月下の誓い
着付けの終わった二人が見つめ合うのを、右近たちは壁際に並んで、まるで式場スタッフのような気分で見守っていた。
「綺麗だよ」
「カッコいいね」
どちらからともなく声を漏らし、着物を崩さないよう注意を払いつつ抱擁を交わす。
「ほら、そこだ、キスだ!」
「合歓さん、オヤジじゃないんだから……」
酒でも飲んでいるのかと思うような野次を飛ばす合歓の肩を引き戻すと、今度は子供が駄々をこねるようなむくれ顔になった。
「いいじゃないか。今宵は何でもアリの人前式なんだから。そうだ、どうせなら外で月夜の結婚式と洒落込もうじゃないか。いつものアレもウェディング用にしてさ!」
「もう……仰せのままに」
右近は苦笑しながら、合歓と手分けして部屋を駆け回った。
合歓が台所や居間の窓を覆っているブルーシートを引っぺがし、外へと持ち出していく。右近は室内にあるテーブルや段ボールを、新郎新婦の胸下くらいになるように組み合わせて持ち出し、ブルーシートの上で組み合わせた。
「動かしてもいいと、許可は貰っているとはいえ……ま、いっか」
苦い顔をしていた英だったが、知ーらないと諸手を挙げると、その指先にくるくると車のキーを引っかけながら、待機させているもう一基の投光器を取りに行った。
持ってきた投光器と、アパートの廊下を仄明るく照らす蛍光灯、塀の向こうで首を伸ばした街路灯。明るさも白さも異なる光たちが入り混じり、そこに月の光が降り注ぐことで、万華鏡のような光のフォーカスが踊り出す。
郡東風たちが何ごとかと外に出てきた。右近は彼らに手品を披露するように、とっておきの箱を開いて見せた。
「ケーキ? え、どうして。だって式をするって決めたのはさっきじゃ……?」
白井が目を白黒とさせている。それにアブラカダブラと唱えたのは合歓だった。
「私のルーティンなんだ。故人は輪廻転生の流れに還り、生まれ変わる。そんな今日が
「普段はバースデイケーキと呼んでいますが、今回は、ウェディングケーキにさせてください」
「嬉しい。本当に嬉しいよ」
白井が袖で口元を覆って、小さく何度も頷いた。
「――え、何ですかこれ、撮影?」
不意に後ろから声をかけられて、右近たちは振り返る。アパートの敷地の入り口で、コンビニの買い物袋を提げた、垢抜けている若い女性が呆けた顔で立っていた。
「あ、桜子ちゃん……」
白井とが名前を呼んだ。桜子と呼ばれた女性は大家の顔を見つけると、ブルーシートを迂回するように駆け寄った。その途中で大家の隣に立っている白無垢と羽織袴に気付いたようで、ぐぐっと首が傾いていく。
「ちょっとコウさん、コレ何? このあいだ要さんと茉莉花さんが亡くなったばかりだってのに……こんな、だってこれ、結婚式の衣装でしょ? 不謹慎すぎない?」
詰問する勢いで、桜子は大家に迫る。事情を知らない者からすれば――まして、彼らと近しい者であれば尚更、不思議ではない反応だった。大家がにこにことしているものだから、桜子の語気は一層強さを増す。
それでも大家は、やはり微笑んだままで、桜子の肩を宥めた。
「これはね、そのヨウちゃんとマリちゃんの結婚式なんだよ」
「はあ……はあっ!?」
愕然と開いた彼女の顎は、中に人なんていないはずの白無垢が手を振って見せたことでさらに大きく落ちた。ビニール袋が落ち、ミルクティーのボトルが転がり出る。
闇雲に動かした視線のどこへ行っても頷きが返されると、そこでどうにか真偽を呑み込むことができたらしい彼女は、ハッと顔を上げた。
「ちょっと待ってて、私も参列するから! というか、ハブとかナシでしょフツー! 二人のおかげで志望大学愛かったのに、私っ、何にもお礼っ、できてないしっ!」
息急き切りながら階段を上っていく。彼女の跳ねる言葉で右近たちは理解した。新郎新婦の思い出の中にいた、合格祝いにバーベキューをした受験生。郡東風が話したために『八重さん』と呼ばれていたが、それが桜子なのだ。
彼女は二階の一室、カーテン越しにぼんやりと明かりの見える部屋のドアをガンガンと叩く。
