三、裏切り
※BL要素が強めのお話となっております。苦手な方は、ご注意。大丈夫な方のみ、進んで下さい※
何事もなかったわけではなく、
その献身さに、
「こんな所にいたのか?」
「
「····すまない、気を悪くしただろう?釣書の件、全部丁重に断ってきた」
今日は朝からこの時刻まで、釣書、つまりお見合いの相手の絵姿と紹介文が書かれた資料を積まれ、元老や臣下たちに「この娘は気立てがよくて良い」だの、「ここの家柄が相応しい」だの、一枚ずつ説明されていたのだ。
おかげで、今日の見回りは
げんなりしていた
「私は、
微笑んで、
「俺は、顔も知らない"他の誰か"じゃなくて、あなたがいい」
真っすぐなその瞳で見つめ、少しの曇りもない言葉でそんなことを言う
気持ちは、知っていた。自分に向けられるものが、ただの信頼ではないことも。
けれども、応えられないのも事実。
抱きしめられてもその鼓動は
そのぬくもりも。熱も。自分にはないのだ、と思い知らされる。
今も。これから先も。
抱きしめられた肩越しに、ちらりと影が見えた。もしかして誰かがいたのだろうか?こんな姿を見られたら、誤解されてしまう。悪い噂など特に、誇張されて都合のいいように広まってしまうのだ。
「······すみません。私は、」
腕の中から逃れようとしたその時、
「
「····だい、じょうぶ、······少しすれば、たぶん、治まる、か····ら、」
げほげほと先ほどよりも酷い咳をして、息苦しそうに言葉を紡ぐ
肺の辺りをぎゅっと鷲掴みにして蹲るその姿に、嫌な予感を覚える。
この数日、この咳き込むような症状が
この一年ずっと傍にいたが、このような症状は今までなかっただけに、
(······気の流れが、なにかおかしい。病というより、これは、)
思うところがあった
夕餉の頃には、何事もなかったかのように元気な様子の
秋の旬物が並べられた小皿がいくつもあり、見た目も中身も全く同じ膳が、ふたりの前に並べられている。
手を合わせて膳に手を付けようとしたその時、
「別にかわまないけど、どうして?」
「
本当はそんなことはないのだが、
それから数日間、同じような理由を付けては膳を交換した。その結果、すべての要因が判明することになる。
******
ある夜のこと。
足取りは重く、顔色も良くない。月明かりのせいか、青白く染まったその肌は、この世の者ではないようにさえ見えた。
邸の裏手。見回りの兵もいない場所に、ひとり、佇む。そうしていると、ひらりと黒い羽根が目の前を一枚だけ過った。
それが視界を奪ったその一瞬のうちに、目の前に舞い降りた黒い影。闇より深い漆黒の衣を纏った青年が、
「化身の身が弱まっている。なにがあった?」
心配するように、漆黒の衣の青年が
「
平らな胸の辺りに手を当てて、碧い瞳が悲し気な色を浮かべる。
穢れ。
ひとの中に在れば、必ず触れてしまうモノ。
「もう時間がない。目的を果たしたなら、森に戻るべきだよ。あなたはいつまでここにいるつもり?」
「あのひとがしていること、しようとしていること、止めないと」
「······今のその状態で?」
面の奥で怪訝そうに眼を細め、
「俺は止めたよ?後は自己責任。どちらにしても、形を失えば森へ戻ることになるだろう。そうなった時に後悔しても遅いからな」
「すみません、我が儘を言って、」
「······とにかく、無理はしないで?駄目だと思ったらさっさと見限るのも、ひとつの判断ってやつだから、と、誰か来るみたい。じゃあ俺は行くよ、」
はい、と
その音は、どこか苛立ちと不安を含んでいるようで、振り向くのに勇気が要った。
「今の、誰だ?何の話をしていた?俺には言えないこと?叔父上の言うように、あなたが俺に毒を盛ってるんじゃないかって憶測は、なにかの間違いだって······弁解できるなら、今、ここでして欲しい」
動揺を隠せない
「······やっぱり、そうなのか?だから、膳を交換して欲しいなんて言ったの?」
「ちが····違います、私は······、」
「最初からそのつもりで、俺に近付いたの?俺が馬鹿みたいにひとを信用するのを、心の中で笑ってた?助けるふりをして、本当は間者として手引きをしてたってこと?だから、俺の想いも受け入れてくれなかったのか?」
俯いたまま、怒りと悲しみに震える声に、
おそらく、日常会話として、何の気なく
けれども、それは毒を盛るためなどではなく、毒を盛られていないかを確認するためだった。その指示を出しただろう張本人が、先にこちらに疑いを向けさせるように、
彼の口に入るはずだった毒を代わりに受け、
強く手首を握りしめられ、引き寄せられたそのままに、人気のない場所まで連れて行かれると、思い切り背中を固く冷たい壁に打ち付けられた。
逃げられないように囲われ、近付いて来る顔から眼を背ける。代わりに首に顔を埋められ、
薄暗闇の中で、月を背にした
その後の事は、ただされるがままだった。弱った身体は抵抗などできるわけもなく、言葉などなにも届かないと思い知る。
その気持ちを、願いを、全部受け止めて。
もう二度と、あの真っすぐで優しい笑みには会えないだろう。それもこれも、なにもかも全部、自分のせいだ。
彼の傷付いた心がこれ以上壊れないように、そっと背中に手を回す。こんな形で触れ合ってしまったことを、後悔などしていないと伝えるために。
そのぬくもりを、忘れないように。
その碧く澄んだ瞳に、秋の夜空を照らす丸く大きな月を映す。
ゆっくりと閉じられた瞼。
最後に触れられたその唇は、微かに震えていた。
もう、戻れない。
これが、最後の――――。
次に目覚めた時、
その視界の先に現れた人物に対して、精一杯の皮肉めいた笑みを浮かべるしかなかった。
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