四、道は違えど、想いはひとつ



 桂秋けいしゅうは頬を殴られると同時に、地面に思い切り突き飛ばされる。精神的にすでに大きく動揺していただけに、その一撃はさらに重くのしかかるものだった。俯いたままの状態で、殴った者の顔を見上げることさえできない。


「本当に、最低ですね!あの方が間者?馬鹿も休み休みに言ってくださいよ!」


 りんは赤く腫れた拳を握り締めたまま、治まらない怒りを露わに、桂秋けいしゅうを睨みつけた。


 こうはそんなりんを止める様子もなく、ふたりの後ろに静かに控えている。


 夜も深い、四半刻しはんとき前。


 ふらふらとした足取りで戻って来た桂秋けいしゅうの様子があまりにもおかしかったので、りんは何があったのか問い詰めた。


 先程までの自分と無月むげつとの間で起こった一部始終を、その覇気のない口で語った矢先、冒頭のやり取りに戻る。


「······叔父上がそういうなら、間違いない。無月むげつも否定しなかった」


 その言葉に、りんは中腰になって自分の主の胸ぐらを遠慮なく掴み、呆れたように吐き捨てる。


「あなたはあのひとが無月むげつ様を"殺せ"と言ったら、なんの疑問もなく殺すんですか?無月むげつ様の言葉は全部嘘で、あのひとの言葉は全部本当なんですか?何を根拠に?証拠は?あのひとが絶対に間違っていないという確証は、その基準はいったい、どこにあると言うんです?」


 桂秋けいしゅうは思考が上手く働かないまでも、りんの言い方に違和感を感じた。逆にどうしてそこまで、無月むげつを擁護するような言葉ばかり並べるのだろうと。


 彼は自分の従者で、無月むげつとの関りなどほんの少しだけのはずなのに。


「····お前たちも、俺を裏切るのか?ずっと騙してたのか?」


「本当、どうしてそういう考えになるんです?」


「じゃあ、なんで、叔父上を否定して、あのひとの味方をする····?俺が間違ってるなんて言うんだ?」


 りんこうと視線だけ合わせ、掴んでいた衣を放して真っすぐに立つと、肩を竦め嘆息した。


「俺たちは、白の神を守護する従者。あの森で長く生き精霊となった存在で、元を辿れば俺は熊、りんは狼だった。この身はひとではなく、化身。そして、無月むげつ様こそが、鎮守の森の守人である白の神。つまり、俺たちの本当の主ということになる」


「あなたの周りにいる味方の半分は、森の民なんですよ。もう誰も知らない事ですが、ひとがこの地にやって来た際、つまりこの地の最初の領主と白の神とで交わした盟約により、ひとが森を信仰する代わりに、森がこの地を守護するという約束。それを長きに亘って律儀に守っていた森に対して、やがてひとはそれを忘れ、森を穢すこともあった。あなたの尊敬する宰相サマが裏で何をしていたか、あなたは知らないでしょう?」


 畳みかけるように言葉を紡がれ、桂秋けいしゅうは呆然としていた。頭が追い付かない。


 幼い頃からずっとそばにいてくれている従者であるふたり、その他の、いつも味方でいてくれた者たち。それがひとではなく、森の民だったと?


 いや、それよりも。


無月むげつが、白の神?」


「ええ、······そうです。まあ、あの姿は本来の姿ではなく、化身ですから、もうじき消えてなくなってしまうでしょうけど」


「消える······なんで、」


 そんな桂秋けいしゅうの態度に、りんがその秀麗な顔に苛立ちをわかりやすく浮かべる。


「あの方はあなたが盛られていた毒を何度も受け、挙句、信徒に疑われるわ身を穢されるわ、もう限界なんですよ。形を成しているだけでも奇跡です。いいですか?さっさとあの方の居場所を私たちに話してください。取り返しがつかなくなる前に」


 桂秋けいしゅうはそのりんの言葉で、やっと自分が犯した罪を思い知る。


 疑いの言葉を吐き捨てたあの時の、無月むげつの表情が今更甦る。


 あれは、毒を盛った事がバレて動揺していたのではなく、代わりに毒を受けていた自分が疑われたことを酷く悲しんでいたのだ。


「俺は······無月むげつに、白の神になんてこと、」


 青ざめた表情で、己の罪の重さを自覚した桂秋けいしゅうを見下ろし、ふたりはやれやれと首を振った。


「間違いは正せばいい。あの方はすべてを赦すだろう。そういうお方だからな」


 こうは、低い、けれども優しい声音で言った。


桂秋けいしゅう様、私たちは確かに白の神の従者です。けどね、あなたもまた、私たちの主なんです。疑うことを知らない馬鹿でお人好しな、そんなあなただからこそ、これからもついて行こうと思ってるんですよ。だから、こんな所で座り込んでる暇があったら、自分の足で立って前に進んで欲しいんです」