「柳太郎さん、りゅーたろーさーん! 出てきて! 今すぐ! ちょー緊急事態!」
何度か叩いたところで、鍵がかかっていないことに気付いた桜子は、ドアを開けて中へと押し入った。
「――はあっ、リモート会議の準備ぃ!? そんなのいいから! 髭ぇ!? 早く剃りなし!」
開けっ放しのドアの向こうから、威勢のいい声が響いてくる。
「ははっ、賑やかな子だね」
「桜子ちゃんはね、あの部屋の柳太郎さんのことが好きなの」
「実はリュウさんの方もだったりして。自分が三十過ぎてるからって、日和ってるんだけどな」
「両片思いってやつだ。甘酸っぱいねえ!」
そっと教えられた情報に、合歓が野次馬根性丸出しの口笛を吹いてキャンバスの前に座った。
「じゃあ、髭を剃っている間に、こっちの仕事もやってしまおうか」
幻想的な光の下に新郎新婦を立たせる。右近が最終確認で前髪や襟元を直し始めた時にはもう、アタリを付ける鉛筆の音がスタートダッシュを決めていた。
その音はすぐに筆の音に変わり、やがて、大家のうっとりとしたため息へと変わる。
「ああ、ああ! ヨウちゃんだ、マリちゃんだ!」
キャンバスの中で嵌められた最後のピースに、大家が手を叩いてはしゃいだ。顔を新郎新婦に向けて、きれいだねえ、りっぱだねえ、と語り掛ける。
そんな隣で、合歓は急に険しい顔になって「拙いな」と零した。
右近は、その意味を察して振り返り、血の気が引いた。郡東風と白井の着物の奥で、光の粒がふわりふわりと立ち昇り始めてしまっている。
蛍のように美しいが、それは同時に、残酷なカウントダウンの始まりでもあった。
「――っ、桜子さんたちが!」
「私が行くわ。君はケーキカットの準備!」
毅然とした指示で右近の肩を制し、英が走って行く。その頼もしい後ろ姿に冷静さを取り戻した右近は、大家の下へ向かった。
「大家さん、包丁をお借りしてもいいですか?」
「ああ、そうか。普段は持ち帰るからね。大家さん、包丁かナイフはありますか?」
「ええ、台所の引き出しに、果物ナイフが……」
動こうとした大家を、合歓は「あなたはここで」と引き留める。
「彼らの晴れ姿を、目に焼き付けてあげてください。ナイフの方は、すみませんが、うちのアシスタントが勝手に上がらせてもらいます。右近くん、ゴー!」
一連の会話の間、合歓はキャンバスから視線を外さなかった。額に汗の玉が浮いている。
右近は頭を下げ、大家の家へとお邪魔した。構造はわかっているから、あとはそれらしい引き出しを総当たりするだけだ。
ナイフを見つけて戻ると、ちょうど階段を降りて来る靴音もやって来た。英の後ろには、桜子に引っ張られるようにして歩く、目の下にクマを作った真面目そうな男性が一緒だ。
「ようし、こっちもギリギリ間に合った。さあ行くよ!」
合歓がキャンバスから立ち上がり、大家の手を引いて壇の前に向かった。ケーキを挟んだその対面で、新郎新婦はにこやかに寄り添い合っている。
一度振り返り、参列者が集まっていることを確認すると、合歓は深呼吸をした。
「郡東風要さん」
「はい」
「白井茉莉花さん」
「はい」
「富めるときも、貧しきときも。健やかなるときも、病めるときも。――死せるときも。これを愛し、敬い、その命の輪廻が続く限り、真心を尽くすことを……」
合歓はそこで、壇から一歩退いた。
「母に、誓いますか?」
「「はい!」」
息子と娘が進み出て、力強く頷いた。母もまた、頷いて受け止めた。
右近は彼らにそっと近づき、二人にナイフの柄を握らせる。蝋燭はいらなかった。もう二人は、母の前で全てを吐き出した後だったから。
「それでは、ケーキ入刀を」
ナイフがそっと持ち上げられ、生クリームの中へと沈んでいく。 その切っ先がトレーの表面に行き着いてカタリと音を立てたのを合図にして、
「ハッピーデースデイ。おめでとう」
――役目を終えた羽織袴と白無垢が、すとんとブルーシートの上に落ちた。
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