隠した秘密

 炎の熱で胡乱に濁ってしまっている瞳が、柿津畑を捉える。その視線を、彼は甘んじて受け入れるように、じっと受け止めた。



「わかってる。怒っているんだよな」



 しかし、頭を垂れようとする柿津畑から、綾芽はさっと距離を取ってしまった。驚いて顔を上げた柿津畑に、綾芽は声にならぬ声で、何かを伝えようとしている。

 右近は首を傾げた。



「怒ってはいないけれど、家を壊されたくもない……そういえば先ほど、柿津畑社長が仰っていましたよね。兄弟が家を建てて、綾芽さんが内装を。この家も、そうなんじゃないですか?」


「確かに、この家は柿津畑建設が建てたものですが……そうなのか?」



 柿津畑の問いに、綾芽は半歩分ほどの距離をおずおずと引き下がる。そこでわずかに左右に揺れる彼女に、合歓が肩を震わせた。



「あはは、素直でいいな! まあ、そりゃあ、未練がないわけはないよねえ」


「合歓さん、今は冗談を言っている場合じゃないんですよ」


「私は真剣だよ、右近くん。愛別離苦というだろう。人はいつか死ぬと承知の上でも、苦しみは伴うんだ。自殺を決めた人でさえ、ためらい傷を作る。事故の火災なら尚更だろう」



 合歓は綾芽に向き直り、一礼をした。



「申し遅れました。私は姫彼岸合歓、遺顔絵師をしています。遺影の似顔絵を描く物師と書いて、遺顔絵師です。こちらの柿津畑一樹さんから、あなたたちご家族をきちんと弔いたいと、依頼を受けて来ました」



 彼女が自己紹介をすると、綾芽は柿津畑の方を見やってから、少しの逡巡を置いて、離れた。



「おや、弔われたくない? ――まさかとは思うけれど、一樹さんの依頼だからダメとか?」



 合歓が質問を変えながら探りを入れるが、どちらの問いにも綾芽は後ずさり、ついには壁に背中を付けてしまった。



「ふうむ、困った。死を受け入れられていないんだね。同情はするけれど……」



 合歓がお手上げと目を覆う。その隣でやり取りを見ていた右近は、今の合歓の発言に対して、綾芽がずりずりと壁に背中を擦り付けるようにしていることに気が付いた。

 弔われたくないが、死を受け入れてもいる。つまり、未練とは別の何かがあるということ。



「もしかして……弔われたくないんじゃありませんか?」



 右近が訊ねてみると、綾芽はタックルでもしてくるのではないかという勢いで飛んできた。



「でかした右近くん! さすがは心優しき私の自慢の相棒だ」


「それ、褒めてます……?」


「一応、最大限に。必要ならチッスでもしてあげようか?」


「いーえ、結構です」



 すぼめた唇をわざとらしく鳴らしてくる変態オヤジを、右近は腕を伸ばして拒んだ。しかし腐ってもキス顔。なんだかんだカワイイのが癪である。



「ちぇ。――さて、綾芽さん。私としても、あなたの力になりたいと思っています。ヒントを頂きたいのですが……案内などはできますか?」



 すると、綾芽は一度合歓に近づいてから、廊下を玄関の方へと進んで行った。その後ろを子供たちもアヒルのように付いていく。

 時折こちらを振り返ってくれながら、綾芽は階段を上り、二階にある一室へと入って行った。



「ここって……玄関から見えたあの部屋ですね」


「ああ。ご対面だ」



 右近たちは固唾を飲み、意を決して踏み込んだ。


 第一印象は、賑やかな部屋だった。窓からの日当たりがいいところにドレッサーが配置され、その背面には簡易的に作られたウォークインクローゼットがあった。衣類の燃え残りの中にスーツらしき類のものはなく、代わりに小さい服が一列並んでいる。お出かけの前の秘密基地だったのだろう。