 りんは困ったように眉を寄せながらも、そんな言葉を桂秋けいしゅうに投げかける。


 少し間をおいて、桂秋けいしゅうは腕に力を入れ、ゆっくりと立ちあがる。そして、ふたりをそれぞれ見つめ、確かめるように頷いた。


「····罪人牢。叔父上が、あのひとをそこに連れて行くと言っていた」


 三人と、他に外で控えていた何人かの従者たちと共に、罪人牢のある地下へと急ぐ。なにが待っていようと、もう、迷わないと決めた。


 それが、どんな真実であろうとも――――。



******



 無残な姿となっている無月むげつに対して、口の端を歪め、いつものあの仮面のような優しい表情のまま、自分が鞭で痛め付けた、両の腕を眺めていた。


 破けた衣から覗く、右脚に残る古い大きな傷痕。首筋に薄っすらと残った赤い痕。手首を拘束する鎖の痕。そのどの痕も、生白い肌を飾る、美しい痕。


「もうすぐ、この地は他の国の領主が派遣した兵によって、火の海にされるだろう。あの忌まわしい森も焼き払われる。白の神になにができると?そもそもそんなモノ、いるはずもないのに」


 信仰心など微塵もない。昔から、あの森を崇拝してやまない兄を、気持ち悪いとさえ思っていた。


 毒などではなく、さっさとこの手で殺していれば、あんな遺言書を残されることもなかったのに。


「残念ですが、あなたの"願い"は叶いません。あなたがやり取りをしていた伝書鳩も、あの森の中で密かに交わしていた密約も」


「······どういう意味だ、」


 紀章きしょうは鉄格子にしがみついて、明らかにそちらの方が不利な状態だと言うのに、笑みを浮かべる無月むげつを怪訝そうに見据える。


「あなたが最初に放った伝書鳩は、森の眼である鴉たちによって止められ、その文は彼らの長の手に。それはそのまま白の神へと伝えられました。そこにはあなたが、領主である桂秋けいしゅう様の父上、つまり実の兄を毒殺した、と書いてありました。また、森と捕虜と領地を渡す代わりに、自身を彼の地で優遇するように手配して欲しいとも」


 紡がれていく言葉に、薄暗い牢の中でもはっきりとわかるくらい、紀章きしょうの顔色が悪くなっているのがわかった。


「あなたの許へと届いた伝書鳩の返信も、その後のやりとりも、全部。森の中で交わした密約さえも、存在しません。つまり、森は焼かれることもなければ、桂秋けいしゅう様が、彼の国の領主によって、見せしめで首を切られることもないのです」


