二、あなたを信じる



「私は、無月むげつと申します。鎮守の森、白の神に命じられ、領主様のお傍でこの地を見守るようにと、仰せつかって参りました」


 その落ち着いた穏やかで優しい声は心地好く、門番たちが門前払いしなかった理由が、なんとなくだがわかった。言っていることは突拍子もないのだが、嘘を言っているようには見えなかったからだ。


「疑うのは苦手だが、信じるに値する証拠はあるか?あなたの言う"白の神"は、俺たちが信仰し崇める神の名だ。もしあなたが、本当にその神の使いだと言うのなら、俺にそれを証明して欲しい」


 わかりました、と無月むげつは軽く会釈をして、それから桂秋けいしゅうの右腕に巻かれた包帯に視線を向けた。


「白の神は癒しの神と呼ばれております。その使いもまた、癒しの力を使うことができます。あなた様のその腕の傷を治して差し上げましょう」


 桂秋けいしゅうは疑いつつも興味を抱いたのか、階段から身軽に飛んで、自らすすんで無月むげつの前へとひらりと降り立った。


 よくみればその瞳は碧く、空よりもずっと深い青色をしていた。色白な肌は透き通っており、到底人とは思えぬ美しさだった。


 その細い指先が、傷を負った腕に巻かれた包帯に触れてきた。丁寧に包帯を解き、破れた黒い衣裳から覗く傷に、躊躇うことなく触れて来る。


 先日、この地を脅かさんとする、盗賊たちを討伐しに行った先で負った怪我だった。


 領主自ら出向くのはいつものことで、その無鉄砲さはよく元老や臣下たちに叱られていたが、どうしてもじっと待っていることができない性格な為、直属の従者たちはもはや諦めている。


 負った傷も、仲間を守るために自らが盾になったせいで、傷自体はそこまで深くないのだが、破れた衣裳もそのままにしていたため、庇われた者は気が気ではなかったらしい。

 本人に至っては、まったく気にも留めていないようだ。


「あなたが、本当に"白の神"の使いなら、俺はあなたを崇めないといけない?」


「いえ、その必要はありません。私は、鎮守の森に存在する、数多の化身たちの中でも一番格下なので、崇められるような立場ではありません」


 そんな会話を交わしている間に、みるみると塞がっていく傷を目の当たりにし、桂秋けいしゅうも、遠目で見ていた門番たちも目を瞠っていた。


 気付けば、痛々しかったその切傷は、傷痕さえ残さずに消えてしまい、彼が癒しの力を使って傷を治した、という事実だけが残った。


「これで信じていただけましたか?」


「あなたは、本当に白の神の使いなんだな!俺はあなたを信じるよ!」


 それは、無邪気な子供のような、弾むような声。満面の笑み。青年とは思えない、純粋で無垢な感情だった。


 桂秋けいしゅうはこの地を守護する鎮守の森に対して、幼い頃から強い信仰心を抱いていた。


 森を穢す者を赦さず、侵略する者を赦さず、神の使いである森の獣を狩る者を、侵犯者として裁くこともあった。


「早速だが、今日から、俺の傍で友として助言して欲しい。俺は領主としては、まだまだ学ぶことがたくさんあるから、足りないことがあったらなんでも言ってくれ」


「····ありがとうございます。桂秋けいしゅう様のお力になれるように、この身を捧げるつもりで尽くします」


「ああ、頼む。では、俺の仲間を紹介するよ。さあ、中に入って、」


 その手を躊躇うことなく取ると、そのまま門の中へと駆けて行った。残された門番たちはぽかんと口を開けていたが、自分たちの仕事を思い出して門を慌てて閉めた。


「本当に、あの白の神の使いだったなんて、」


「ああ、門前払いしなくて良かったな····」


 ふたりは今更ながら心臓がバクバクしてきた。


「それにしても美しいひとだったな」


「ああ、あんな美しいひと、見たことがない」


 門番たちはいつもの調子に戻るまで時間を要したが、この時の出来事は、それから何年経っても忘れることはなかったという。



******



 その三日後。


 従者のひとりであるりんは、その秀麗な顔を曇らせて、知己であるもうひとりの従者のこうと共に、主である桂秋けいしゅうの左右にそれぞれ立っていた。


 目の前には五人の元老、臣下である文官と武官が合わせて十二人、そして領主の頭脳ともいうべき文官の代表である宰相がひとり、それぞれいつもの位置にずらりと並んでいた。


(ジジイどもの差し金か?皆様お揃いで、ご苦労なことだ)