 クローゼット側の壁の隅には包装箱が整頓されていた。辛うじて読み取れる大文字のひらがなから察するに、知育玩具のものだろうか。


 そして、最後の一角。そこには棚が倒れていた。周囲に散乱している本は、絵本大のものから文庫サイズまで様々だ。

 右近は、倒れた本棚の横っ腹に、不自然な窪みがあるのを見つけた。



「これ、まさか……綾芽さんは、ここで亡くなったんですか?」



 部屋の中央辺りでこちらの様子を窺っていた綾芽が、そっと近づいてきた。



「なるほど、ここでか。次からは英さんに、誰がどこでどう発見されたのかの資料も取り寄せてもらわなければならないね」



 小さくため息を吐いた合歓は、そのまま難しい顔をして黙り込んだ。



「長南さんに怒っても仕方ないでしょう?」


「ああいや、怒っているわけではないんだ。怒っているというか……ちょっといいかい」



 右近は合歓に手を引かれ、クローゼットの方へと連れ込まれた。

 彼女は声を潜めて言う。



「火事が起きたのは夜中だったんだろう? この部屋にはベッドはないし、子供たちの背中の火傷具合から、彼らを最期に守っていた腕は父親のものだ。母親が子供たちを差し置いて、一人でこの部屋になんて来るかい?」


「そうだとして、どうして?」


「例えば、ほら、あのドレッサーの上。ひっくり返したアクセサリー類が散乱しているだろう。金目のものを集めて逃げるつもりだったとか」


「でも、後ろめたいことがあるなら、そもそもここに案内なんてしないんじゃ……? 子供たちの態度を見る感じでも、綾芽さんと不仲ってわけでもなさそうですよ。子供は大人の悪意に敏感だって言ったのは合歓さんじゃないですか」


「だから分からないんだよ……よし、質問は君に任せた」



 右近は異議申し立ての余地もなく、背中にすべてを押し付けられてつんのめる。任せたと言われても、自分も何も見当がついていないのだ。

 とりあえず状況を整理しようと、言葉を探す。



「ええと、確認をしていきますね。綾芽さんの足の怪我は、本棚が倒れた時のものですか?」



 特には期待していなかったファーストクエスチョン。しかしその答えは、一度近づいたかと思ったら、言いあぐねるように少し離れるというものだった。



「おお、早速ビンゴを抜いたようだね」



 合歓の冷やかしに、自分でも驚きを隠せないでいる。

 しかしどういうことだろう。右近は倒れた本棚をもう一度よく確認してみた。


 綾芽の足を挟んだ場所であろう傷を発見したことでそこしか見ていなかったが、よくよく見ると、本棚の向こう端で、下敷きになるように耐震ポールが落ちている。一階のリビングで見たものと同じ製品だ。



「……あっ」



 はたと、右近は違和感を覚えた。今回の出火原因はタバコの不始末だと聞いている。地震ではないのだ。現に、一階の食器棚は無事である。この本棚は部屋の奥にあるから、慌てて避難する過程で本棚に激突したというのも考えにくい。


 衝撃でずれた耐震ポールも、棚の上に載ったまま同時に、あるいは少し遅れて落ちそうなものだ。



「本棚は倒れたんじゃなくて、倒した?」



 導き出した答えを投げかける。採点は、興奮気味のマルだった。



「成程、本棚の下に何かを隠したんだね。となると……さては、足を挟んだのもわざとかな?」



 合点が行ったと太ももを打った合歓に、綾芽は前後に揺れるように立ち惑っている。



「どういうことですか?」


「そうしないと、自分が発見された時に本棚を動かしてもらえないからだよ。けれど実際には、ちょっと持ち上げたくらいで済んでしまった。だから、どうしても解体工事を妨害しなければならなかったんだね」


「そうまでして、外に伝えたかったもの……ですか」


「よし、本棚を起こそう。柿津畑さんも、力を貸してください」


「もちろん。そっちの壁に転がすようにしましょう」


「せーのっ!」



 三人で手をかけ、本棚を持ち上げる。少し浮いたところで、内側の本がさかさまに溢れ出て来た。指先を持って行かれそうになるのを堪えながら、無事に壁へ立てかけるように起こし切ると、子供たちの可愛らしい拍手が送られた。


 右近は純真無垢な尊敬の眼差しが気恥ずかしくなって、一瞬、当初の目的を忘れるところだった。慌てて腰を下ろし、足下に山を作っている本をかき分ける。



「意外と、燃えずに残っているページが多いですね」


「床と棚でガードがされているし、分厚い紙束は燃えにくいからね。内側で燻ぶっていたり、書斎にあったバリケードのように直接空気や火に触れていたなら危なかったけれど」



 右近は早く見つけてあげたくなって、じれったい手を底の方へと突き入れた。ワイパーを動かすようにごそごそとまさぐると、手のひらに、本の表紙とは別の固い感触があった。それを指先で手繰り寄せ、掴んで引き抜く。


 姿を現したのは、フェイクレザーのジュエリーボックスだった。

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