃあ、魔法陣の中心に」
と、いいかけたときだ。
少女と目が合う。
「わたしが元の世界に帰っても、平気?」
「どういう意味ですか?」
「敵が攻め込んでくるから、勇者召喚したんでしょ。わたしがいなくなったら、困るんじゃない?」
エヴォルグは辺りを見渡した。
あっという間に近衛兵や側近の男たちを倒した勇者の力があれば、王国五千万の命を守ることが簡単にできるだろう。
「だけど、勇者の息子であるオレにだって、戦う力があるってわかった。王国に暮らす人々の半数が、勇者の血を引いているんだ。自分の国ぐらい守ってみせるよ」
エヴォルグは自分の右手を力強く握ってみせた。
「そうだね。きみにならできるよ」
アイは笑顔をみせながら、魔法陣の中心へと駆けていく。
膝をついてしゃがんだエヴォルグは、魔法陣の印に両手を置いた。
「満天御願。如月アイさんを、元いた世界に戻らせ給えっ」
強く念じながら詠唱すると、魔法陣から青白い光がほとばしる。
光に包まれたアイは、ゆっくりと魔法陣へと沈んでいく。
「エヴォルグ、いい男になるんだよっ」
「わかった。アイも元気で」
魔法陣から光が消えたとき、勇者の姿はどこにもなかった。
静寂な満月の夜、屋上に心地のいい風が通り過ぎていく。
カバンから食べかけのチョコレートを取りだしたエヴォルグは、満月を眺めながらかじる。
甘くて苦い味が、口いっぱいに広がった。
異世界の勇者さま ビターアンドスィートブレイク snowdrop @kasumin
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