 若い臣下たちに比べ、年老いたこの地の悪知恵・・・である元老たちを視界に映しながら、りんは心の中で呟いた。


 なにかある事に口を出してくるのが彼らの仕事で、まだ若い領主である桂秋けいしゅうのためと言っては、行動に制限をかけて来るのだ。


 おそらく、いや、間違いなく、例の件だろう。


 三日前にこの領主の邸へやって来た、鎮守の森の使いと名乗る青年。この地はその鎮守の森を崇めており、そこに存在するという白の神を、古の頃から信仰としている。


 遥か昔から、何度も他の地の侵攻はあったが、これまで多大な被害がないのは、森の守護のおかげとされていた。


 そんな信仰の源である"白の神の使い"が現れたとなれば、彼らが黙っているはずがなかった。政のために利用しようという気が満々で、今日もきっとそのために集まって来たに違いない。


(そんな事だろうと思って、無月むげつ様には、顔を出さないようにと言っておいて正解だったな、)


 りんこうに視線だけ向けて、合図でも送るかのように頷いた。どうやらこうも同じことを考えていたようだ。


桂秋けいしゅう様、誰とも知らぬ者をお傍においてらっしゃるとか。他の地の間者でない保証は、どこにもないでしょうに。お傍に置かれるのなら、まずはひと言相談していただけると、大変ありがたいのですが」


 元老の代表として、ひとりが口を開いた。


桂秋けいしゅう様はまだ二十一と若いが、領主となってからしっかりと経験を積んでおります。元老殿たちは少し心配が過ぎるのでは?」


 諫めるように、宰相であり叔父でもある紀章きしょうが、桂秋けいしゅうを庇うかのように言葉を返す。


「それに、彼の者は治癒の力を持っており、白の神の使いという肩書も当然、信用に値すると私は思いますが」


 援護してくれる宰相の言葉にりんこうも安堵するが、それを逆手に取るように、元老たちが口々に囁き合う。


「それが妖術ではないとなぜ言い切れる?」


「そもそも、なぜ急に白の神が使いを寄こしたのだ?なにか悪いことの前触れなのではないか?」


 好き勝手にそんなことを言い出す始末。それには他の武官や文官たちも顔色を変え始める。なんにせよ、彼らの発言は影響力が大きいのだ。


「たしかに隣国の侵攻は後を絶たず、こちらを常に狙っているのは皆の知るところ。しかし、間者であるという証拠もなく、疑うのは時期尚早では?」


 それらをすべて一蹴するように、紀章きしょうは問い返す。それには皆口を噤み、何も返す言葉が見つからなかった。


「皆、勝手に決めてしまってすまない。なにかあってからでは遅いのはわかっている。だが、彼は俺のために助力してくれるそうだ。もし、少しでも疑わしいことがあれば、必ず叔父上に相談する。皆の助言もちゃんと聞き入れる。その上で、判断して欲しいと思う」


 桂秋けいしゅうはまずは皆の前で頭を下げ、それから自分の言葉で宣言する。目の前にいる者たちそれぞれが、心から心配してくれているのも、なにか別の思惑があるのも、もちろん知っていて。


 真っすぐで揺るがない。そんな桂秋けいしゅうを危ういという者もいる。誰でも簡単に信じてしまうことも。しかし、だからこそ彼を慕う者も多い。


 その言葉もあって、今回はなんとか黙って帰ってくれたようだ。はあ、と嘆息して桂秋けいしゅうは右手で目の辺りを覆う。気遣うように、最後まで残っていた叔父が優しく笑みを浮かべる。


桂秋けいしゅう、気に病むな。上に立つ者とは何かあればすぐにつつかれる。隙を与えないのが一番だが、それはまず無理と言っていいだろう。色々と助けてやるためにも、その客人に会わせてもらえるかな?」


 ふたりでいる時は、このように叔父の顔をみせてくれる紀章きしょうに対して、桂秋けいしゅうは「もちろんです」と頷いた。


 父亡き後、ずっと助けてくれている叔父は、彼にとって父と同じだった。父の遺言書がなければ、まだ若かった桂秋けいしゅうに代わって、領主の代理となっていたはずの叔父。


 病のひとつもしないような、そんな元気な父が急な病に倒れ、亡くなるまでが早かっただけに、誰も遺言書の存在は予想していなかっただろう。


 だからこそ、叔父の存在は大きく、桂秋けいしゅうにとって、臣下の中で唯一、少しも疑うことなく信頼できるひとであった。



 その信頼は、この先も一生、揺らぐことなどないと思っていた――――。



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