二、はじめてをあげる
こんなにたくさん歩いたのは初めてで、視界に飛び込んでくるものすべてに興味があった。
歩く度に、リン、と透き通るような鈴の音が響く。そんな中、
「
「あれ?ああ、野うさぎの親子だな」
足を止め、
目の前にいる親子も白く、ぴょんぴょんと跳ねて移動している。じっとしていたら雪に紛れて見失いそうだ。
「野うさぎ、可愛いですね」
そう言って微笑む
「物心ついた頃から部屋から出ることを許されていませんでしたし、一度も屋敷の外に出た事もありませんでした。だから、今、この目に映るもの、そのすべてが初めてて、私、すごく嬉しいんです」
雪ばかりの山には、枯れた木と青々しい竹林があるだけで、生き物も少なく寂しい印象さえある。しかし、外のセカイを知らなかった
「俺のせいだな。すまない。代替わりをした山神の
「そんなこと、ないです。たとえこの身を食べられてしまっても、私はこの景色が見られただけで幸せです。
「食べられる?最期?」
怪訝そうに眉を顰めて、その秀麗な顔に浮かんだ表情。
「違うんですか?花嫁というのは名目で、贄として食べられるんじゃ····」
「花嫁の役割は、俺と一生共にいることだ。なぜ俺がお前を食べるんだ?」
盛大に勘違いをしている花嫁に、
山神はある一定の周期で代替わりをする。前の山神はすでにこの山を去っており、代わりに選ばれた
花嫁の役割はそんな山神に喰われることではなく、その身に宿した"穢れ"を浄化すること。穢れのない清らかな身はそのためのもので、山神と"真の
「ええっと、真の
「身も心も俺のものになること」
「で、でも、私は、男ですよ?身も心もって······どうしたら、」
抱きしめられたまま、動揺しつつも疑問ばかりが頭を巡る。そう、
それなのに、心臓はばくばくと大きく音を立てている。ここに来る前、母親から同じように抱きしめられたが、こんな風にはならなかった。
「何事もやってみなければわからない。まあ、今の頃はそこまで"穢れ"も多くないから、気長にいこう。俺も無理強いはしたくない。けれども、お前は俺の花嫁であり唯一無二の
離れた身体に安堵しつつも、薄れていくぬくもりに心臓の音も少しずつ元に戻って行き、今度は物足りなさを感じた。
あの心地好いぬくもりに、ずっと包まれていたいと思ってしまったことに恥ずかしくなり、色白な頬も耳も真っ赤になっていた。
「頬が赤い。ひとの子は弱いから、病にでもなったら心配だ。もっと色々と見たいだろうが、まずは俺の
赤く染まっている理由を勘違いした
地面から遠く離れ、空に浮いている事を驚いている間もなく、目下に広がる白を纏った木々、冷たい空気、近くなった青い空に感動してしまう。
「
実際は
「寒くないか?少し我慢してくれ。社に着けば俺の領域だから、寒さも暑さも感じなくなる」
「大丈夫です。寒いのも暑いのも生きている証拠ですから」
そうか、と
皆が皆、
そうなれば、その心を無視して役割だけを受け入れてもらうしかなくなる。そうしなければ、山神が穢れ、荒神となってしまうからだ。荒神となれば、山どころか村まで吞み込み、穢れを広めてしまうだろう。
穢れはひとを死に追いやる。
そこからまた穢れが生まれる。
そうなっていないのは、今までの花嫁が良くも悪くも役割を果たしたからだろう。できることならば、
籠から出て来た
「
「ああ。俺は元々この山で生まれた神狐の類で、前任の山神は神格化した狼だったそうだ。この山はそういう者たちに昔から守られていて、代替わりは前任者からの指名で選ばれるんだ」
「私、春も夏も秋も、ちゃんとこの目で見たことがありません。
「この山の春は野桜が綺麗だな。夏は蝉が煩い。秋は木々が黄色や赤に色付いて、圧倒される。お前もきっと気に入るだろう」
「蝉は知ってます!」
得意げに
「あんまりあれは、見て楽しいものではないよ」
夏は蝉が煩い、と言った
そんな他愛のない会話をしている内に、着いたよと
目の前に現われたのは、立派な社。先程まで広がっていた雪景色は消え、代わりに青々とした竹林が広がっていた。社の周りをぐるりと囲むように伸びるその竹林は、まるで空に届きそうなほど背が高かった。
「ここが今日からお前の住まいでもある。俺と一緒じゃないと出られないから、外に行きたい時は遠慮なく言ってくれ」
「自分の足で歩いてもいいですか?」
「俺はこのままでもいいけど、お前がそうしたいのなら」
残念そうに
「あれは蓮の花だよ。綺麗だろう?」
「はい!近くで見てもいいですか?」
もちろん、と
こんな風にどんなものにでも驚いてくれるので、それを教える
「これからはたくさんの"はじめて"を、お前にあげるよ」
「はじめて、ばかりですけど、どうぞよろしくお願いします」
満面の笑みを浮かべて見上げてくる
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