 もちろん、あなたの優遇などあり得ない、と止めを刺すかのように付け足して、無月むげつは小さく笑った。


 そのやりとりはすべて、あの漆黒の衣の白い仮面の青年、鴉の長である黒羽くろはが代行していたのだ。


「馬鹿な······っ!あり得ない!お前はなんだ!?まさか本当に、彼の地の間者だとでもいうのかっ」


「最初から言っているでしょう?私は鎮守の森の使いであると。間者などではありません。もちろん、この地を陥れる者でもありません」


「それこそあり得ない!そんなものは存在しない!愚かで何の力もない者たちの、ただの妄想だ」


「······叔父上、今の話は本当ですか?」


 は、と紀章きしょうは握りしめていた鉄格子を思わず放す。よく知る声の方を振り向いた矢先、その傍にいた従者たちが、こちらに太刀の鋭い切っ先を向けてきた。


 桂秋けいしゅうの表情は、どこまでも真っすぐで、強くて揺るがない意志に満ちていた。


「すべて聞きました。ここにいる者が皆、証人となるでしょう。言い逃れは不要です。そんなこと、俺が赦さない」


 桂秋けいしゅうは従者たちに叔父を拘束させ、その場から遠のかせる。罪人牢から出た後も、ずっと、その声で自分を罵る声が聞こえてくる。


 それは聞くに堪えないような言葉ばかり。あんなひとを尊敬し、あんな風になりたいと願っていた自分を、否定したくはないけど。


無月むげつ様、俺は、あなたになんて酷いことを、」


「いいのです。それに、様、など。今の私には相応しくありません」


 手首に残った赤紫色の鎖の痕。叔父が鞭で打ったのだろう、両の腕のいくつもの新しい痣。自分が付けた首筋に残る痕。


 肩を抱き、支えるように桂秋けいしゅうは傍に座った。拒否されるかと思ったのだが、無月むげつはそのまま胸に寄りかかってくれた。


 ふと、衣の隙間から覗く右脚の傷痕が目に入った。あの時、無月むげつと身体を重ねた時も、気になっていた古い傷痕。その経緯を知ってしまった。


 桂秋けいしゅうの視線に気付いたのか、無月むげつは隠すようにはだけていた衣をそっと直す。


 ふたり、冷たい牢の中で座ったまま、視線が重なった。


りんから聞いた。あなたが、あの時の白い狐で、白の神の化身だということも。叔父上を止めて欲しいという、父上の願いを叶えてくれたことも。俺、何も知らなくて。あんな酷いこと、」


「····酷いことなど、されてません。私は、あなたの気持ちを受け入れたんです。だから、そんなこと、思わないでください。しかし、この身は、もう、朽ちるのも時間の問題でしょう」


 その言葉を証明するかのように、無月むげつの身体は白い光に包まれ、ぼんやりとし始める。


 寄りかかっていたはずの身体の重みはまったくなくなり、支えていた肩は無数の光の粒と化して、散り始めた。


 桂秋けいしゅうは形を成していたその光の欠片が、どんどん散っていくのを目の当たりにして、必死にその光の粒子を集めるような仕草をするが、光はどんどん泡のように闇に溶けていく。


「····さよならは、言いません。道は違えど、私たちの想いはひとつ。あなたはひとの中で、私は森で。この地を、守る。あなたの幸せを、祈っています」


 言って、無月むげつは消えてしまった。


 残された桂秋けいしゅうは、その大きな喪失感から、しばらく動くことができなかった。


 やがて辺りを漂っていた小さな光の粒がすべて消え去った時、ゆっくりと顔を上げ、その琥珀色の眼を細めた。





 ――――数年後。


 鎮守の森の奥深く。秋の頃。


 白い衣を纏い、長い白銀髪を風に靡かせた碧い瞳の細身の青年が、赤や黄に染まった森の木々の隙間から零れる光の筋に、手を伸ばしていた。


 眩しそうに眼を細め、青く澄んだ空を見上げる。鳥の声。森の匂い。


 優しい声が、その名を呼ぶ。


 ゆっくりと振り向いた先、そこに立っていた者に対して少し驚いた表情を浮かべたが、やがて慈しむように微笑んだ。


「やっぱり俺は、他の誰かじゃなくて、あなた・・・がいい。あなたは、どう?」


「····私、は、」


 光差す森の中で、ふたり、祝福されているかのように。


 どこからともなく吹いた風でひらひらと舞う、赤い楓の葉たち。


「俺はあなたと一緒に、この森を、この地の民を守ると誓うよ、」


 そっと抱きしめられ、耳元で囁かれた声は、どこまでも真っすぐで心地好い。


 戸惑いながらも、それに応えようとする健気な神に、青年は触れるだけの口付けを落とす。


 ひとの寿命は短い。

 流れる時間も違う。

 それでも。



 この想いは、永遠にあなたに捧げる――――。




~ 秋の章 了 ~






【 あとがき 】



ここまで読んでいただき、本当にありがとうございました。

四章四話縛り。秋の章、いかがでしたでしょうか。


一話、なっがっ!!?読めるかーい!という心の声が、色んな所から聞こえてくる(幻聴か?)。すみません、色々と詰め込みすぎました。でもいいんです。この作品は完全に趣味で書いているので。


それでも最後までお付き合いくださった方は、本当に強者····感謝です。


四話縛りにしていなければ、八話くらいになってるお話です。一話2000文字くらいとしたら、そのくらいかも。


四話目は苦行ものでしたね。本編は4500文字くらい?もっと?


すみませんとしか言えない······汗。



次は冬の章。

季節の物語もとうとう最後ですね。これから構想を妄想して、形にして、12月か1月くらいに公開できたらと思います。


最後まで読んでくださった皆さま、本当にありがとうございました。

次はもう少し、文字数を考えて作りますので、お許しください!


では、冬の章でまたお逢いしましょう。



柚月ゆづき なぎ



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