2.首のない少年
明らかに死んでいるというのに、少年の背中は呼吸にあわせてわずかに動いている。
合歓は目を覆うようにして寒空を見上げ、みっつ数えてから視線を戻すと、やはり変わらずそこにいる少年の首の断面に溜め息を吐いた。
「以前から視えるタチではあったけれど……ううん」
このアトリエに住んで半年以上が経つが、周り近所で霊を視たことはない。
見たところ少年の衣服はそう古くはなさそうだ。ニットのフリースジャケットは、一昨年の冬に全国展開の大衆向けアパレルブランドで購入し、ささやかなクリスマスプレゼントとして右近に贈ったことがあるからよく憶えている。
もしかしたら、彷徨い始めてそう日が経っていないのかもしれない。
「なあ、聞こえるかい?」
今一度肩を揺すってみるも少年が起きる素振りはない。そもそも首から上がないから、起こされて顔を顰めるとか、目元がひくひくするとか、そういったリアクションも見て取ることができないから中々に難儀だ。
「(首なし、ねえ……)」
骨と肉の筋が露になっている断面を一瞥して、合歓は小さく舌打ちをした。よりにもよってどうしてコレなんだろうか。
多くの場合、彷徨える魂というのは死の前後の姿をしている。事故死ならば手足が折れ曲がっているし、焼死ならば肌は焦げていたりと、おおよその死因が推測できるくらいには。
そんな中、首から上が欠損しているなんていう死因は限られている。最近のニュースで見たのは箱乗りをしていた車が横転するなどして頸部が圧し潰されたケース。だがあれは少数派だ。
悪意を持って行われた首の切断。悲しいかな、それが一番妥当な線だろう。
「……いいや、私に何ができるっていうんだ」
一瞬首をもたげかけた同情の念を、頭を振って追い払う。
しかし、本当に何もせずにその場を離れるのも忍びなかったため、合歓は少年の傍らに腰を下ろして手を合わせた。
どうぞ安らかに。それと、できれば私がスーパーから帰ってくるまでに成仏してくれているとありがたい。
薄情とは言ってくれるなよと少年の背中を擦り、合歓は立ち上がった。
気もそぞろな足取りで徒歩五分のスーパーに逃げ込む。別に走って来たわけでもないのに、やけに息が上がっていた。風除室に設置された消毒アルコールをプッシュする手が震えていたのも、きっと息切れのせいだろう。
当初の目的であった果物や豆乳をカゴに放り、ついでにお菓子コーナーで目ぼしいものを物色する。それから、ろくに自炊もしないのに精肉や鮮魚の冷凍ケースも覗き込んで回った。
たっぷり時間をかけた後でレジに並んだ合歓は、前に並ぶ客のカゴの中身が目に入ってしまって眉間を揉んだ。普段は別に他人の買い物の内容なんて気にも留めないのに、こういう時に限って目についてしまう。
レジの店員と顔馴染みなのか、軽い世間話をしているお婆さんのカゴに入っていたのは、レトルトのおかゆだった。
「(……たまにはシリアル以外も食べたいと思っただけだから)」
誰にするでもない言い訳を心中で捲し立てながら、合歓は列を外れて売り場へ戻った。
いつもの五倍くらいの時間をかけてスーパーを出た合歓は、指に引っかけたレジ袋を揺らしながら、そんな逆さまのメトロノームに合わせてのろのろと歩き出す。
「まったく、衝動買いなんてするもんじゃないね。これなら、チョコレートのひとつでも買った方が心が温まる」
口にしてから、まるで今の自分の心が冷めているかのように言われた気がして、そんなことを言うのはこの口か! と自分の頬を抓った。虚しいひとり相撲だ。
実際レトルトのおかゆは具材のせいか、あるいは調理工程を踏んでいるためか、レンチンのパックご飯よりも少々お高い。
ふと、足を止める。そこの角を曲がれば、もう家は目と鼻の先というところまで帰ってきていた。
目を閉じ、浅くなってきた呼吸を落ち着かせる。
わかっている。こんなにも気が急くのは、頭がない少年の姿が『彼』と重なってしまうからだ。
「……遺影を描いたのは、他でもない私だろう?」
だったら臆することはないはずだ。それどころか、彼が彷徨える霊となっているなんていう説を考えるのは、彼の成仏を否定しているという無礼に他ならない。
意を決して胸を叩き、合歓は曲がり角から飛び出した。
首のない少年の霊は、まだそこに倒れていた。
「ああ、もう!!」
髪を掻きむしって走り出した合歓は、玄関の鍵を開けてレジ袋を家の中へ放り投げると、少年の腕と体の間に手を差し込んだ。
男子の体重を担ぐつもりで踏ん張ったが、少年の体はせいぜい小学校低学年程度の重さしかなく、よろめきかける。
「ったた……まったく、どうせなら21グラムにしておいて欲しかったよ」
合歓は毒づきながら、少年を担ぎ直した。
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